為政第二 017

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原文                               作成日 2003年(平成15年)5月から7月
子曰、爲政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(まつりごと)()すに(とく)(もっ)てすれば、(たとえ)北辰(ほくしん)()(ところ)()りて 、(しゅう)(せい)(これ)(むか)うが(ごと)し。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「為政者が徳治を以て政治を行えば、喩えば北極星を中心に天体が寸分の狂いなく回転運動をするように、百官(役人達)は一糸乱れず仁政に励むようになるものである」と。
 
〔 解説 〕

徳治とは、字面通りに解釈すれば、徳(仁・義・礼・智・信)に基づいて治める、となりますが、その中でも、すべての徳の土台(徳はすべて仁ベース)である仁に基づいて政治を行う所謂「仁政(思いやりの政治)」と、考えて良いでしょう。

<序>の『論語開眼』で、人物の大きさを家に喩えて、「徳」と「中庸」の関係を説明致しましたが、その際に、仁の土台の深さこそが、只今現在のあなたの正体である!と述べました。

仁とは分かり易く云えば「人を思いやるに素直であれ!」つまり、「利他の愛・与える愛」ということですが、人間は一体どこ迄深く仁の土台を掘り起こすことができるのでしょうか?

 仁の0段階(仁の端)
 男女の愛・親子の愛等、生まれつき具わっている本能的な愛(無意識の愛)で、
    厳密に云えば仁とは云わない。仁とは、感情に意識(知性・理性・悟性)の
 伴ったものと考えて良いでしょう。


 仁の第一段階(地下一階)「孝悌(こうてい)」
 親に孝行目上に悌順、つまり、『親や目上に対する仁』 
 (孝悌なる者は其れ仁を為すの本か・血縁の仁)。

 仁の第二段階(地下二階)「恭敬(きょうけい)」
 恭(うやうや)しくて敬(つつし)み深い、つまり『友人・同僚を思いやる仁』
 キリスト教で云う隣人愛と考えて良いでしょう。(地縁の仁)

 仁の第三段階(地下三階)「忠恵(ちゅうけい)」
 忠(まめ)やかで恵み深い、つまり『人を生かす仁』
 部下・後輩を育て生かす仁。指導者・リーダーとしての
 最低要件と考えて良いでしょう。 (人縁の仁)

 仁の第四段階(地下四階)「寛恕(かんじょ)」
 度量が寛(ひろ)くて咎め立てしない、つまり、『人を許す仁』
 慈悲深くて広く世に長たるの仁。 (時縁の仁)

ここまで来れたら仁のプロ・利他愛のプロ・将に将たるの人物と云っていいかと思いますが、人を許すというのは本当に難しいものです。殊に恩を仇で返されたり、飼犬に手を噛まれるような事態に遭遇した時など、腸(はらわた)が煮えくりかえるような思いがするものですが、ここをぐっとこらえて「天を怨みず人を尤(とが)めず」の心境になれるか?と云えば、ちょっとやそっとのことでは腹の虫が治まらないのではないでしょうか。

ただ、どうもここいら辺が凡人と大人物の分かれ目のようでありまして、私(わたくし)事で憤っているようでは、まだまだ尻が青いということでしょう。寛恕とは、私憤(しふん)を度外視して公憤(こうふん)・公の為(世の為人の為)に憤ることですから、さしづめ政治家たるの必要十分条件ということになるのでしょうが、今の政治家の中に居ますでしょうか?こういう人物が。

 仁の最奥第五段階(地下五階)「忠恕(ちゅうじょ)」
 忠(まこと)と思いやりの塊(かたまり)、つまり、『救世の仁』
 衆生済度・人類救済の仁(究極の仁)。まあ、釈迦や孔子やイエスの
ような、
   特別の使命を授かった聖人に求められる仁、と云ったらいいでしょうか。
   民族を越え・国境を越え・時代を越えて人類を照らし続ける巨大な
 光の塊(かたまり)と云ったらいいのでしょうかね、この人達の存在は。

忠恕とは、救世主としての仁と考えて良いかと思いますが、ここ迄は普通の人には求められませんね。愛する肉親を捨て、流浪し、磔(はりつけ)にされても使命を果たせ!とは、神様もお命じにはならんでしょう、我々凡人には。ただ、人類の中でかつてここ迄到達した偉大な人物がいたのだ、ということ位は知っておいても良いでしょう。

さて、仁の土台の深さにも、「孝悌」・「恭敬」・「忠恵」・「寛恕」・「忠恕」の五段階あることが分りましたが、私達は一体どこを目標にしたら良いのでしょうか?今世縁あって論語に出会い、
人類の師表たる孔子の教学に触れている訳ですから、第三段階「忠恵」(指導者としての最低要件)迄は必達目標にしたい所ですね。

第三段階「忠恵」・人を生かす仁は充分にマスターしたと思われる方は、次の第四段階「寛恕」・人を許す仁を挑戦目標にしたら良いでしょう。

当会でも、ここに挑戦できそうな人が何人か出て来たようですから。残念ながら、仁に関しては、一足飛びという訳には行かないんですね。一段一段踏み固めながら進む他はないのです。人を育て生かしたことのない人には、許すとはどういうことか?本当の所が分からないものなんです。
 

〔 一言メッセージ 〕
『我々は、今、地球学校に、仁の体験学習に来ているのだ!
 ということを忘れるな!!』
 
〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(うえ)()(ひと)(おも)いやりをもってリードすると、丁度(ちょうど)北極(ほっきょく)(せい)中心(ちゅうしん)(おおく)くの(ほし)(まわ)っているように、いつの()にかチームワークがとれて、自然(しぜん)にみんなが協力(きょうりょく)しあうようになる」と。
 
〔 親御さんへ 〕

徳治とは仁政のことであり、仁政とは思いやり政治のことである、などと云っても、今の若い人にはピンと来ないかも知れません。リーダーシップを例にとりますと、実践躬行・陣頭指揮に当るのが理想のリーダー像として思い浮かぶのではないかと思いますが、実はこれは大したことではないんですね。勿論、口先だけで何もしないリーダーよりは遥かにましですが、リーダーとして一流とは云えません、二流です。

部下が実践躬行できるように動機づけ・チャンスを与え・環境を整え・助けてやる、つまり、
部下が自ら考え自ら行動できるよう、自分の持てるものを捧げ尽くすことのできる人、これが一流のリーダーなんですね。

部下への奉仕者と云うか召使と云うか、サーバント・リーダーシップ(奉仕する者としてのリーダーシップ)を発揮できる人こそが、本物のリーダーなのです。

部下に私用を云い付けたり、ふんぞりかえって顎(あご)でこき使ったり、人から奉仕してもらうのが上に立つ者の役得だ!?などと思ったら大間違いです。その逆です。

偉大なるリーダーとは、偉大なる奉仕者・偉大なる召使の代名詞なんですね。釈迦も孔子もイエスも、人類同胞の為に生涯を捧げ尽くしたグレートサーバントだったんです。人の何十倍も苦心惨憺したんですね。地球人は、かつてこういう偉大な先輩がいたということを、誇りに思って良いの
ではないでしょうか。
 

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