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原文
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作成日 2005年(平成17年)3月から6月 |
子曰、可與共學、未可與適道。可與適道、未可與立。可與立、未可與權。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、与に共に学ぶべし、未だ与に道に適くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権るべからず。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「共に同じ道(道理・教え)を学ぶことはできても、共に同じ道を行ずる(実践する)ことは中々できるものではない。共に同じ道を行ずることはできても、同じ認識に立つことは更に難しい。認識を共有することはできても、同じ境地(意識)で運命を共にすることのできる人物は、そう滅多に得られるものではない」と。
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〔 解説 〕 |
こういうことをサラリと云ってしまう所が孔子のすごさでありまして、学ぶ→適く→立つ→権るという言葉を使って、人間の度量と云うか魂進化の度合いを語っているのではないかと思います。
学(がく)を知識、適(てき)を見識、立(りつ)を膽識、権(けん)を覚識に読み換えてみれば、「知識を共にすることはできても、見識を共にすることは難しい。見識を共にすることはできても、膽識(肝っ玉・度胸)を共にすることは一層難しい。膽識を共にすることはできても、覚識(目覚めたる意識)を共にすることは甚だ難しい」となります。
更に、知識を分析力・見識を判断力・膽識を決断力・覚識を洞察力に置き換えてみると、「分析力を共にすることはできても、判断力を共にすることは難しい。判断力を共にすることはできても、決断力を共にすることは一層難しい。決断力を共にすることはできても、洞察力を共にすることは甚だ難しい」となる。
洞察力の上は何なのか?と考えてみますと・・・、「神通力(じんつうりき)」ってことになりますかね。神通力には六種類あって、仏教ではこれを「六大神通力」というそうです。
六大神通力とは、
一、天眼(てんげん)・・・・透視能力・霊視能力
二、天耳(てんに)・・・・・霊聴能力・霊言能力
三、他心(たしん)・・・・・読心能力
四、宿命(すくめい)・・・・過去現在未来を見通す能力・予知能力
五、神足(しんぞく)・・・・幽体離脱能力・テレポーテーション能力
六、漏尽(ろうじん)・・・・巨大な神通力を持ちながら、普通の人と
変らず
、平凡に生きる能力
更にこの上には、「観自在力(かんじざいりょく)」というものがあって、居ながらにして宇宙のあらゆるものごとが手に取るように分かる能力を云うそうですが、ここ迄来ればもう人間ではなくて、神様でしょう。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「同じ教室で机を並べて学んでも、みな進路が同じとは限らない。進路が同じであったとしても、職場まで同じとは限らない。職場が同じであったとしても、一緒に出世できるとは限らない。人間顔形がみな違うように、人にはそれぞれ向き不向き・得意不得意があるのだから、他人と比べてうらやましがったり恥ずかしがったりする必要などない。今日頑張ったごほうびに明日がやって来る!だから明日のことは心配せず、今日一日ベストを尽くそう!!」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
前にも紹介しましたが、TBSのテレビドキュメンタリー「夢の扉」の中で、宮沢りえちゃんが語っているナレーション、「今日頑張ったご褒美に明日がやって来る!」という言葉は本当にいいですね。どんな明日(未来)がやって来るかは、今日(現在)の頑張り如何ってことでしょう?
「ベスト」を尽くすを直訳すれば、「最善」を尽くすとなりますが、昔からの日本語に言い替えると「一所懸命」やる、ということですね。一所懸命の語源は、「賜った領地を命懸けで守る」・「一所に命を懸ける」の意で、鎌倉時代に生まれた成語だそうですが、転じて「物事を命懸けで成し遂げる」の意となり、更に転じて「一生懸命」なる成語が生まれた。
今は「一所懸命」も「一生懸命」も同じ意味に使われておりますが、一生涯命懸けでは身が持たんでしょう。たまには酒でも飲んでホッと一息つく。リフレッシュしてから又頑張る。だから、一所懸命が現実的かつ実践的です。
最近の若いママさん達は、子育てに疲れて子供を殺したり、自殺したりというケースが跡を絶たないようですが、これは一生懸命子育てをやるからではないでしょうか?息を抜かず、必死の連続で子供を育てているからなのではないでしょうか?だからプツンと切れたりボキリと折れたりする。子育ては一所懸命でやればいいんです。時々息抜きをしながら、楽しんでやればいい。
言葉は言霊(ことだま)と云ってそれ自体にエネルギーを持っており、創化力がありますから、「転語」は極力使わない方が良い。なるべく本来の言葉を使いましょう。
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