泰伯第八 202

上へ


原文        作成日 2004年(平成16年)11月から2005年(平成17年)2月
子曰、師摯之始、關雎之亂、洋洋乎盈耳哉。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、師摯(しし)()関雎(かんしょ)(らん)洋洋(ようよう)()として(みみ)()てるかな。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「魯の楽官長摯(し)が四始(しし)を演奏したが、第一楽章関雎(かんしょ)の乱(らん)の曲風は伸び伸びとしていて、妙なる調べが今でも耳に残っている」と。
 
〔 解説 〕

(し)とは四始のことで、四楽章の意。四始の第一楽章は「関雎風の始」・第二楽章は「鹿鳴小雅の始」・第三楽章は「文王大雅の始」・第四楽章は「清廟(せいびょう)頌(しょう)の始」と云われますが、異説もあるようです。音楽センス抜群の孔子が感激した位ですから、余程良い曲風だったのでしょう。一度聴いてみたい所ですが、残っておりません。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「()(こく)交響(こうきょう)楽団(がくだん)(フィルハーモニー)のコンサートマスター()先生(せんせい)が、関雎(かんしょ)という結婚(けっこん)賛歌(さんか)演奏(えんそう)した。とてもいいメロディーで、(たえ)なる調(しら)べが(いま)でも(みみ)(のこ)っているよ」と。
 
〔 親御さんへ 〕

「関雎(かんしょ)」とは詩経周南(しゅうなん)の冒頭にある詩で、君子と淑女の麗しい結婚生活を賛美した歌です。

前回の講義で、キリスト教式結婚式で歌う賛美歌は大旨決まっているのだという話しを致しました。(428番・429番・430番の三曲)先日ある会合で、某ホテルの総支配人をやっている高校時代の後輩にバッタリ出会いまして、賛美歌のことが気になっておりましたので、「お前の所のチャペルでは賛美歌何番を歌わせてるの?」と聞きましたら、「何ですかそれは?」と云う。

「キリスト教式結婚式では、歌う賛美歌が決まっているじゃないか!」と申しますと、「そんな話、初めて聞きました。選曲は神父さんにおまかせしていますから」というので、「神父? お宅のホテルはカトリック系か?」聞き返しますと、「えっ?何のことかさっぱり分りませんが、キリスト教の僧侶はみな神父でしょ?」と来た。

「まじかよ〜お前!?神父(ファーザー)というのはカトリックの呼び名、プロテスタントは牧師(バスター)。お前上智でたんじゃね〜か!上智はカトリック系、青学はプロテスタント系だろうが!!ところで何処の教会から来てもらってるんだ、その人?」と云うと、「教会じゃなくて、司祭斡旋所から廻してもらうんです。宗派は何ですかねえ?今度聞いてみます。家は浄土真宗だからキリスト教のことはさっぱり分りませんが、それにしてもキリスト教式結婚式で歌う
賛美歌が決まっているなんて知りませんでした。それって常識ですか?」と聞きますので、「当たり前だろ!ミッションスクールを出た奴ならば!!」と答えておきましたが、他のホテルもこんなものなんでしょうかね?

どこの結婚式場に行っても、285番「主よ、み手もて」か312番「いつくしみ深き」 ばっかりですが、あれは礼拝の祈祷の時に歌うもので、本当は結婚式で歌うものではありません。(ダメではないけれど)賛美歌なら何だって良いってもんじゃないんだよ、葬式専門の歌だってあるんだから。喩えば、479番の「去りにし人を偲ぶれば、共に親しみ睦びたる、ありし姿は見えねども、たまはいかでか消えぬべき」なんてものがね。こんなのを知らずに結婚式で歌ったら、一体どうなるんだよ!?

せめて428番「またき愛」か430番「妹背(いもせ)をちぎる」のどちらか一曲は入れて下さいよ!すっかり拍子抜けして披露宴で悪酔いしてしまうじゃないですか!?ついでに云わせてもらいますと、あの俄仕立ての聖歌隊、何とかなりませんかね?音大生のアルバイトだと思うけれど、賛美歌はオペラみたいにバリバリッと声を張り上げて歌うもんじゃないんだよ。

もうちょっと厳かに歌ってくれよね!!これ伊達や粋狂で云っているんじゃないんですよ。今はチャンチキおけさしか歌えなくなったけれど、こう見えてもその昔、日本一の宗教音楽家故奥田耕天先生に散々しごかれたんですからね、オラトリオで。「うんそうそう!君は中々筋がいいぞ!!」って誉められたこともあるんだから。いい加減に歌うと、すぐさま指揮棒が飛んで来るんですよ、あの先生は。
 

泰伯第八 203 泰伯第八 202 泰伯第八 203
新論語トップへ