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原文
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作成日 2003年(平成15年)5月から7月 |
子張問、十世可知也。子曰、殷因於夏禮、所損益、可知也。周因於殷礼、
所損益、可知也。其或繼周者、雖百世、可知也。
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〔 読み下し 〕 |
子張問う、十世知るべきや。子曰わく、殷は夏の礼に因る、損益する所知るべきなり。周は殷の礼に因る、損益する所知るべきなり。其れ或いは周を継ぐ者は、百世と雖も知るべきなり。
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〔 通釈 〕 |
子張が、「今から十世代先の制度を予測することができましょうか?」と質問した。孔子は、「過去の歴史を見ると、殷は夏の制度を基本として、足したり引いたりしながら改良されており、周は殷の制度を基本として、足したり引いたりしながら改良されて来ている。枝葉末節の変化はあっても、基本とする所は少しも変わっていない。だから、周王朝の後を継ぐ者があるとしても、百代先の制度のあり方もおおよそ察しがつくものだ」と答えた。
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〔 解説 〕 |
礼には、礼儀礼節や礼儀作法の他に、制度や法制・規範といった意味がありますが、ここでは制度と解釈しました。太陽の光と、空気と、水がなければ、生き物は一瞬たりとも生きて行けない訳ですから、この地球上に住んでいる限り、時代が変わろうとも人間の営みそのものは基本的に変わるものではありません。
自然の営みの上に立って人間の営みがあるのであって、人間の営みの上に立って自然の営みがあるのではありませんからね。一代30年として、百代といえば約3000年になりますが、人間の精神構造は3000年前も今も大して変わっていないようですから、人が生きて行く上で、その根幹を為す制度は、そうそう変えられるものではありませんね。枝葉末節の変化はあっても、根幹は変わるものではないという孔子の見解には、なる程とうなずかされます。
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〔 一言メッセージ 〕 |
『自然の営みの中で人は生かされている。勝手に生きていると思ったら大間違い
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〔 子供論語 意訳 〕 |
弟子の子張が、「今から300年先の人間社会が分かりますか?」と質問した。孔子様は、「歴史を調べてみると、その時代時代で細かい所は少しずつ変化して来ているけれども、根本は少しも変わっていない。
それは、この地球上に住んでいる限り、人間は自然のルールに従わなければならないからだ。人間が自然のルールを破ればどうなるか分からないが、自然のルールに従っている限り、3000年先でも人間は人間でいられる。猿の惑星になりたくなければ、ちゃんと自然のルールに従うことだね」と答えた。
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〔 親御さんへ 〕 |
人間は、猿が樹上生活から地上に降りて来て、二足歩行するようになった為に脳が急激に発達して人間になった。つまり、人は猿から進化した、とされております。
ダーウィンの進化論では生物はすべて偶然の産物、即ち、偶然が万物の創造主であって、自然選択→適者生存の法則下で進化して来たとされていますが、この説は最近の数学確率論によって、どうも違うようだ!?とされているようですね。確率論からすると、ダーウィンの進化論は、荒唐無稽のフィクションだと云うのです。
どういうことかと申しますと、原始的な生命体である34個のアミノ酸からなる単細胞生物を作る為のDNAの配列を、原子のスープの中でバラバラに存在する素粒子の偶然の出会いだけで作り出そうとすると、確率計算では、宇宙の年齢150億年をはるかに越えてしまうのだそうです。
ましてや、地球の年齢45億年の中で、原始生命が誕生したとされる30億年の期間内では、この地球上では大腸菌一つすら作れないと云うのです。
生命の誕生が偶然ではないとすると、必然ということになりますが、必然とは、原因結果の法則が厳然として働くということですから、生命の誕生には第一原因となる存在があったことになります。(第一原因者のことを通常は神と呼ぶ)
ダーウィン(1809〜1882)が生きていた頃にはコンピュータなどありませんから、仕方がないかも知れませんが、現代のダーウィン主義の生物学者でも、確率論に基づくしっかりとした計算をやった人はいないそうです。確率論の世界で、ダーウィンの進化論がフィクションとされているなんて、知りませんでしたね。
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