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原文
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子曰、片言可以折獄者、其由也與。子路無宿諾。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか。子路は諾を宿むること無し。
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〔 通釈 〕 |
孔子、「たった一言で訴訟事件を裁いて、人を納得せしむることができたのは、由くらいのものだったな!」と云った。子路は、一旦引き受けたことは、決して宵越しにすることのない、即断・即決の人であった。
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〔 解説 〕 |
論語約500章中、子路が孔子に文句無しに褒められているのは、この章くらいのものではないでしょうか?
前段は孔子の言葉、後段は編者の解説という構図になっております。漢文には、現在形も過去形も区別がありませんから、孔子がこう語ったのは、子路の存命中か死後か?分かりません。子路は衛で君公の後継争いに巻き込まれて、孔子よりも先に亡くなっております。
一般的には、孔子が最も愛した弟子は顔淵ということになっておりますが、論語を百回以上読んでみて感ずるのは、孔子が一番可愛かった弟子は顔淵ではなく子路だったのではないか?ということです。顔淵は褒められるだけで叱られたことがない。一方子路は叱られっ放しで滅多に褒められたことがない。皆さんもご自分のことを考えてみれば分かると思うけれども、人は可愛い者程よく叱るものです。可愛くない子は叱りません、どうでも良いことですから。
本章は、子路の死後、ああでもないこうでもないと屁理屈を捏ね回すのは上手だけれど、即断・即決・即行の苦手な若い弟子達を見て、ふと子路のことを思い出してぽつりと語ったものではないかと思います。ただ孔子の言葉だけでは不充分と思った編者が、子路の性格を浮き彫りにする為に解説を入れたのでしょう。そういう理由から、孔子の言葉を過去形にしました。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様が、「たった一言で裁判の判決を下しても、誰も文句を云う者がいなかったのは、子路くらいのものだったな」とおっしゃった。子路は一度引き受けたことは、決して先送りすることのない、決断力と実行力のある人でした。
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〔 親御さんへ 〕 |
子路はしょっちゅう孔子に叱られたり口答えしたりしておりますから、論語をよく読んだことのない人は、子路をおっちょこちょいで血の気の多いやくざ風の人物と勘違いするかも知れませんが、善悪・正邪をズバリと見抜く明のあるナイスガイでした。こういう人は、媚びたり諂ったり(ゴマをすったりヨイショしたり)することが苦手で世渡りはうまくないけれど、安心して付き合える頼もしい男ですね、日和りませんから。
解説でも述べましたが、子路が孔子から文句無しに褒められているのは、この章くらいのものでしょう、あとは叱られっ放しです。最近は子供を褒めて育てることが流行っておりまして、叱って育てることが蔑ろにされてるようでどうも気になります。褒めることは確かに大切で、これ自体をどうこう云うつもりはありませんが、褒めるのと同じくらい、否、それ以上に叱ることも大切です。
技能を磨くには褒めて育てた方が良いかも知れませんが、人格を磨くには叱って育てた方が良いのではないかと思います。褒められたことは大抵その場限りで忘れてしまうけれども、叱られたことはず一っと覚えていて、その時は理解できなくとも、後々になって「ああ、こういうことだったのか!」と反省することができます。
前回の講義で、学校教育崩壊の前に家庭教育の崩壊がある!社会システムや制度の崩壊の前に必ず精神の崩壊がある!と述べましたが、子供を叱るのは親の仕事であって、教師の仕事ではありません。家では褒めるだけで、学校で叱ってくれ!などと云うのはあべこべなんですね。
ただ、今の親御さんは、上手に叱るというか正しく叱るというか、どうも叱り方自体が分からないようで、怒ることを叱ると勘違いしているのではないでしょうか?怒るのは感情の作用、叱るのは理性の作用なんですがねえ…。大岡越前のテレビドラマによく出て来るではないですか、軽い罪を犯した者を白洲に呼び出して、「叱りおく!」の裁きが下れば一番軽い刑罰で、「以後呉々も留意せよ!」の意味ですからね。道徳に反すること、人の道に悖ることに対しては、「叱りおく」しかできないんですよ、精神的なものだから。
最近は0才児から保育園で預かるそうで、本来母親の役目を保母さん(保育士)が担うことになりますから、保母さんに上手な叱り方をマスターさせないとダメかな?大変だねえ幼児教育科の先生は、正しい叱り方の実技指導もしなければならんとなると。
伊藤先生大丈夫だろうか?お尻ペンペンのやり方も教えなくちゃならんことになるが…。お尻ペンペンの授業の時は、私と登さんとで応援に行きますか!?勿論青陵評議委員の赤羽さんにも同席してもらいます。変な所をペンペンされたら困りますから、監視役で。今度「すくすく育つ上手な叱り方」のガイドブックでも作りますかな?
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