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原文
〕 作成日 2003年(平成15年)11月から12月 |
子曰、我未見好仁者、惡不仁者。好仁者、無以尚之。惡不仁者、其爲仁矣。
不使不仁者、加乎其身。有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者。
蓋有之乎、我未之見也。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、我未だ仁を好む者、不仁を悪む者を見ず。仁を好む者は以て之に尚うる無し。不仁を悪む者は、其れ仁を為す。不仁者をして其の身に加えしめず。能く一日も其の力を仁に用いること有らんか、我未だ力の足らざる者を見ず。蓋し之有らん、我は未だ之を見ざるなり。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「心底徳行を好む者・心から不徳を悪む者は、そう滅多にいるものではない。徳行を好む者はそれだけで申し分がない。不徳を悪む者は徳行を心掛けるようになるから、不徳者を遠ざけて悪影響を受けないようにする。たとえ一日でも良いから徳行を心掛けるようにするならば、力不足でできない人など未だかつて居たためしはない。私にはできません!と云う人がいるかも知れないが、こと徳行に関しては、自分は未だかつてそういう人にお目にかかったことがない」と。
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〔 解説 〕 |
やる気がないのか?本当に出来ないのか?人にものを頼まれると、条件反射の如く「できません!」と答える人が居ります。「やってもみないのにどうしてできないと分かるのか?」と問いますと、ああでもないこうでもないと、よくもまあ考えつくわいと思われる程できないことの理由を挙げて来ます。
「もう分かったから、ひとつできないことを証明してみろ!」と云いますと、「やれ!ということですか?」と聞いて来ますから、「やってみなければ、できないことを証明できんだろう!?」となりまして、嫌が応でも当人はやらざるを得なくなる。
やればやったで失敗して恥をかきたくありませんから、そこそこの結果を出す。「○○君、いつ頃証明ができそうかね?」と冷やかしの一つも云ってやれば、「イヤー、できません!というのは簡単なように見えて、実は大変難しいことなんですね。やってみます!と云う方が簡単でした」と相成る。
「出来ません!」が口癖の人に対しては、「君は一体やる気があるのか?ないのか?」などと回りくどいことを云わず、「ならばできないことを証明してみろ!」突っぱねて、嫌が応でもやらざるを得ないように仕向けてやった方が、本人の為にもなり会社の為にもなるようですね。
できないことの理由をすべて証明し尽くすことなど、一生かかったってできるものではありません。ですから、「できないことを証明してみろ」とは、「できることを証明してみろ」と同じことを云っているんですね、結果的には。
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〔 一言メッセージ 〕 |
『出来ません!と云って逃げ回るな!やってみます!と云って引き受けてみろ。
窮すれば通ずるものだ』
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「人の喜ぶことを進んでやるのと、人の嫌がることは決してやらないのと、どっちが立派なことかといえば、もちろん人の喜ぶことを進んでやる方が立派だね。朝起きたら、今日一日一つでも良いから人に喜ばれることをしよう!と声に出して唱えていれば、必ず実行できるようになる。善いことをやるのに遠慮はいらない。善いことはやればやるほど勇気が湧いてくるものなんだよ」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
私達が子供の頃はテレビがありませんでしたから、「桃太郎」とか「一寸法師」・「花さか爺さん」・「舌切り雀」等の童話を読んでもらって、目を輝かせたものですし、「鞍馬天狗」や「赤胴鈴之助」の映画を見て、心踊らせたものですが、考えてみれば、どれもこれも勧善懲悪物(善事を勧め悪事を懲らしめる物語)ばかりでしたね。
今の子供達はどんなものを見たり聞いたりしているのでしょうか?「アンパンマン」でしょうか?「ドラエモン」でしょうか?「犬夜叉」でしょうか?「名探偵コナン」でしょうか?せめて小学校の低学年位迄は、勧善懲悪物で押し通すべきではないでしょうか。小さい頃から、「善いことをすれば喜ばれ、悪いことをすれば罰を受ける」ことが刷り込まれていれば、そういう悪いことはできなくなるものですね。
子供の頃の話しで思い出しましたが、確か小学生の頃に「お富さん」という歌が流行りまして、この歌を歌うと祖母にえらく叱られた記憶がありますが、あれは一体何だったのでしょうかねえ?お釈迦様をおちょくったような歌詞がいけなかったのでしょうか?それとも強請(ゆすり)の場面を扱った所がいけなかったのでしょうか?お富さんは歌舞伎「与話情(よわなさけ)浮名(うきなの)横櫛(よこぐし)」の登場人物だと聞いておりますが、詳しい方がおられたら教えて下さい。
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