八佾第三 046

上へ


原文                 作成日 2003年(平成15年)7月から 10月
季氏旅於泰山。子謂冉有曰、女能救曰、不能。子曰、嗚呼、
謂泰山不如林放乎。
  
〔 読み下し 〕
()()泰山(たいざん)(りょ)す。()(ぜん)(ゆう)()いて(のたま)わく、(なんじ)(すく)うこと(あた)わざるか。(こた)えて()わく、(あた)わず。()(のたま)わく、鳴呼(ああ)(すなわち)(たい)(ざん)(りん)(ぽう)にも()かずと(おも)えるか。
 
〔 通釈 〕

家老の季孫氏が泰山の祭をしようとした。孔子は、当時季孫氏の執事していた弟子の冉有を呼んで「泰山の祭は魯公だけに許されるもので、大夫の季孫氏がやるのは非礼極まりない。お前からそのことを申し上げて、主人の非礼を思い止まらせることはできぬのか!?」と云った。

冉有は「最早決まったことですので、如何ともできません!」と答えた。孔子は「ああ、泰山の神が林放にも劣るというのか。林放でさえ礼の本質を学んでいるというのに、嘆かわしいことだ」と云った。
  

〔 解説 〕

冉有とは冉求のことで、政治に優れた孔門の十哲の一人。泰山とは現在の中国の山東省にある名山。旅とは山の神を祭ることで、魯公(諸侯)が祭ることとされていた。天子は天下の名山を祭り、諸侯は自国領内の名山を祭る慣わしがあったようです 。
 

〔 子供論語  意訳 〕
家老(かろう)季孫(きそん)()が、殿様(とのさま)だけが主催(しゅさい)することのできる泰山(たいざん)(さい)勝手(かって)にやろうとした。孔子(こうし)(さま)は、この(とき)季孫(きそん)()家来(けらい)をしていた弟子(でし)(ぜん)(ゆう)()んで、「泰山(たいざん)(さい)はお殿様(とのさま)のやる(まつり)なのだから、ご(しゅ)(じん)(もう)()げて中止(ちゅうし)できないのかね?」と()いた。(ぜん)(ゆう)は「主人(しゅじん)がご()(ぶん)()められたことですので、(わたし)がとやかく()うことはできません」と(こた)えた。孔子(こうし)(さま)は、「ああ残念(ざんねん)だ。弟子(でし)(りん)(ぽう)でさえ分相応(ぶんそうおう)礼儀(れいぎ)礼節(れいせつ)勉強(べんきょう)しているというのに、分不相応(ぶんふそうおう)(まつり)(おこ)なおうとしている季孫(きそん)さんに一言(ひとこと)()えないなんて」と溜息(ためいき)をついた。
 
〔 親御さんへ 〕

私の子供の頃は新潟祭りを「川祭り」と云って、万代橋が開通した8月23日に川の神様をお祭りするものであったようです。新潟市内の町名に、西堀・東堀・新堀・一番堀・上大川前・下大川前等々、堀や川の名称が付いているように、昭和39年の新潟国体迄は、市内の至る所が水郷でつながっておりましたから、信濃川とは縁を切っても切れない土地柄だったんですね。

40才前の人達は、堀と柳の風情など知らんでしょうが、天領で歴史的文物の殆どない新潟を蘇らせるには、オランダの水郷に負けないくらいの水郷をもう一度堀り直して、柳を植えて、
うんと粋で・お洒落で・垢抜けした街並みにする他はないんではないでしょうか。

古町を中心とした新潟島は、商業の街としては完全に死んでしまいましたから、新潟市民を呼び込もうなどというケチな考えは止めにして、全国から否世界から見物に来るような、粋で洒落た街をつくってみたらどうでしょうかねえ。

風がないから風車は無理としても、街中に水車を並べてもいいんではないですか?堀と柳と・・・あとは古町芸者ですかね、新潟は。最近の若い娘は芸者になりたがりませんから、
ウラジオかナホトカに行って、金髪で青い目のロシア娘をじゃんじゃんスカウトして来たら良い。

芸名がナターシャとかエカテリーナなんていうのも、粋じゃないですか。「ハラショハラショ♪ハラショノロンロン♪♪」なんていうロシア語の歌もあるぐらいだからね、新潟は。当会でも押した篠田昭に三期位市長をやらせれば、きっとやると思いますよ、堀と柳とナターシャくらいは。彼は生粋の新潟っ子ですし、旅館の次男坊ですからね。
 

八佾第三 045 八佾第三 046 八佾第三 047
新論語トップへ