述而第七 173

上へ


原文                  作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子曰、二三子以我爲隱乎。吾無隱乎爾。吾無行而不與二三子者。是丘也。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、二三子(にさんし)(われ)(もっ)(かく)せりと()すか。(われ)(かく)すこと()きのみ。(われ)(おこ)なうとして二三子(にさんし)(とも)にせざる(もの)()し。()(きゅう)なり。
 
〔 通釈 〕

孔子云う、「お前達は、私が何か隠しごとでもしていると思っているのか?私はお前達に隠しだてすることなど何もない。お前達に全てを曝け出しておって、共にしないことなどないではないか。これがありのままの私なんだよ」と。
 

〔 解説 〕

古くからの弟子達は、孔子とは師弟関係と云うより子弟や親子関係に近いものがありましたから、こういう会話は、晩年孔子の下に集った三千人余のエリート青年達に向かってなされたものではないでしょうか。

飾ることなく隠すことなく、常に生地のままの自分を曝け出している人は強いですね。ストレスも溜りませんから、ガンに罹ることもない。飾ったり隠したりして生地を覆ってしまうと、どうしてもストレスが溜ります。ストレスは免疫力を低下させて、ガンに罹り易くなる。

「ストレスとは、心がノー!と云っているのに、口が勝手に開いてイエス!と云っている時の
ことである。Stress is when your mind says No! but your mouth opens up says Yes!」と云いますから、飾らず・隠さず・偏らず、生地のまま清々(すがすが)しく生きましょうよ、孔子のように。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「君達(きみたち)(かく)しごとはいけないよ!(ひと)(かく)すと(つぎ)から(つぎ)へと(うそ)上塗(うわぬり)りをしなければならなくなる。(うそ)上塗(うわぬ)りをすればするほど、(かなら)(はなし)しのつじつまが()わなくなる。話し(はなし)のつじつまが()わなくなれば、(だれ)(きみ)信用(しんよう)してくれなくなる。(ひと)信用(しんよう)されなくなったらおしまいだ。だから、(かざ)ったり(かく)したりせず、ありのまま正直(しょうじき)()きなさい!」と。
 
〔 親御さんへ 〕

若い時は突っ張ったり衒(てら)ったりして、逸(はや)る日々を過ごした経験は誰にもあるのではないでしょうか。やり過ぎて、滑ったり・転んだり・泥を被ったり・煮え湯を飲まされたりしながら、冷や汗をかきかき段々大人になって行くんですね。四十五十過ぎて、今迄に一度も滑ったことも転んだこともなく、順風満帆に過ごして来たなどと云う人間は、滅多にいないんですよ。誰でも一度や二度痛い目に遭っている。誰も云わないだけなんですね、みっともないから。

それの分からない人がちょっと躓くと、首を吊ったり身投げをしたりと自殺してしまう。成人男子の自殺者の中で、五十代の人が一番多いというのも、「この年になって、どうして自分だけが!?」と思ってしまうんでしょうね、痛い目に遭っているのはあなただけじゃないのに。

「孟子」の告子章句に、「天の将(まさ)に大任をこの人に降(くだ)さんとするや、必ず先ず其の心志しを苦しめ、其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓えしめ、其の身を空乏(くうぼう)(窮乏)にし、行なう所其の為さん所に拂乱(ふつらん)(混乱)せしむ。心を動かし(発憤させ)性を忍ばせ(忍耐強くさせ)、其の能くせざる所を増益(増進)せしむる所以(ゆえん)なり」と
あるように、天がその人を伸ばそう大きくしようとする時は、必ず大きな試練を与えるものなんですね。

やること為すことすべてうまく行かず、行き詰まってしまった時は、どうかこの文章を唱えてみて下さい!腹の底から勇気が湧いて来ます。孔子だって、54才の時に国を追われ68才で帰国を許されるまでの14年間、世間から「宿無し犬」とか「乞食犬」と呼ばれる程の大難儀をしたんですから!
 

述而第七 172 述而第七 173 述而第七 174
新論語トップへ