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原文
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子張問明。子曰、浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂明也已矣。浸潤之譖、
膚受之愬、不行焉、可謂遠也已矣。
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〔 読み下し 〕 |
子張、明を問う。子日わく、浸潤の譖り、膚受の愬え、行なわれざるは、明と謂うべきのみ。浸潤の譖り、膚受の愬え、行なわれざるを遠とも謂うべきのみ。
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〔 通釈 〕 |
子張が、聡明とはどんなことを云うのかを問うた。孔子は「じわじわと浸み込むような譖言(ざんげん)や、膚を掻きむしるような泣訴(きゅうそ)に惑わされず、事実に基づいて冷静に判断するのが聡明と云うものだ。又、そういうことはやっても無駄であることを予め知らしめておくのを、深謀遠慮とも云う」と答えた。
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〔 解説 〕 |
「浸潤の譖り」・水がじわじわと浸み込むような譖り、「膚受の愬え」・身を切られるような悲痛な訴えとはうまい喩えですね。我々凡人はこういうことには極めて弱いもので、知らず知らずその気にさせられたり、惑わされたりしてしまいます。
心理学者に云わせると、三人以上の人に別々に同じことを云われたり、一人の人に三度以上同じことを云われると、嘘であっても「本当かな?」と思ってしまうそうです。
オレオレ詐欺も考えてみれば、あれが膚受の愬えでしょう?「おばあちゃん助けて!オレ殺される!すぐお金振り込んで!!」と。外国ではああいう犯罪は成り立たないそうですね、「人を見たら泥棒と思え!」という性悪説が主流だから。
浸潤の譖りと膚受の愬えを国ぐるみでやっているのが、お隣の中国でしょうか?ありもしない「南京大虐殺」や「万人坑(まんにんこう)事件」をネタに、一体何兆円むしり取られたら気が済むのでしょうか?日本政府は!
本章の孔子の言葉は、子張に向かって答えたものと思わず、日本の政治家及び外務省に向かって発せられたものだと思ったら良い。「論語」も新渡戸稲造の「武士道」もまともに読んだことのない者が、政治家などになってはいけない!今の国会議員で、論語や武士道を読んだことのある人は、一体どれ位いるのでしょうか?
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〔 子供論語 意訳 〕 |
弟子の子張が、「聡明な人とはどんな人のことを云うのでしょうか?」と質問した。孔子様は、「繰返し流されるデマや、巧みな言葉のすり替えに惑わされず、事実に基づいて判断し、信念に基づいて行動する人を聡明な人と云う。デマや言葉のすり替えを真に受けて、噂に基づいて判断し、体裁に基づいて行動する人を愚かな人と云うんだよ」とおっしゃった。
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〔 親御さんへ 〕 |
言葉をすり替えてこじつけることを「詭弁」と云います。勝手に詭(いつわ)り弁じているうちならまだいいのですが、人に信じ込ませて財物をかたり取ると詐欺になる。
前から不思議に思っていたのですが、弁護士の士が「さむらい・もののふ」なのに、どうして詐欺師の師は「先生・師匠」なのでしょうか?詐(いつわ)り欺(あざむ)きを恣(ほしいまま)(肆(ほしいまま・みせ))にする訳だから、「詐欺恣(さぎし)」或いは「詐欺肆(さぎし)」でいいのではないかと思うのですが・・・・・・。それともエスプリのきいた洒落でしょうか?
常人では思いもつかない意表を突いた手口で見事に人を欺いてしまうから、敬意を表して師匠の「師」をつけよう?と。そう云えば、トリックを駆使して観客の意表を突く手品も、手品師とか奇術師と師(先生)を付けるから、詐欺師の師もあれでいいのかな?いやはや、つまらんことでお手間を取らせました。
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