郷黨第十 252

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原文                   作成日 2005年(平成17年)7月から9月
焚。子退朝曰、傷人乎。不問馬。
 
〔 読み下し 〕
(うまや)()けたり。()(ちょう)より退(しりぞ)いて(のたま)わく、(ひと)(そこな)いたりやと。(うま)()わざりき。
 
〔 通釈 〕
孔家の厩が火事で焼けた。朝廷から急いで帰った孔子は、「人に怪我はないか?」と云った。馬のことは何も聞かなかった。
 
〔 解説 〕

孔子この時53〜4才と思われますが、家には誰がいたのでしょうか?記録には何も残っておりませんが、推測するに、妻の幵官氏、息子の鯉夫婦と孫の伋(子思)、弟子と使用人数名といったところでしょうか?娘の嬈(じょう)は公冶長に嫁いでいたから不在でしょう。

なんで火の気のない厩から火が出たのか不思議ですが、孔子の政治改革に反対する政敵も少なからずいたでしょうから、もしかしたら狙われたのかも知れません。孔子も「もしや!?」と思ったのではないでしょうか?だから、帰るなり「人に怪我はないか?」となった。(考え過ぎかな?)

マッチもライターもない当時、どうやって火を得ていたかと云うと、「燧(すい)を切る」といって、木の棒を板の上で素早く回転させ、摩擦熱で火を起こしていたようですが、石英に鉄片を
打ちつけて火を起こす「火打石(燧石ひうちいし)」が使われるようになるのは、鉄が発明されてからになります。

孔子の頃は、既に鉄が武器や農具に使われておりましたから、もしかしたら、火打石が使われていたかも知れません。中国は石英の宝庫ですからね。「もしかしたら?」ばかりですみません。記録がないものですから。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)(いえ)(うま)小屋(ごや)火事(かじ)()け、大切(たいせつ)(うま)()んだ。()らせを()けた孔子(こうし)(さま)(いそ)いで勤務先(きんむさき)からもどり「(だれ)もケガはないか!?」と、一人一人(ひとりひとり)無事(ぶじ)確認(かくにん)すると、「よかった、よかった!」といったきり、(うま)のことは(なに)()かなかった。
 
〔 親御さんへ 〕

この頃、馬は貴重な財産の一つで、大夫のステータスシンボルと考えられておりましたから、当然馬番がいた筈ですが、孔子は何も咎め立てしなかったようですね。当時の馬一頭は、今のベンツ一台分位の値打ちがあったのではないかと思います。自分のベンツをポンコツにされて、「怪我がなくて何より!」などと云えますかね?やはり大物だね、孔子は。
 

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