〔原文〕
子曰、已矣乎。吾未見好徳、如好色者也。
〔読み下し〕
子日わく、己んぬるかな。吾未だ徳を好むこと、色を好むが如くする者を見ざるなり。
〔通釈〕
孔子云う、「どうしようもないなあ!私はまだ色事を好む程熱心に徳の修養に励む者を見た事がない」と。
〔解説〕
同様の文章が子罕第九226章にも見られます。ここでは「己んぬるかな」が頭についている所を見ると、孔子はこのようなことを度々弟子達に云っていたのではないでしょうか?
孔子晩年には弟子の数三千人と言われますから、中には徳の実践よりも色の実践に励む弟子達も少なからずいたのでしょう。変わらんねえ、昔も今も。ただ、孔子は色事はやめよ!などとは一言も云っていない。ここが孔子教団と釈迦教団の違いでしょうかね?釈迦教団では入門した途端「女人禁制」の禁欲一辺倒でしたから。
最近、「自分はもしかしたら2500年前に孔子の側に居たのではなかろうか?」と思うことがよくありますが、「己んぬるかな」としょっちゅう叱られていた口かも知れません。皆さんの中にも、当時の仲間、結構いるんじゃないかな?「己んぬるかな」とやられたのが。
〔子供論語 意訳〕
孔子様がおっしゃった、「君達!ガールフレンド(ボーイフレンド)もいいけれど、ちゃんと勉強してからにしなさい!」と。
〔親御さんへ〕
本章と同様の文章が子罕第九226章にも見られますので、参考までにそちらもご覧下さい。意訳を若干変えてみました。
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