顔淵第十二 292

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原文               
司馬牛問君子。子曰、君子不憂不懼。曰、不憂不懼、斯謂之君子已乎。
子曰、内省不疚、夫何憂何懼。
 
〔 読み下し 〕
司馬(しば)(ぎゅう)君子(くんし)()う。()(のたま)わく、君子(くんし)(うれ)えず(おそ)れず。()わく、(うれ)えず(おそ)れず()(これ)君子(くんし)()うか。()(のたま)わく、(うち)(かえり)みて(やま)しからざれば、()(なに)をか(うれ)(なに)をか(おそ)れん。
 
〔 通釈 〕

司馬牛が、君子とはどういう人物を云うのかと問うた。孔子は、「憂えず懼れないのが君子である」と答えた。司馬牛は、「憂えず懼れないだけで、本当に君子と云えるのでしょうか?」と重ねて問うた。孔子は、「ああそうだ!自ら省みて、心に少しも疚しい所がないならば、何でクヨクヨしたりビクビクしたりする必要があろうか」と答えた。
 

〔 解説 〕

司馬牛は「心配症」で「臆病」な性格だったのでしょう。何度も云うように、孔子は相手の機根や性分に合わせて話のできる対機説法の名人でしたから、前章では司馬牛に「その言や」(しの)ぶ」と云い、本章では「憂えず懼れず」と云っている所から察すると、司馬牛はやはり口が軽く・心配症で・臆病な性格だったようですね。

「孟子」公孫丑(こうそんちゅう)に、昔曽子が孔子から教わった話しとして、『自ら反(かえ)り
みて縮(なお)からずんば、褐寛博(かつかんぱく)(どてらを着た卑しい身分の人)と雖も吾懼れざらんや。自ら反りみて縮くんば(少しも疚しいところがないならば)、千万人と雖も吾往(ゆ)かん!』という有名な言葉が紹介されております。残念ながら論語には「千万人と雖も吾往かん」なる勇ましい言葉は残されておりませんが、強いて挙げるとすれば本章がそれに相当するでしょうか。
 

〔 子供論語  意訳 〕
弟子(でし)司馬(しば)(ぎゅう)が「君子(くんし)とはどんな(ひと)のことを()うのでしょうか?」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「君子(くんし)とは(ひと)(うえ)()つリーダーのことを()う。リーダーはクヨクヨしたりビクビクしたりしない」と(こた)えた。司馬(しば)(ぎゅう)は、「クヨクヨしたりビクビクしたりしないだけで、リーダーになれるのですか?」と(かさ)ねて質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「もちろんだとも!クヨクヨしたりビクビクしたりするのは、(なに)(うし)ろめたいことがあるからだ。(うし)ろめたいことのある(ひと)がリーダーになったら、クヨクヨ・ビクビクがメンバー一人(ひとり)一人(ひとり)伝染(でんせん)する。クヨクヨ・ビクビクが伝染(でんせん)すれば、チーム全体(ぜんたい)沈没(ちんぼつ)してしまう。(うし)ろめたいことがないならば、(なん)でクヨクヨ・ビクビクする必要(ひつよう)があろうか!正々(せいせい)堂々(どうどう)()きなさい!チームを(くさ)らせてはいけません!!」とおっしゃった。
 
〔 親御さんへ 〕

クヨクヨするのを「持ち越し苦労」、ビクビクするのを「取り越し苦労」と云います。多いんですよ、こうゆう人は。済んでしまったことを今更悔やんでも始まらないのに、「どうしてあの時こうしなかったか!?」と、いつまでも気に病んでクヨクヨする。

ならば次はきっと万全の準備で臨むのだろう?と思っていると、万事行き当たりばったりの
成り行き任せ、何の手立ても講じず「ああなったらどうしよう?こうなったらどうしよう?」と気を揉んでビクビクする。挙げ句の果てには、あっちの神様こっちの神様とお伺いを立てて、神様の梯子をする。

最近困るのが「地震雲シンドローム」というもので、ちょっと変った雲を見ると、「地震が来るぞ!地震が来るぞ!」と大騒ぎして周囲にビクビクウィルスを撒き散らす。本人は善意のつもりでやっているのでしょうが、ダンテの「地獄への道はいつも善意で舗装されている」の如く、あれは不安を煽り立てる「風説の流布」という立派な犯罪行為、周りの人は大迷惑します。

皆さんの周りにも結構いるんじゃないかな?当ったためしがないのに、根拠なく妄言を為すオカシナ人が。今度その人に云ってあげたらいい、「あなたのやっていることは風説の流布という立派な犯罪ですよ!三人の人に訴えられると、警察に引っ張られますよ」と。私の古くからの知り合いにも、こういうことの好きな人がおりましたので、「そのうち訴えられるぞ」と脅かしたら、それ以後云わなくなりました。言論の自由を妄言の自由と履き違えてはいけませんな。
 

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