公冶長第五 118

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原文         作成日 2004年(平成16年)2月から3月
顔淵・季路侍。子曰、盍各言爾志。子路曰、願車馬衣裘、與朋友共、
敝之而無憾。顔淵曰、願無伐善、無施勞。子路曰、願聞子之志。

子曰、老者安之、朋友信之、少者懐之。
 
〔 読み下し 〕
(がん)(えん)()()()す。()(のたま)わく、(なん)各々(おのおの)(なんじ)(こころざし)()わざる。()()()わく、(ねが)わくは車馬(しゃば)衣裘(いきゅう)朋友(ほうゆう)(とも)にし、(これ)(やぶ)りても(うら)むこと()からん。(がん)(えん)()わく、(ねが)わくは(ぜん)(ほこ)ること()く、(ろう)(ほどこ)すこと()からん。()()()わく、(ねが)わくは()(こころざし)()かん。()(のたま)わく、老者(ろうしゃ)(これ)(やす)んじ、朋友(ほうゆう)(これ)(しん)じ、少者(しょうしゃ)(これ)(なつ)けん。
 
〔 通釈 〕
顔淵と子路が孔子の側でくつろいでいた時、孔子が「どうだお前達、自分の志を云ってみては?」と云った。
 
子路は「車でも馬でも・上等な衣服でも毛皮の外套でも、友人に貸してボロボロに使い潰されても惜しいと思わない、さっぱりとした人間になりたいと思います」と答えた。
 
顔淵は「善いことをしても誇ることなく、骨折り仕事を人に押しつけない、ほのぼのとした人間になりたいと思います」と答えた。
 
子路が「ひとつ先生の志を聞かせて下さい」と云ったので、孔子は、「老人が安心して暮らせ、友達同士が信じ合い、若者達が打ち解け合える世の中にしたいものだ」と答えた。
 
〔 解説 〕

気負いのないほのぼのとした情景が伝わって来るようです。孔子の志を現代風に云うとすれば、一に老人福祉の充実、二に人権の尊重、三に青少年の社会参画、といった所でしょうか。
 

〔 子供論語  意訳 〕
弟子(でし)(がん)(えん)()()孔子(こうし)(さま)のそばでくつろいでいた(とき)孔子(こうし)(さま)は「どうだ君達(きみたち)自分(じぶん)理想(りそう)()ってみないかね?」と()いかけた。()()は「(くるま)でも上等(じょうとう)毛皮(けがわ)コート(こーと)でも、友人(ゆうじん)()してボロボロ(ぼろぼろ)にされても(はら)を立てない、(こころ)(ひろ)人間(にんげん)になりたいと(おも)います」と(こた)えた。(がん)(えん)は「()いことをしても自慢(じまん)せず、(つら)仕事(しごと)(ひと)()しつけない、(こころ)(あたた)かい人間(にんげん)になりたいと(おも)います」と(こた)えた。()()が「先生(せんせい)理想(りそう)()かせて(くだ)さい」と()ったので、孔子(こうし)(さま)は「お年寄(としより)安心(あんしん)して()らせる社会(しゃかい)、友達(ともだち)同士(どうし)信頼(しんらい)()える社会(しゃかい)、子供(こども)(たち)(ゆめ)()って()きられる社会(しゃかい)にしたいものだね」とおっしゃった。
 
〔 親御さんへ 〕
これからの日本を考えた時、何が一番気になるかと云えば、子供達が将来に夢を持てなくなっていることではないでしょうか。理想とする世界像・理想とする国家像・理想とする社会像・理想とする家庭像・理想とする人間像、つまり、ビジョンを描けなくなったら、国も社会も確実に衰退して行く。
 
サミュエル・ウルマンの「青春」という詩に、『青春とは人生の或る期間を云うのではなく、心の様相を云うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎(も)ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春というのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。・・・・・・』とあります。
 
子供達が夢を持って生き生きとやって行ける社会、これを作ってやるのが大人としての、時代を担う最大の使命ではないでしょうか。グルメがどうの、海外旅行がどうの、マイホームがどうの、ゴルフがどうの・・・、どれもこれも自分のことばっかりで、時代を担う使命など忘れてしまっているんではないですか!?
 
時代を担う使命など私達には関係ない!などとは云わせません!!何故ならば、一人の例外もなく血縁・地縁・人縁・時縁の中で生かされているのですから。しっかり論語に学んで、もうちょっとマシな精神を養いましょうよ!棺桶に入るにはまだ少し間があるようですから。
 
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