〔原文〕
子曰、躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣。
〔読み下し〕
子曰わく、躬自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨に遠ざかる。
〔通釈〕
孔子云う、「自分には厳しく、人には寛大に臨むなら、誰からも怨まれるようなことはないだろう」と。
〔解説〕
普通はこの逆、「自分に甘く、人に厳しく」なってしまうもので、「何だアイツは!」と怨みを買う元となる。
今、週刊誌が国会議員の過去を暴いて鬼の首でも取ったかのようにはしゃいでいるけれども、あれを書いている記者は、一部の瑕疵もない清廉潔白な人達なんだろうか?国民及び国民(くにたみ)の安・尊・栄を実現し、これを増幅拡大せしむることが政治家の使命なんだから国会議員はきちんとその使命を果たしてくれさえすれば良い。
さくらパパの賭けゴルフも、姫井ゆみ子の「ぶってぶって不倫」も、どうだっていいじゃないか、そんなこと。どっちも国会議員になる前の話でしょう。税金を使って賭けゴルフをした訳じゃないだろう?税金を使って「ぶってぶって」とやらかした訳じゃないだろう?自分の金で遊んだんでしょ?あの人達は。
「国会議員よ君子たれ!」と望むのはいいが、安っぽい倫理観で「国会議員よ聖人たれ!」と望むのは酷だよ。聖人は政治家などにはならんものです。政治家を教える人になるんです、聖人は!孔子だって54歳で政治家を辞め、政治家を教える人になったじゃないですか。釈迦もイエスも、政治家などにはならなかったでしょう?
〔子供論語 意訳〕
孔子様がおっしゃった、「君達、自分には厳しく、人には優しくしてあげなさい!自分に甘く、人に厳しくすると、誰からも相手にされなくなってしまうぞ!」と。
〔親御さんへ〕
自ら作った業の報いを自分自身で受けることを「自業自得」と云います。自業自得は悪い報いを受ける際に使われますが、良い報いの際に使ってもおかしくない。善い種を蒔けば善い実がなり、悪い種を蒔けば悪い実がなるという意味ですからね。これを善因善果・悪因悪果と云いますが、宇宙は原因
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結果の法則下にある訳だから、当たり前と云えば当たり前の話なんだけれども、我々凡人はこのことを忘れて、出た結果ばかりを気にして世を怨んでみたり人を羨んでみたりする。
これが又新たな業を作り、自分で自分を一層苦しい状況に追い込んでしまいます。これは誰のせいでもない、自分自身の自由意志で選択しているだけなんだから、100%自己責任です。もう好い加減卒業しなくちゃならんね。こんなバカなことは。無意識で自分自身を苛めて喜んでいる「精神マゾ」、「ぶってぶって姫」と変わりないよ、世を怨んだり人を羨んだりするってのは!一生幸せになれんよ。誰のせいでもない、あなたが蒔いた種が今実っているだけなんだから。将来を良くしたければ、今からでも遅くない、善い種を沢山蒔いておきなさい!蒔かぬ種は生えません。
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