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原文
〕 作成日 2004年(平成16年)2月から3月 |
季文子、三思而後行。子聞之曰、再斯可矣。
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〔 読み下し 〕 |
季文子三たび思いて而る後に行う。子之を聞きて曰わく、再びせば斯れ可なり。
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〔 通釈 〕 |
魯の大夫季文子は、何をするにも三度考えてから実行に移した。これを聞いた孔子は「二度考えればいいのではないか?」と云った。
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〔 解説 〕 |
季文子 三桓の一人季孫氏の三代目で、名は行父(こうほ)、文子は諡。孔子が生まれる15〜6年前に亡くなっている。季文子は、魯の宣公・成公・襄公三君に仕えた人で、季文子が亡くなった時の様子を左伝襄公五年の条では、「季文子卒(しゅつ)す。大夫入りて斂(れん)す(納棺した)。公位在り(襄公も参列した)。宰(家宰)家器を具えて葬備(葬式の準備)を為す。帛(はく・絹の着物)を衣(き)るの妾(しょう・女性)無く、粟(ぞく)を食らうの馬無く、金玉を蔵(おさ)むる無く、器備(器具備品)を重ぬる為し。君子是(ここ)を以て季文子の公室に忠なるを知る。三君(宣公・成公・襄公)に相(しょう)たり。しかれども私積(しし・私財)無し。忠と謂わざるべけんや」とありまして、私心のない誠実な人のように見受けられますが、その反面余りにも慎重過ぎて優柔不断と思われていたようです。
孔子は優柔不断を嫌っておりましたから、「再びせばこれ可なり」と謂ったのでしょう。思慮深いことは結構ですが、決断力と実行力が伴わなければ、優柔不断の腰抜け野郎となり、逆に、決断力・実行力があるのはいいが、思慮を欠くと無鉄砲のお騒がせ野郎となる。難しい所ですね、塩梅が。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
魯の国の大臣を務めた季文子は、何度も何度も考えてから実行に移す人であった。これを聞いた孔子様は、「二度考えて実行したらよかろう。考え過ぎるとかえって迷いが生じて決断できなくなるものだ」とおっしゃた。
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〔 親御さんへ 〕 |
「石橋を叩いて渡る」、慎重のうえにこ慎重を期すというのは大切なことですが、「考え過ぎるとかえって迷いが生ずる」と孔子は云う。これは確かにその通りで、誰にも経験があるのではないでしょうか。中々決断出来ないという場合を考えてみると、判断がつかなくて決断出来ないケースと、判断はついたが決断が出来ないケースの二通りあるように思います。
判断がつかないのに決断するというのは新庄選手が鉛筆を転がして一千万円を当てたようなもので、クイズ番組ならそれでいいかも知れませんが、人生の重大局面で右にするか左にするか?さいころを振って決める訳には参りません。判断材料を集めて様々な角度から検討を加えてみる他はありませんね、この場合は。
人が見ると、何をぐずぐずしているのだろうか!?と思いますが、これは優柔不断とは申しません。未だ決断の前段階、判断中なのですから。優柔不断とは判断がついたのに決断しないことを云います。皆さんの周りにも結構るでしょう?このタイプは。
煮えきらない男を称して「女の腐ったような奴」と云いますが、これはペシミスト(慨世家)特有の症状ですね。何でも悲観的に捉えて、「もしああなったらどうしよう?万一こうなったらどうしよう?」と、頭の中では「もし」と「万一」が常に交錯している。「なったらなったでしょうがないじゃないか!その時はその時!!」と云ってもダメなんですね、こういう人は。
慎重さというよりも、基本的には自己保身から来る懐疑心なのでしょうが、優柔不断につける薬は、今の所ないようです。でもまあそう捨てたものではない、優柔不断のお陰で結構金ためているのがいますから。優柔不断の方が、即断即決よりも小金(こがね)を蓄めるのうまいようですね、大金(おおがね)には縁がないようだけれど?
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