為政第二 038

上へ

 
原文                  作成日 2003年(平成15年)5月から7月
子曰、人而無信、不知其可也。大車無輗、小車無イ、其何以行之哉。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(ひと)にして(しん)()くんば、()()なるを()らざるなり。大車(だいしゃ) (げい)()く、小車(しょうしゃ) (げつ)()くんば、()(なに)(もっ)(これ)()らんや。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「人として信(まこと)・良心を無くしてしまったら、手の施しようがない。牛車に横木がなく、馬車にくびき止めがないようなもので、にっちもさっちも行かなくなるものだ」と。
 
〔 解説 〕
(しん)を信用と解して、「人として信用を無くしてしまえば、どこにも使い道がなくなる」と訳しても意味は通じますが、信用は一旦失っても、一所懸命頑張れば何とか取り返すことができます。しかし、信(まこと・良心)を失ってしまったら取り返しがつきません。平気で人を欺き、平気で人を殺すようになったら最早人間失格、動物以下になってしまいます。

孔子は「其の可なるを知らざるなり(可能性ゼロ・人間失格)」と、かなりきつい言葉を使っておりますから、ここでは信(しん)を信(まこと・良心)と解釈してみました。
 
〔 一言メッセージ 〕
『人が人で無しになるのは、地位を失った時ではない。財産を失った時でもない。  唯一良心(信・まこと)を失った時である』
 
〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(ひと)良心(りょうしん)(うしな)ってしまったら、人間(にんげん)失格(しっかく)だね。ハンドルのこわれた自動車(じどうしゃ)のようなもので、どこに暴走(ぼうそう)するかコントロールできなくなってしまうんだね」と。
 
〔 親御さんへ 〕

(まこと)を失ったら人間失格ということですが、信は仁あっての信・仁に根ざした所の信のことですから、仁の根っこから切り離されてしまえば、盲信・狂信となって暴走するか迷走する他はなくなってしまうんですね。オウム真理教やパナウェーブの行状を見れば、なる程と納得できるのではないでしょうか。

マルクス教に狂った北朝鮮も同じですね。金正日は、人間失格ってことですよ。ただ一つ気にかかることは、金正日は決して頭の悪い人ではなさそうですから、ひょっとしたら、「人間はやればここまで馬鹿になれるんだぞ!狂えばここまで狂えるんだぞ!マルクス教に狂った者どもの末路は皆こうなるんだぞ!よく見ておけよ!!」という、反面教師の役を演じてくれているのかも知れませんね。
 

為政第二 037 為政第二 038 為政第二 039
新論語トップへ