子罕第九 226

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原文              作成日 2005年(平成17年)3月から6月
子曰、吾未見好徳如好色者也。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(われ)(いま)(とく)(この)むこと、(いろ)(この)むが(ごと)くする(もの)()ざるなり。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「私はまだ、色ごとを好むように、徳を好む人を見たことがない」と。
 
〔 解説 〕

かと云って、孔子は釈迦のように「色情煩悩を去れ!色欲を断て!」などと野暮なことは申しません。色ごとに関して、論語には他に三箇所ほど記述がありまして、憲問第十四では「賢者は世を避く、其の次は地を避く、其の次は色を避く、其の次は言を避く」と云い、衛霊公第十五では「やんぬるかな。吾未だ徳を好むこと、色を好むが如くする者を見ざるなり」と本章と似たようなことを云い、李氏第十六では「少(わか)き時血気未だ定まらず、之を戒むること色に在り」と孔子は述べている。

つまり、色情煩悩は誰にでもあるが、「耽るなよ!過ぎるなよ!程ほどにせえよ!」と訓戒している訳です。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ですから、何事も過ぎてはいけませんな、過ぎては!食い過ぎ・飲み過ぎ・し過ぎは、いずれも体の健康・心の健康・財布の健康を損ないます。

釈迦の云うように、皆が皆色情煩悩を去り・色欲を捨ててしまったら、人類は百年を待たずに絶滅してしまいます。(但し、釈迦がこう述べたのは出家して入門を許された修業中の比丘(びく)に対してであって、一般の人に述べたものではありません)。程々ですね、何事も。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(わたし)はまだ(あそ)びを(この)むように、勉強(べんきょう)(この)(ひと)()たことがない。(あそ)ぶのは(おお)いに()しだが、君達(きみたち)はよく(まな)びよく(あそ)びなさい!よく(あそ)びよく(まな)べではあべこべだよ!」と。
 
〔 親御さんへ 〕

子供が異性を意識し出すのは、小学5〜6年生頃からだろうか?と思っておりましたら、女の子は4〜5才から意識し出すと○○先生から伺いました。最近は男性の保育士(保夫さん?)希望者が結構いるそうで、学生の教育実習で男子の保育士希望者をある保育園にやったら、「お昼寝の時間に女子園児が興奮して大変だから、何とかしてくれ!」と、そこの園長さんから電話があったそうです。

一時は、もしかしてワイセツ牧師・金保(キンタモ)の真似をやらかしたのではなかろうか!?と心配したそうですが、そうじゃなくて、年長組の女子園児が男性保育士を意識するので、興奮して眠れないとのこと。

話し合いの結果、この男子学生のお昼寝実習はカットして、事務方の研修をすることで一件落着したとか。男子よりも女子の方が発育が早いですから、女子の小学生を持つ親御さんは気が気ではないと思いますが、かと云って、気にしてどうこうなるというものでもない。

そこはどういうものか?と再度先生に尋ねますと、こういうことに男性が口を挾む必要はない。女性(母親)に任せておけば良い。女性は全員少女経験者だから!とのことでした。男は
金保(キンタモ)2号にならなければそれで良し、ということですかね。(それにしてもひどいね、あの男!)
 

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