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原文
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作成日 2003年(平成15年)7月から
10月 |
季氏旅於泰山。子謂冉有曰、女弗能救與。對曰、不能。子曰、嗚呼、
曾謂泰山不如林放乎。
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〔 読み下し 〕 |
季氏泰山に旅す。子、冉有に謂いて曰わく、女救うこと能わざるか。対えて曰わく、能わず。子曰わく、鳴呼、曽ち泰山を林放にも如かずと謂えるか。
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〔 通釈 〕 |
家老の季孫氏が泰山の祭をしようとした。孔子は、当時季孫氏の執事していた弟子の冉有を呼んで「泰山の祭は魯公だけに許されるもので、大夫の季孫氏がやるのは非礼極まりない。お前からそのことを申し上げて、主人の非礼を思い止まらせることはできぬのか!?」と云った。
冉有は「最早決まったことですので、如何ともできません!」と答えた。孔子は「ああ、泰山の神が林放にも劣るというのか。林放でさえ礼の本質を学んでいるというのに、嘆かわしいことだ」と云った。
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〔 解説 〕 |
冉有とは冉求のことで、政治に優れた孔門の十哲の一人。泰山とは現在の中国の山東省にある名山。旅とは山の神を祭ることで、魯公(諸侯)が祭ることとされていた。天子は天下の名山を祭り、諸侯は自国領内の名山を祭る慣わしがあったようです
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〔 子供論語 意訳 〕 |
家老の季孫氏が、殿様だけが主催することのできる泰山祭を勝手にやろうとした。孔子様は、この時、季孫氏の家来をしていた弟子の冉有を呼んで、「泰山祭はお殿様のやる祭なのだから、ご主人に申し上げて中止できないのかね?」と聞いた。冉有は「主人がご自分で決められたことですので、私がとやかく云うことはできません」と答えた。孔子様は、「ああ残念だ。弟子の林放でさえ分相応の礼儀・礼節を勉強しているというのに、分不相応の祭を行なおうとしている季孫さんに一言も云えないなんて」と溜息をついた。
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〔 親御さんへ 〕 |
私の子供の頃は新潟祭りを「川祭り」と云って、万代橋が開通した8月23日に川の神様をお祭りするものであったようです。新潟市内の町名に、西堀・東堀・新堀・一番堀・上大川前・下大川前等々、堀や川の名称が付いているように、昭和39年の新潟国体迄は、市内の至る所が水郷でつながっておりましたから、信濃川とは縁を切っても切れない土地柄だったんですね。
40才前の人達は、堀と柳の風情など知らんでしょうが、天領で歴史的文物の殆どない新潟を蘇らせるには、オランダの水郷に負けないくらいの水郷をもう一度堀り直して、柳を植えて、うんと粋で・お洒落で・垢抜けした街並みにする他はないんではないでしょうか。
古町を中心とした新潟島は、商業の街としては完全に死んでしまいましたから、新潟市民を呼び込もうなどというケチな考えは止めにして、全国から否世界から見物に来るような、粋で洒落た街をつくってみたらどうでしょうかねえ。
風がないから風車は無理としても、街中に水車を並べてもいいんではないですか?堀と柳と・・・あとは古町芸者ですかね、新潟は。最近の若い娘は芸者になりたがりませんから、ウラジオかナホトカに行って、金髪で青い目のロシア娘をじゃんじゃんスカウトして来たら良い。
芸名がナターシャとかエカテリーナなんていうのも、粋じゃないですか。「ハラショハラショ♪ハラショノロンロン♪♪」なんていうロシア語の歌もあるぐらいだからね、新潟は。当会でも押した篠田昭に三期位市長をやらせれば、きっとやると思いますよ、堀と柳とナターシャくらいは。彼は生粋の新潟っ子ですし、旅館の次男坊ですからね。
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