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原文
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作成日 2003年(平成15年)5月から7月 |
子曰、人而無信、不知其可也。大車無輗、小車無イ、其何以行之哉。
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〔 読み下し 〕 |
子曰わく、人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり。大車
輗無く、小車
イ無くんば、其れ何を以て之を行らんや。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「人として信(まこと)・良心を無くしてしまったら、手の施しようがない。牛車に横木がなく、馬車にくびき止めがないようなもので、にっちもさっちも行かなくなるものだ」と。
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〔 解説 〕 |
信(しん)を信用と解して、「人として信用を無くしてしまえば、どこにも使い道がなくなる」と訳しても意味は通じますが、信用は一旦失っても、一所懸命頑張れば何とか取り返すことができます。しかし、信(まこと・良心)を失ってしまったら取り返しがつきません。平気で人を欺き、平気で人を殺すようになったら最早人間失格、動物以下になってしまいます。
孔子は「其の可なるを知らざるなり(可能性ゼロ・人間失格)」と、かなりきつい言葉を使っておりますから、ここでは信(しん)を信(まこと・良心)と解釈してみました。
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〔 一言メッセージ 〕 |
『人が人で無しになるのは、地位を失った時ではない。財産を失った時でもない。
唯一良心(信・まこと)を失った時である』
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「人が良心を失ってしまったら、人間失格だね。ハンドルのこわれた自動車のようなもので、どこに暴走するかコントロールできなくなってしまうんだね」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
信(まこと)を失ったら人間失格ということですが、信は仁あっての信・仁に根ざした所の信のことですから、仁の根っこから切り離されてしまえば、盲信・狂信となって暴走するか迷走する他はなくなってしまうんですね。オウム真理教やパナウェーブの行状を見れば、なる程と納得できるのではないでしょうか。
マルクス教に狂った北朝鮮も同じですね。金正日は、人間失格ってことですよ。ただ一つ気にかかることは、金正日は決して頭の悪い人ではなさそうですから、ひょっとしたら、「人間はやればここまで馬鹿になれるんだぞ!狂えばここまで狂えるんだぞ!マルクス教に狂った者どもの末路は皆こうなるんだぞ!よく見ておけよ!!」という、反面教師の役を演じてくれているのかも知れませんね。
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