泰伯第八 196

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原文          作成日 2004年(平成16年)11月から2005年(平成17年)2月
子曰、民可使由之。不可使知之。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(たみ)(これ)()らしむべし。(これ)()らしむべからず。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「人民を政道に従わせることはできるが、一人一人にその内容を理解させることは難しい」と。
 
〔 解説 〕

2500年前の封建時代も民主主義下の現代も、一般大衆の政治に対するセンスは、さほど変わっていないようです。ここでは「之」を政道と解しましたが、「伝統文化」ととっても「社会の習慣や規範」ととっても良いでしょう。

この章を「人民は黙って政治につき従わせておくべきで、いちいち内容を説明すべきものではない」と曲解している人に時たま出会わしますが、これは可(べし)・不可(べからず)を命令形(〜せよ!〜するな!)と勘違いしているんですね。(残念ながら日本の官僚は皆勘違いしているようですが)ここで使われている可(べし)・不可(べからず)は可能形で、できる・できないの意味です。

この文章に雍也第六141章をつないで読むと、一層意味合いがはっきりするのではないでしょうか。「民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。中人以上は以て上(かみ)を語るべきなり。中人以下には、以て上を語るべからざるなり。(人民を政道に従わせることはできるが、一人一人にその内容を理解させることは難しい。何故かと云うと、中根以上の人には高尚なことを云っても理解できようが、下根の人には高尚なことは中々理解できないからである)」と。

論語の各章は、結論だけズバッと語られているものが殆どですから、他の章の文言を持って来てつなぎ合わせると、意味が一層鮮明になる所が結構あります。論語の篇立ては一応内容の似通ったものでまとめてありますが、中には行き場を失って紛れ込んだようなものもかなりありますから、言葉のパズルでもするつもりで、関連するもの同士をつなぎ合わせてみるのも、論語の一味違った楽しみ方ではないでしょうか。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「君達(きみたち)(くに)政治(せいじ)について()からないことがいっぱいあるだろう?政治(せいじ)とは、国民(こくみん)安心(あんしん)して()らせ・(ゆた)かになり・お(たが)いに尊敬(そんけい)()い・向上(こうじょう)発展(はってん)して()(ため)方法(ほうほう)立案(りつあん)し、推進(すいしん)することをいうんだよ。これを(あん)()(そん)(えい)という。これを専門(せんもん)にやるのが政治家(せいじか)ということだ。(こま)かいことまで()からなくても()いが、政治(せいじ)とは、国民(こくみん)(あん)()(そん)(えい)実現(じつげん)することと(おぼ)えておきなさい!」と。
 
〔 親御さんへ 〕
政治とは、国民の安・富・尊・栄を実現し、増幅拡大すること!これくらいは子供のうちから教えておいてもいいですね。 将来政治家になる子が必ずいる訳ですし、ならなくても政治家を選ぶ側には全員がなる訳ですから、一人一人が選挙の判断基準をしっかりと持つに越したことはありません。

選挙公約に安・富・尊・栄の具体策が盛り込まれていない政治家に、国政を委ねることなどできません。次の選挙には、この判断基準で選んでみてはどうでしょうか?もう人気投票は止めましょうよ。

国家政策として云えば、安とは安全保障及び治安維持、富とはエネルギー政策及び食料政策を含む経済政策、尊とは知育・体育・徳育含む教育政策、栄とはそれらをすべてを統合した国家ビジョンのことですが、安・富・尊・栄の具体策を明言している政治家は、一体何人くらいいますかな?まずマー姫はダメでしょう、「気合を〜入れてっ!」しか云わないんだから。次の選挙が楽しみですね。
 
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