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原文
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作成日 2005年(平成17年)3月から6月 |
太宰問於子貢曰、夫子聖者與。何其多能也。子貢曰、固天縦之將聖。叉多能也。子聞之曰、太宰知我乎。吾少也賤。故多能鄙事。君子多乎哉。不多也。
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〔 読み下し 〕 |
大宰子貢に問うて日わく、夫子は聖者か。何ぞ其れ多能なるや。子貢日わく、固に天之を縦して将に聖たらしめんとす。又多能なり。子之を聞き日わく、大宰我を知れるか。吾少かりしとき賤し。故に鄙事に多能なり。君子は多からんや。多からざるなり。
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〔 通釈 〕 |
ある国の宰相が子貢に向かって、「あなたの師匠は誠に聖人であられる。何と多能なお方でありましょうか」と云った。子貢はこれに答えて、「はい、誠にその通りでありまして、天がその代理として先生をこの世に遣わされ、天の御心で先生を聖人たらしめようとしているのです。その上多芸にも通じておられます」と云った。
これを聞いた孔子は、「大宰は私のことを本当に知って云っているのだろうか?私は若い頃身分も低く貧しかった為、食わんが為生きんが為に何でもやったのであれこれつまらないことが出来るようになっただけのことだ。一体君子は多芸多能でなければならぬものだろうか?いや、多芸多能である必要などない」と云った。
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〔 解説 〕 |
子貢ははっきりとものを云う男ですから、大宰の話におかしな所があれば、「お言葉を返すようですが」と釘を刺した筈ですが、全く同感の意を示している。子貢程の人物が同意納得しているということは、この時、多芸多能であることが君子(身分の高い人)の必須要件とされていたのかも知れません。
そこを孔子に、「人物の出来不出来と、多芸多能であることは何の関係もない!」と言下に否定されてしまった。この時、子貢は一瞬目が点になってしまったのではないでしょうか?
子貢は他でも目が点になるような答え方をされている場面がありまして、衛霊公第十五でも、「賜や、女(なんじ)は予を以って多く学びて之を識(し)る者と為すか?対えて日く、然り!非なるか?日わく、非なり。予は一以て之を貫く」とある。子貢は猛烈に頭の切れる人でしたから、文飾教養で人を見下す傾向が多分にあったようですが、孔子に、「見てくれよりも中身が大事!」と何度も叱られていたようですね。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
ある国の総理大臣が弟子の子貢に向かって、「あなたの先生は本当に立派な方で、すべて万能でいらっしゃる」といった。子貢はこれに答えて、「おっしゃる通りです。先生は全知全能の神様が代理としてこの世に遣わされた方ですから、すべて万能なんです」といった。これを聞いた孔子様は「そんなことはないよ!私は若い頃大変貧乏だったので、食わんが為生きんが為に何でもやった。それで人よりちょっと器用になっただけだ。立派な人物であることと器用であることは何の関係もないことだ!」とおっしゃった。
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〔 親御さんへ 〕 |
なまじっか器用な為に、人に都合良く使われて大成しない人のことを「器用貧乏」と申します。人に重宝がられますし、喜ばれますから決して悪いことではないのですが、何か一つ本格的なものを修得しておきませんと、本物が現れた途端影が薄れてチンドン屋になってしまいます。
ピアノでも書道でも武道でも野球でも、勿論仕事でも、何か一つはじっくりと基礎から学ばせて、「守(しゅ)」(きほん)をしっかりと身につけさせることが大切です。守が身についていて「破(は)」(応用変化・アレンジ)が可能となり、天分を覚れば「離(り)」(独自の境地)一流の道が拓ける。守を省略して一流になった人は一人もおりません。
親の子に対する責務は、「守」をしっかりと身につけさせる所迄。「破」-「離」は子供自身の問題です。近頃は「守」を蔑ろにして「破」-「離」に奔走している親をよく見かけますが、アベコベですね、あれは。
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