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原文
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作成日 2005年(平成17年)7月から9月 |
執圭、鞠躬如也。如不勝。上如揖、下如授、勃如戰色。足蹜蹜如有循。
享禮有容色。私覿、愉愉如也。
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〔 読み下し 〕 |
圭を執れば、鞠躬如たり。勝えざるが如し。上ぐることは揖するが如く、下すことは授くるが如く、勃如として戦く色あり。足は蹜蹜如として循うこと有(あ)り。享礼には容色有(あ)り。私覿には愉愉如たり。
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〔 通釈 〕 |
主君の使者として訪問国の君主に拝謁する際には、両手で圭を持ち、身をかがめて畏れ謹むように進む。その際、圭が重くて持つに耐えられないというように持つ。圭を上下に動かす場合は、上は揖礼で両手を組む胸のあたりまで、下は人に物を授ける腰のあたりまでの範囲で止める。緊張した顔色はおののく風であり、足はすり足で小股に歩く。
主君からの贈り物を進呈する際には、いくらか顔色もやわらぎ、私的な土産物を捧げる時は、一層なごやかに愉しそうであった。}
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〔 解説 〕 |
圭とは、下臣が君主の代理として他国を訪問する際に、信任の印として君主から授けられる玉のこと。公は九寸、侯は七寸、士は五寸と決まっていたそうで、圭の長さで身分が分かるようになっていたようです。神社の宮司が手にする笏(しゃく)は、圭がルーツなのではないでしょうか? 尚、鞠躬とは「身をかがめて畏まる」の意で、手紙の末尾に記す敬具「敬しんで申す」の代りに使われることもあるようです。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様が殿様の使いで外国を訪問する時は、圭という20cmくらいの棒を両手で持って、深々とおじぎをしながら訪問国の殿様の前に進み出る。この棒は、重い任務を授かっているという印なので、軽くても重そうに持つ決まりがある。相手の話を聞く時は棒を胸の高さに上げ、自分が話す時は棒を腰の高さに下げる。退席する時は緊張した面持ちですり足で歩く。晩さん会になるといくらか緊張もとけ、プライベートなつきあいではぐっとくだけて楽しんだ。
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〔 親御さんへ 〕 |
孔子が魯公の代理で外国を訪問したという記録は、論語のこの章以外どの史書にも見当りません。論語の編者がありもしないことを書くなどとは、ちょっと考えられませんから、きっと君主の使者として外国を訪問したことがあったのでしょう。どの国を訪れたのかは分かりませんが、かなりの大国を訪問した時の記録ではないかと思われます。斉か衛に行った時のことではないでしょうか?
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