八佾第三 045

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原文                        作成日 2003年(平成15年)7月から 10月
子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、夷狄(いてき)(きみ)()るは、諸夏(しょか)()きが(ごと)くならざるなり。
  
〔 通釈 〕
孔子云う、「夷狄のような未開の国でも、君主が立派に治めているというのに、君あっても君なきが如くに乱れておる今の中華諸国は、一体何たることか」と。
 
〔 解説 〕

この章には正反対の解釈があります。「夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如(し)かず」と読み下して、「夷狄には君主があっても所詮野蛮人だから、君主がいなくても礼楽のある中華諸国には及ばない」と解するものですが、孔子がそのような負け惜しみを云う筈がありません。

043章でも、仁不在の礼楽など何にもならないと云っておりますし、子罕第九では、孔子が
未開の国に住んでみたいと云ったら、弟子に「そんなむさ苦しい所で大丈夫ですか?」と質問されて、「君子が住めばむさ苦しいことなどない。住めば都と云うではないか」と答えておりますから、不如を如(し)かずと読まず、如(ごと)くならずと読み下して通釈してみました。

当時中原(ちゅうげん)【黄河と揚子江にはさまれた流域で、漢民族の住む地域】以外を四夷(しい)と称し、東西南北に分けて、東夷(とうい)・西戎(せいじゅう・)南蛮(なんばん)・北狄(ほくてき)と呼んでいたようです。
  

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「未開(みかい)(くに)でもちゃんと殿様(とのさま)がいて、立派(りっぱ)(くに)(おさ)めているというのに、()(くに)では殿様(とのさま)がいても、家老(かろう)邪魔(じゃま)をして(くに)(みだ)している。(なげ)かわしいことだ」と。
 
〔 親御さんへ 〕

諸夏(しょか)とは中華のことで、中華とは世界の文化文明の中心地という意味です。私達は、中華人民共和国を「中国(ちゅうごく)」と呼んでおりますが、国名を正確に翻訳すれば、「世界の全ての文化文明の中心地である共和国」となりまして、他の諸国を小馬鹿にしたような、誠に以て僭越な意味合いになります。

ギリシャ文明・ローマ文明等々、世界には様々な優れた文明がある訳ですから、欧米諸国にとっては、我のみ尊しとする中華や中国なる呼称は笑止千万なのでしょう、未だにチャイナ(英)・チーナ(伊)・ヒーナ(独)を使用しておりまして、「ツォンホァ(中華)」や「ツォングゥォ
(中国)」などとは絶対に呼びません。

チャイナやチーナやヒーナの語源は、BC3世紀に中国全土を統一した「秦(しん)」から来て
おります。秦(チン)のサンスクリット(印度)訛りが「チーヌ」、これがヨーロッパに伝わってチーナ・ヒーナ・チャイナとなった訳ですが、江戸中期、イエズス会宣教師のシドッチ(伊人)が密入国して捕らえられ、新井白石が尋問した際に、ヨーロッパでは中国の場所を示す地名をチーナと呼んでいることが分かり、白石が「支那(しな)」と当て字したんですね。

つまり、チャイナ・チーナ・ヒーナの日本語訛りが支那となった訳です。それ迄我が国には、中国を指す場合、地名も国名も明(みん)・清(しん)などの王朝名を使っておりまして、場所を示す言葉を持っていなかったため、地名を示す「支那」という名称は誠に重宝したんですね。王朝が変わる度に呼称を変える必要がなくなりましたから。

戦前の日本人はこういうことをちゃんと知っておりましたから、辛亥(しんがい)革命で清朝が
倒され、中華民国が建国されても中国とは呼ばず支那と呼んだんですね。易姓革命でしょっちゅう国名が変わりますからね、あの国は。中国を支那と呼ぶのは失礼ではないか!蔑称ではないか!などと馬鹿なことを云う人がおりますが、自ら無知をさらけ出しているようなものなんですね、こういう人は。

支那という名称は、2200年前から世界中で使われている、現中国の地名を表す言葉で
ありまして、蔑称でも何でもないんですよ。今日は一つ物知りになりましたね。

ついでに云っておけば、「チャンコロ(中国人)」という言葉も、ツォングゥレン(中国人)の日本語訛りでありまして、辛亥革命(1911年)後しばらくの間は敬称であったのですが、平気で契約を破ったり条約を破ったりするものですから、散々な目に遇わされた日本人の間でいつの間にか中国人に対する蔑称に変わってしまったんです。

チャンコロと云えば、「信用できない人」の代名詞になってしまったんですね。ツォングゥレン→チャンコレン→チャンコロと転訛してきたようです。嘘だと思うなら、ツォングゥレンを早口で繰り返し云ってみて下さい。チャンコロに聞こえますから。

英語では中国人のことを未だに「チャイニーズ 即ち秦人」と呼んでいる訳ですから、考えようによってはチャンコロよりも
ひどい呼び名ではないかと思うのですが、北京政府は欧米人に対しては何も抗議していないようです。現代の日本人を「縄文人」と呼ぶようなものでしょう?チャイニーズ(秦人)と呼ぶのは。

日本に対してだけ支那と呼ぶな!とは、逆差別でしょう、これは。あの国は、白人と戦って
一度も勝ったことがありませんから、白人恐怖症なのかも知れませんね。
 

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