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原文
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棘子成曰、君子質而已矣。何以文爲矣。子貢曰、惜乎、夫子之説君子也。
駟不及舌。文猶質也、質猶文也。虎豹之鞹、猶犬羊之鞹。
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〔 読み下し 〕 |
棘子成曰わく、君子は質のみ、何ぞ文を以て為さん。子貢曰く、惜しいかな、夫子の君子を説くや。駟も舌に及ばず。文は猶質のごとく、質は猶文のごときなり。虎豹の鞹は、猶犬羊の鞹のごときなり。
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〔 通釈 〕 |
衛の大夫棘子成が、「君子は中身が充実していればそれで良い。何も文飾教養など要らん!」と云った。これを聞いた子貢は、「残念ながら貴殿の君子論はちと見当違いですな。
一旦口から出た失言は四頭立ての馬車と雖も取り返すことが出来ないと云います。文と質は表裏一体のものでありまして、文なくして質はなく、質なくして文もありません。もし質だけで良いとするならば、喩えてみれば、貴重な虎や豹のみごとな毛並みを、わざわざ剃り落としてなめし革にしてしまうようなものでありまして、月並みな犬や羊のなめし革と何ら変らなくなるではありませんか!?」と云った。
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〔 解説 〕 |
「駟も舌に及ばず」(一旦口から出た失言は取り消すことが出来ないの意)の出典がここです。駟とは馬+四で、四頭立ての馬車のこと。当時としては最速の乗り物でした。
さすがは頭が切れて弁の立つ子貢、弁舌爽やかですね。虎豹の革と犬羊の革の対比も面白い。雍也第六138章に「質、文に勝てば則ち野。文質に勝てば則ち史。文質彬彬として、然る後に君子なり」とあるように、中身も外見も共に立派でバランスのとれている人が本物の君子、ということでしょう。因みに子貢の意識レベルをキネシオロジーで測ってみると、ログ670と出ますから、猛烈に意識の高い人だったようです。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
衛国の大臣で棘子成という人が、「リーダーに教養はいらん!人柄さえ良ければそれでいい!!」と云った。これを聞いた弟子の子貢は、「それはちょっと云い過ぎです。一度口から出た失言は、早馬で追いかけても取り戻せませんから、口は慎まなければ。人柄の良し悪しと教養のあるなしを組み合わせてみると、一は人柄が良く教養のある人、これはリーダーに向いている。二は人柄は良いが教養のない人、これはサブリーダー向き。三は人柄は良くないが教養のある人、これは専門職として使える。四は人柄も良くないし教養もない人、これは一山いくらのその他大勢で、リーダーにもサブリーダーにも専門職にも使えない。この人達はリーダーなしでは生きて行くことができません。ですからリーダーには人柄が良くて教養の高い人を選ばなければならないのです」と云った。
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〔 親御さんへ 〕 |
「駟も舌に及ばず」と同義の諺に、「綸言汗の如し」(君主(トップ)から出た一言は、汗が再び体内に戻らないように、取り消すことが出来ない)というものがあります。いずれも言葉を慎め!という箴言ですが、ニュアンスは違うけれども、「覆水盆に返らず」(一度してしまったことは取り返しがつかない)というものもあります。
この故事が又面白い。孔子が理想の人物と仰いだ周公旦の盟友に、太公望呂尚がおります。呂尚は読書に耽って妻を顧みなかったので、妻は怒って離縁してしまった。後に呂尚が斉に封ぜられ君主になったことを知った妻は復縁を求めて押しかけて来たが、呂尚は盆を傾けて水をこぼし、「その水を元通り盆に返せば受け入れよう」と云った、という故事から、「一旦離別した夫婦の仲は元通りにならない」ことの喩えとして使われるようになった。
「覆水盆に返らず」の諺は誰でも知っているけれど、こんな面白い故事があるなんて知らなかったでしょう?一度別れた男にしつこく付きまとわれて困っている方は、逃げ回ったりせず、相手の目の前で盆の水をひっくり返して、「この水を元通り盆に戻したら考え直してあげましょう」とやってみたらいい。それでも効き目がなかったら、後は警察に通報しなさい。
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