〔原文〕
子日、唯上知與下愚不移。
〔読み下し〕
子日わく、唯上知と下愚とは移らず。
〔新論語 通釈〕
孔子云う、「身・口・意の習慣が人物を作り上げることを知らず、放ったらかしておくと、良き習慣の者は益々良く、悪しき習慣の者は益々悪くなってしまう。こうなるともう取り返しがつかないと。
〔解説〕
人様の習慣はよく見えるけれども、自分の習慣は人に指摘されないと中々分からないものです。こういう時に頼りになるのが、ズバリと直言してくれる友ですね。家族ではお互いに我儘が出ますから、指摘されても「うるさい!」となって、あまり効き目がありません。他人に指摘されると、「ほう?人はそう見ているのか!?」となって、改める気になる。
それを、「これが俺の流儀だ!」、「これが私の個性だ!」、「放っとていくれ!!」などと突っ撥ねると、最早それ迄、バカにつける薬は無い!となって、誰も指摘してくれなくなります。こうなるともう「裸の王様」になるしかない。本章を読む度に、「裸の王様になったらお終いだぞ!」と、孔子に窘(たしな)められているような気がします。裸の王様的要素は、大なり小なり誰でももっているものですからね。
〔子供論語 意訳〕
孔子様がおっしゃった、「家で身につけた習慣には、良いものもあれば悪いものもある。先生やクラスメートに悪い所を注意されたら、僕はこれでいいんだ!などと意地を張ると、悪い習慣の上に意地っ張りの習慣まで身につけてしまうことになる。悪いと知りながら意地を張ると、心がねじけてしまう。心がねじけた人のことをヒネクレ者というんだよ」と。
〔親御さんへ〕
そうですか‥‥、悪いと知りながら意地を張ると、心がねじけてしまいますか‥‥。人体には、細菌や毒素が侵入して来ると、これを中和無毒化する為に抗体が作られて、体を守る防禦システムが働きます。これが正常に働けば、免疫力を高めて健康で丈夫な体になりますが、過剰に働くと、毒ではないものに対しても過敏に反応して、アレルギー症状を引き起こします。所謂アトピーですね。
これを精神作用に置き換えてみると、直言や忠告は本来自分にとって薬になるのだけれども、自己防禦システムが過剰に働くと、薬を毒と勘違いして拒否反応(アレルギー反応)を引き起こしてしまう。つまり、心がねじけるとは「心のアトピー」と考えて良いのではないでしょうか?意地を張ることは、心のアレルギー反応ですね。
とすると、過剰な防禦システムは、過剰な自己合理化・自己正当化ということになります。完璧な人間など一人もいないのですから、意地など張らず素直になれば、薬は薬、毒は毒と正常に免疫システムが働いて、心のアトピーなどにならなくて済むのですがねえ。
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