子罕第九 221

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原文               作成日 2005年(平成17年)3月から6月
子貢曰、有美玉於斯。韞匱而藏諸、求善賈而沽諸。
子曰、沽之哉、沽之哉。我待賈者也。
 
〔 読み下し 〕
()(こう)()わく、(ここ)()(ぎょく)()り。(ひつ)(おさ)めて(これ)(ぞう)せんか、(ぜん)()(もと)めて(これ)()らんか。()(のたま)わく、(これ)()らんかな、(これ)()らんかな。(われ)()()(もの)なり。
 
〔 通釈 〕
子貢が、「ここに美玉があるとして、先生はこれを箱に入れてしまっておかれますか?それとも目利きの商人を探して売りますか?」と問うた。孔子は、「ああ売るとも売るとも!私は目の利く商人を待っているのだ」と答えた。
 
〔 解説 〕

美玉を孔子に、善賈を明君に、沽るを仕官に喩えた子貢の問いかけですが、孔子が魯の定公に仕えるのが51才ですから、この問いかけは孔子の仕官前、つまり50才前のものと云うことになる。子貢がいつ入門したのかはっきりと分かっておりませんが、子貢は孔子より31才年下ですから、この問いかけは子貢19才以下のものということになります。

すごいねえこの人は。いますかねえ?現代に、このような気のきいた問いかけをする若者は!?「ここに美玉があるとするじゃないですか!?箱に入れてしまっておくとするじゃないですか!?宝の持ち腐れになるとするじゃないですか!?」程度じゃないのかねえ、今の子は。いやいや、こう云ってはいけない!後の231章に「後生畏るべし」が出てきますから、将来を期待することにしましょう。

それよりも、「四十五十にして聞くことなくんば、斯れ亦畏るるに足らざるのみ」ですから、一向にうだつの上がらない自分自身のことを心配した方が良さそうですね。私の19才当時といえば、道玄坂に飲みに行くか、雀荘に行くかでしたから、みっともない話しでしたね。そう云えば、金がないから「くじら屋」によく通ったものですが、今もありますかねえ?捕鯨禁止で、さぞかし高くなったんだろうね?
 

〔 子供論語  意訳 〕
弟子(でし)()(こう)孔子(こうし)(さま)()かって、「ここに(うつく)しい宝石(ほうせき)があるとして、先生(せんせい)(はこ)()れて(かぎ)をかけてしまっておかれますか?それとも値打(ねうち)ちの()かる商人(しょうにん)がいたら()りに()されますか?」と質問(しつもん)した。これに(たい)して孔子(こうし)(さま)は、「これはうまいたとえだなあ!もちろん()るとも。(わたし)()()ちを()って使(つか)ってくれる殿様(とのさま)がいたら、(よろこ)んで(つか)えるよ」とおっしゃった。
 
〔 親御さんへ 〕

子貢がこの質問をしたのは、幾つの時か分かりますか?二十前なんですよ、これが!驚きですね、この人は。俊傑ひしめく孔子門下にあって、子貢は後に「言語の人」として称えられた人物ですが、これ位でないと「言語の人」とは云われないんでしょうね。弁の立つ人は何処にでもいるけれど、ズバリと核心を突いていながら、巧みな比喩で表現に深い味わいを添えるという人は、そう滅多にいるものではありません。

学而第一15章で子貢は、詩経の「切磋琢磨」を引用して孔子に質問している所を見ますと、天賦の才のみならず、磨きに磨きをかけて言語の才能を開花させて行ったのでしょう。商才があって・学問に通じ・頭が切れて・弁が立つ、子貢のような人物を近代に求めるとすれば・・・、渋沢栄一がこれに当たるでしょうか。
 

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