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原文
〕 作成日 2003年(平成15年)11月から12月 |
子曰、古者言之不出、恥躬之不逮也。
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〔 読み下し 〕 |
子曰わく、古者言を之れ出さざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「昔の人が軽々しく言葉を口にしなかったのは、やることが云うことに及ばないのを恥じたからである」と。
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〔 解説 〕 |
前に話したかも知りませんが、口先だけで実行の伴わない人間を称して「うどん屋の釜」と申します。うどん屋の釜の中は「湯だけ」、つまり『ゆう(云う)だけ』の人ということですね。
云うだけで飯が食えるのは、落語家と講釈師位のものかと思っておりましたが、近頃は代議士にもいるようですね、うどん屋の釜が。政治家とは元々「やって何文」の稼業の筈ですが、政敵をバカにし・揶揄し・おちょくるパフォーマンスだけが売りの「云って何文型代議士」が外務大臣にまで上り詰めてしまうのですから、びっくりしてしまいます。
子路第十三にもある通り、政治家(士)というものは、「己を行うに恥あり、四方(諸外国)に使い(外交交渉)して君命(国の名誉)を辱(はずかし)めざる人物」のことを云うのですから、いくら英語に堪能でも、気概と理性がなかったら務まらんのですね。
テレビコマーシャルでも云っているではないですか、「河井継之助は気概。小林虎三郎は理性」と。その選挙区から「云って何文の情緒原理主義議員」を出してしまうんですから、河井継之助も小林虎三郎も、墓の中で泣いていますよ、きっと。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「昔の人はムダなおしゃべりはしなかった。どうしてかと云うと、自分が良く出来もしないことを人前でペラペラしゃべるのは、とても恥ずかしいこととされていたからだ。ところで君達はどうかな?」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
我が国は憲法で表現の自由・言論の自由が保証されているのだから、人に迷惑をかけなければ、何を云っても良いではないか!などと思っていたら大間違い。人・時・所を間違うと、何気無い一言がとんでもない混乱を引き起こし、場合によっては殺し合いに迄発展することだってある。
口は禍の元といいますから、「躬(み)の逮(およ)ばざるを恥ず」を肝に銘じて、控えめに言葉を発した方が良いようです。殊に日本人は、確たる理由もなくムード(雰囲気)に左右される「情緒原理主義者」が多いようですから。
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