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原文
〕 作成日 2003年(平成15年)7月から
10月 |
林放問禮之本。子曰、大哉問。禮與其奢也寧儉。喪與其易也寧戚。
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〔 読み下し 〕 |
林放礼の本を問う。子曰わく、大なるかな問や。礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ。喪はその易らんよりは寧ろ戚めよ。
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〔 通釈 〕 |
門人の林放が礼の本質を問うた。孔子は、「これはいい質問だ。礼式は華美にするよりは寧ろ慎ましくやるが良かろう。喪礼の場合も、体裁を整えるよりも寧ろ心から哀悼の誠を捧げるようにしなさい。形よりも心を尽くすこと、これが礼というものの本質だ」と答えた。
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〔 解説 〕 |
林放は魯の人で、孔子の門人であったと伝えられますが、史記「弟子列伝と」には出て来ません。礼楽の大家孔子は、礼式は派手にせず質素を旨とせよ!と述べておりますが、当時の礼は、大げさで華美で形式主義に流れていたのでしょう。
墨子(ぼくし)から「厚葬を計るに、多く賦財を埋むるものなり。久喪(服喪)を計るに、久しく事に従うを禁ずるを為すものなり。これを以て富を求むるは、これ譬えば耕を禁じて穫を求むるが如し」と、激しく非難されております。セレモニーというのは、放っておくとどうしても形式主義・前例主義に流れるもののようですね
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〔 一言メッセージ 〕 |
『セレモニーは放っておくと、一層大げさで・華美で・形式に流れる。
だから時折本来の意味を問うて、意味のないものは省け』
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〔 子供論語 意訳 〕 |
弟子の林放が儀式のやり方を質問した。孔子様は、「これはいい質問だね。儀式は派手にやらず控え目にしなさい。葬式なども大げさにせず内々でつつましくやりなさい。形式よりも中身が大切なんだからね」とおっしゃった。
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〔 親御さんへ 〕 |
日本仏教の仕来たりや作法のなかで、一体どんな意味があるのかさっぱり分からないものの代表格に、死人に付ける「三角(さんかく)頭布(ずふ)」なるものがあります。死に装束の一つで額に付ける例のやつ、お化けのトレードマークですね。坊さんや仏教研究家に聴いても、「魔除け」では?とか「日除け」では?とか「目印」では?などとバラバラで、一向にはっきりと致しません。
仏教事典や葬儀事典を引いても、ズバリ!と答えておりません。三角頭布を最初に付けた時は、何らかの意味があってやったのでしょうが、今はその意味が忘れられて、形だけが残っている訳ですね。
因みに、「線香」のルーツは、釈迦が山中で瞑想修行する際の虫除けに薬草を焚いたのが始まり、「払子(ほっす)」は、元々蝿や蚊を追い払う為の道具だったといいますから、今で云えば「ハエタタキ」が法具(仏具)に変わったようなものでしょう。
ということは、禅宗の坊さんは、蚊取り線香を焚いてハエタタキを振り回しながら、「ナムカラタンノトラヤーヤ!」とやっている訳ですか・・・?笑っちゃいますね。エッ?あれは振り回すものではなくて、首の後ろに差しておくものですか?余計笑っちゃいますねえ、ハエタタキをアクセサリーにしているなんて。こんなことは「知らぬが仏」で良いのかも知れません。
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