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原文
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作成日 2003年(平成15年)5月から7月 |
子曰、視其所以、観其所由、察其所安、人焉廋哉。人焉廋哉。
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〔 読み下し 〕 |
子曰わく、其の以す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察れば、人焉んぞ廋さんや。人焉んぞ廋さんや。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「一にその人の行為をよく注意して視(み)る。二にその行為の拠って来たる原因・動機を観(み)る。三にその人がどんな所に安らぎを求めているかを察(み)る。この様にすれば、その人の正体はすっかり分かってしまうものだ。どうして隠せようか」と。
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〔 解説 〕 |
これが孔子流「人物鑑識法」ですが、この視る−観ずる−察するという方法は、孔子以来、人物を見抜く際の鉄則となったようでありまして、史記(司馬遷(しばせん)による中国古代の歴史書)の魏(ぎ)世家(せいか)に、魏の文侯(ぶんこう)(戦国時代)に仕えた李克(りこく)という政治顧問が述べた「五観法」と云う有名な人物鑑識法があります。人物を見抜く上で現代でも立派に通用すると思われますので、以下に紹介してみましょう。
一、「居ればその親しむ所を視る」
*不遇の時にどんな人と親しくしていたかを見る。
(付き合っている人達の人品骨柄を見れば察しがつく)
二、「富めばその與(くみ)する所を視る」
*裕福になった時にどんな人やどんな物に金や時間を 割いたかを見る。
(安んずる所・どこに安逸を求めているかが分かる)
三、「達すればその挙(あ)ぐる所を視る」
*出世した時にどんな人物を推挙したか、どんな人を登用したかを
見る。(本人の眼力が分かる)
四、「窮(きゅう)すればその為さざる所を視る」
*窮地に陥った時に苦しまぎ0れに不正を働かなかったか、悪あがきを
しなかったかどうかを見る。 (為す所・節操の有る無しが分かる)
五、「貧しければその取らざる所を視る」
*貧乏した時に邪(よこしま)な稼業に手を染めなかったか、餓鬼に
ならなかったかどうかを見る。 (拠る所・志が分かる)
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〔 一言メッセージ 〕 |
『人を見抜くには、行為・動機・安逸の三つを見よ!』
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「その人の人柄をつかむには、まず普段どんな行ないをしているかを見なさい。次にどうしてそういう行ないをするのか?
その理由を考えてみなさい。最後にその人が一番好きなことは何か?を調べてみなさい。この三つの方法で観察すれば、ごまかそうったってそうは行かないんだね」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
人と接していて、この人の意図はどこにあるのだろうか?どんな思惑があるのだろうか?と考えさせられたことはありませんか?私達は人を判断する際に、どうしても容姿や言語つまり、視覚や聴覚だけに頼って判断しようとしますが、どうもこれが間違いの元のようですね。
実は孔子もこれで失敗しているんです。容姿の方では、澹台(たんだい)滅明(めつめい)という人物が入門して来た時、余りにも容貌が醜かった為に「大したことはなかろう!?」と高を括っていたら、実は正道を貫く大人物であった。
言語の方では、宰我(さいが)の弁舌を信じて立派な人物であろうと思っておったら、行ないがデタラメで手が付けられなかった。澹台滅明も宰我も、これから論語に登場して来ますから、お楽しみに。殊に、宰我などは孔子にこっぴどく叱られています。
人を見抜くには、容貌や言語に惑わされず、
一、日頃の行ないを注視する。
二、その行為の拠って来たる動機を観取する。
三、どんな物や事に安逸を求めているか(安らぎ楽しんでいるか)を
観察する。
という三つの方法が有効なようです。
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