子罕第九 220

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原文               作成日 2005年(平成17年)3月から6月
子疾病。子路使門人爲臣。病間曰、久矣哉、由之行詐也。無臣而爲有臣。
吾誰欺。欺天乎。
且予與其死於臣之手也、無寧死於二三子之手乎。
且予縦不得大葬、予死於道路乎。
 
〔 読み下し 〕
()(やまい)(おもき)なり。()()門人(もんじん)をして(しん)たらしむ。(やまい)(かん)なるときに(のたま)わく、(ひさ)しいかな、(ゆう)(いつわり)(おこ)なうや。(しん)()くして(しん)()りと()す。(われ)(たれ)をか(あざむ)かん。(てん)(あざむ)かんか。()(われ)()(しん)()()なん()りは、無寧(むしろ)二三子(にさんし)()()なんか。()(われ)(たと)大葬(たいそう)()ずとも、(われ)道路(どうろ)()なんや。
 
〔 通釈 〕

孔子の病が重くなり危篤状態に陥った。子路は孔子の葬儀を立派なものにしようと思って、門人達を家臣に仕立てて役を割り振った。

危篤状態から脱して小康を得た孔子がこれに気付いて云った、「由よ、お前は久しい間いつわりを行なって来たのだなあ。私には家臣などいないのに、門人達を家臣のように見せ掛けて、一体誰を騙そうというのか?天でも騙そうというのか!?そんなことできる筈がないではないか。

私は大夫として家臣に看取られて死ぬよりは、寧ろお前達の手に抱かれて死にたいものだ。たとえ立派な葬儀はできなくとも、まさか道路で野垂れ死にすることもあるまいよ」と。
 

〔 解説 〕

この時孔子は本気で子路を叱った訳ではないでしょう。師を慕う子路の気持は充分分かっていますから、「お前って奴は!」という所だったのではないでしょうか。「予(われ)」という言葉が繰返し使われておりますから、「私の本当の気持はね!」ということを強調したかったのではないかと思いますが、「且つ予其の臣の手に死なんよりは、むしろ二三子の手に死なんか」というのが孔子の本音でしょう、「ありのままのお前達でいいんだよ!」というのが。

子路を始め周りにいた弟子達は、孔子のこの言葉を聞いてみんな泣いたのではないでしょうか、「俺達はこんなにも先生に愛されていたのか!?」と。結語に「予道路に死なんや」と深刻な文言がある所を見ますと、魯に帰国してからの事ではなくて、明日をも知れぬ亡命中の旅先での出来事でしょう。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)病気(びょうき)(おも)くなり、危篤(きとく)状態(じょうたい)になった。弟子(でし)()()は、かつて()(こく)大臣(だいじん)をしていた先生(せんせい)葬儀(そうぎ)立派(りっぱ)なものにしようと、弟子(でし)(たち)をにわか家来(けらい)仕立(した)てて、それぞれに役目(やくめ)()()った。病気(びょうき)()(なお)した孔子(こうし)(さま)はこれに気付(きづ)いて、「やれやれ(ゆう)()()())よ、そんなに見栄(みえ)()ることはないんだよ。(いま)家来(けらい)などいないのだから、そんなお芝居(しばい)はやめてくれ!(かみ)(くに)(かえ)るのに、神様(かみさま)をだまそうったってそうは()かないよ。(わたし)本当(ほんとう)気持(きもち)はね、大勢(おおぜい)家来(けらい)()(まも)られて()ぬよりは、ありのままのお前達(まえたち)()(いだ)かれて()にたいのだよ。立派(りっぱ)葬儀(そうぎ)などできなくとも、お(まえ)(たち)がいる(かぎ)り、道路(どうろ)()たれ()にすることもあるまい」とおっしゃった。
 
〔 親御さんへ 〕

江戸時代の「手習所(てならいどころ)」では、論語は子供でも読み下し文と語釈(単語の解釈)しか教えなかったようで、それでも充分意味が通じたと云います。通釈文のようなものを付けないと読めなくなってしまったのは、明治の後半になってからだそうで、洋学が入って来てから急激に漢文の読解力が衰えて行ったのでしょう。

明治と云えば、明治43年成功雑誌社刊「新論語」に、地元新潟(中之口村)出身故小柳
司氣太(しげた)先生の名訳がありますので一つ紹介してみましょう。

「夫子将(まさ)に魯に返らんとするの時、疾病にかかりて頗(すこぶ)る危篤の状態なりしかば、子路はせめて夫子を従来の如く大夫の資格もて葬らばやと思ひ、その門人をして家臣の名を冒(おか)さしめたり。病少しく怠(おこた)りしとき、夫子ふと之を聞き給いお仰せられるよう、『さてさて子路こそ自分の知らぬ永き間に、世を欺き人を詐(いつわ)りたることを行ふたる者かな。自分最早大夫の資格にあらず、されば家臣などあるべきにあらぬこと、世間誰しも知ることなり。虚栄を張らんがために、かかる白々しき詐りを行ふとも、誰か信とすべき、天を欺く者とこそいふべけれ。且つ我れをして家臣あらしむとも、その手に死ぬるよりは、むしろ弟子(ていし)の看護を受けて死すること、はるかに勝れり。且つまたたとい大夫の礼葬を得ずとも、我が弟子などが我をこの道路に遺棄する者あるべきかは』と。深く子路が一時の私情に駆られて、公道顧みざるを戒めたる者なり」。
 

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