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原文
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作成日 2005年(平成17年)7月から9月 |
朋友死、無所歸。曰、於我殯。朋友之饋。雖車馬、非祭肉、不拜。
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〔 読み下し 〕 |
朋友死して帰る所無し。曰わく、我に於て殯せよ。朋友の饋は、車馬と雖も、祭りの肉に非ざれば拝せず。
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〔 通釈 〕 |
友人が死んで、身寄りのない場合は、「私の所で殯(かりもがり)をやってあげよう」と云って棺を置かせた。又、友人からの贈り物は、祭りにお供えした肉の御裾分け以外は、たとえ車や馬のような高価な物であっても辞退した。
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〔 解説 〕 |
殯(かりもがり)とは、死人を埋葬する前、しばらくその遺骸を棺に入れて安置する「仮り喪」のこと。今で云う「お通夜」と考えて良いでしょう。
当時、仕官の叶わぬ儒者達は、何で生計を立てていたかと云うと、庶民の葬儀を取り仕切って、その報酬として乾し肉や穀物や酒等を得ていたようです。ですから、孔子は葬儀のプロフェッショナルだったんですね。
孔子は車や馬の贈り物は辞退して、祭肉だけもらったとありますが、前にも云ったように、当時の馬一頭は今のベンツ一台に相当しますから、私なら「かたじけないねえ!」と云って貰っちゃうけどな!?自前でベンツなど買えませんもの。
自前で買えるのは、せいぜいマツダのデミオ位のもんですよ。これで充分!(と云いながら)でも、高野にベンツあげちゃおか?という奇特な方がおられれば、勿論貰ってもいいですよ!卑しいね、俺も。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
友人が亡くなって、近くに身内がいない時、孔子様は「私が葬式をやってあげよう」とおっしゃって、自宅に遺体を運ばせた。また、葬儀が終わって、亡くなった友人が持っていた馬車を、遺族からお礼にとプレゼントされた時は、頑なに辞退して、祭壇に供えた乾し肉だけをいただいた。
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〔 親御さんへ 〕 |
職業(プロ)としての葬儀屋がいつ頃出現したのかと云うと、儒家がそのルーツですから、孔子がプロ葬儀屋の元祖ということになります。このことを知っている人は案外少なくて、以前県の葬儀組合の顧問をしておりました時に、「葬儀屋の元祖は孔子です!君達はもっと誇りを持ちなさい!!」と何度励ましたことでしょうか。
その頃世間では、葬儀屋に対して「人の不幸につけ込んで、金儲けをしている奴等」と蔑む風潮がまだ残っておりまして、葬儀屋さん自身「どうせ俺達なんか日陰者さ!?」と卑屈になってしまうことが、少なからずありました。
そんな時、「葬儀は、この世を去る人が有終の美を飾る大切な儀式、此岸(しがん)から彼岸(ひがん)に渡る重要な節目なのだから、それを取り仕切る葬儀屋は重大な使命を担っているのだ。葬儀屋の元祖はあの孔子様だ!君達は孔子様の代理店をやっているようなものだから、もっと誇りを持ちなさい!!」と何度も云ったんですね。みんな目を輝かせていましたよ。
ある時、葬儀組合の理事と仏教会役員との懇談会がありまして、私も同席してくれということで行ってみましたら、坊さんの言動がいかにも葬儀屋を蔑んだようで鼻持ちならない。これに対して組合理事側は、へいこらと卑屈な態度をとっている。
たまりかねて、「葬儀や法要の仕来りのルーツは何ですか?位牌や墓のルーツは何ですか?本来の釈迦仏教とは何の関係もないでしょう!元々儒教の仕来たりであったものを、日本の仏教界が勝手に拝借しただけでしょう!!」と発言したら、途端に坊主の態度が一変してしまった。(痛い所を突いて来ると思ったのでしょう)
会が終了してから理事達に、「遜ることと卑屈になることは違う!坊さんに敬意を表することは結構だが、卑屈な態度はとるな!!」と叱ったことがありましたなあ。もう15年以上前になりますかねえ?懐かしいね。
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