述而第七 162

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原文                  作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子之所愼、齊、戰、疾。
 
〔 読み下し 〕
()(つつし)(ところ)は、(さい)(せん)(しつ)
 
〔 通釈 〕
孔子が特に慎重を期したのは、祭祀の斎(ものいみ)と戦争と病気に対してであった。
 
〔 解説 〕

(ものいみ)とは、神や祖先を祭る宗教行事に際して、身を浄める為に一定の期間特定の飲食や物を控えたり、行為を控えることを云いまして、「斎戒沐浴」のことと考えて良い。物を避ける意味から、「物忌(ものいみ)」とも書く。

物忌と似た言葉に、「禁忌(きんき)」(タブー・社会的に為してはならないとされる行為)というものもあります。あれもダメ!これもダメ!と
やられると、息が詰まってしまいますが、逆に「タブーなし!何でもあり!」と云われると、これ又どうにも落ち着かない。

言いたい放題・やりたい放題というのは、余程の厚顔無恥でもなければちょっとできませんね。必ず何がしかの自制が働きますから。慎む所はそれが何かは別にして、誰もが持っているアラームのようなものですね。

孔子は斎・戦・疾に対して慎んだとありますが、さああなたの慎む所は何でしょうか?人様の
ことはよく見えますから「あなた、ここを慎んだ方がいいですよ!」と言えますが、自分のこととなると全く盲目ですから、「酒の飲み過ぎ?酒は天の美禄百薬の長だ!」・「タバコの吸い過ぎ?ストレス解消にはこれが一番!」・「遊び過ぎ?遊べるうちが花!」等々、都合のいいように自己正当化してしまう。情けないねえ本当に。(と、自己嫌悪に陥る筆者でした)
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)普段(ふだん)()(くば)られたことは、 (いち)(からだ)清潔(せいけつ)(たも)つ、()(ひと)(あらそ)わない、 (さん)栄養(えいよう)のバランスの(みっ)つであった。
 
〔 親御さんへ 〕

三章後の165章に、「疏食(そし)を飯(くら)い水を飲み、肱を曲げて之を枕とす」とありますから、孔子は衛生面や食事には無頓着だったのではないか?と勘違いしている人もいるようですが、とんでもありません。孔子の日常生活を記した「郷党第十を見ますと、オシャレでもありグルメでもあったことの他に、清潔好きで食事の栄養バランスや衛生面に気を配っていたことが窺えます。今の栄養学から見ても、理に適った食事を摂っていたようです。

「酒は糧無く」とあり、お酒は好きだったようですが、「乱に及ばず」・乱れる程は召し上られなかった。ここの原文は「酒無量、不及乱」で、「酒は糧(はか)る無し、及ばざれば乱る」とも読めますから、「酒は無制限、足りないと暴れた」とも訳せる。こうなると孔子は酒乱ということになって、イメージが崩れてしまいますので、やっぱり「酒は糧無く、乱に及ばず」と読み下した方がいいようです。
 

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