前集・1〜22

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2005−10−8

1)道徳に棲守する者は・・・

人生に処して、真理をすみかとして守り抜く者は、往々、一時的に不遇で寂しい境遇に陥ることがある。(これに反し)、権勢におもねり、へつらう者は、一時的には栄達するが、結局は寂しくいたましい。達人は常に世俗を超えて真実なるものを見つめ、死後の世界に思いを致す。そこで人間としては、むしろ一時的に不遇で寂しい境遇に陥っても真理を守り抜くべきであって、永遠に寂しく、いたましい権勢におもねる態度を取るべきではない。

達人は常に世俗を超えて真実なるものを見つめ、死後の世界に思いを致す。
原文は・・・「達人は物外の物を観、身後の身を思う」・・・これが菜根譚の基本テーマ

  仏教用語で言えば、物外の物を観は「諸行無常」。身後の身を思うは「諸法無我」。
  また、物外の物を観は、「十如是」。身後の身を思うは、「十界五具」。

  十如是とは  如是相     あらゆる存在には姿がある
           如是性     姿あるものは性質を持つ
           如是体     性質があるものは、本体がある
           如是力     本体あるものは、エネルギーを持つ
           如是作     エネルギーは外に向かって作用をおこす
           如是因      作用には現象、原因がある
           如是縁      原因には、条件がある
           如是果      条件は、結果をもたらす
           如是報      結果は何らかの報い、働きを残す
           本末究竟等   以上、すべて宇宙のシステムによる

  十界五具は
こちら を参照  
  
 
2)世を渉ること浅ければ・・・

処世の経験が浅いと、世俗の悪習に染まることもまた浅いが、経験が深くなるにつれて、世の中のからくりに通ずることもまた深くなる。それ故に、君子たる者は、世事に練達になるよりは、むしろ飾り気がなく気が利かない方がよい。そして礼節の末にこだわりていねいすぎるよりは、むしろ粗略で志のあるほうがよい。

  目指せ「バカ利口」       外見    内容 
                  利口    利口 ←西洋ではこれを目指す
                  利口    バカ
                   バカ     利口 ←これが最高
                  バカ     バカ  
 
   老子では「先鋭解紛 和光同塵」  仏教では「漏尽通力」

 

2005−11−12

3)君子の心事は・・・

君子の心ばえは、晴天白日のように公明正大にして、常に人にわからないところがないようにさせねばならぬ。然し才智の方は、珠玉のように包みかくして、常に人にわかりやすようにしてはならない。(その心事が明白ででないと陰険だと思われ、その才華を表しすぎると、衒う(てらう)と思われるから。心事が本で才華は末である)

4)勢利紛華(せいりふんか)は・・・

権勢名利や豪華華美のたぐいに、近づかないように心がける者は潔白な人である。然しそれらに近づいても、その悪習に感染しない者こそ、最も潔白な人物である。権謀術数のたぐいを、全く知らない人は、高尚な人である。然しそれらを知っていても、自分では用いない者こそ、最も高尚な人物である。

5)耳中、常に耳に逆らうの言を・・・

耳中、常に逆らうの言を聞き、心中、常に心に払る(もとる)のことありて、わずかに是れ徳に進み行を修むるの砥石(しせき)なり。若し言々耳を悦ばし、事々心に快(ここちよ)ければ、すなわち此の生を把(と)ってチン毒の中に埋在せん。

     ・・・「良薬は口に苦し」 「直言は耳に痛い」

6)疾風怒雨には・・・

暴風豪雨の日には、非情の小鳥までも憂え恐れ悲しげである。(これに反して)天気晴朗で穏やかな風の日には、草木も生き生きとして喜んでいるようである。してみると、天地には一日たりとも和気がなければならない。(これと同じく)、人の心にも一日たりとも喜び楽しむ気持ちがなければならない。

    ・・・「和気喜神」

7)醲肥辛甘(じょうひしんかん)は真味にあらず・・・

濃い酒や肥えた肉、辛いものや甘いものなど、すべて濃厚な味の類は、ほんももの味ではない。ほんもの味というものは、(水や空苦のように)ただ淡白な味ののものである。(これとおなじく)、神妙不可思議で、奇異な才能を発揮する人は、至人ではない。至人というものは、ただ世間並みな尋常な人である。

    ・・・「偉大なる常識人を目指せ」

8)天地は寂然として動かずして・・・

天地はまったく寂然(せきぜん)として動かないが、その間にも天地のはたらきは、休むこともなく止どまることもない。また、日月は昼夜、たゆみなく運行しているが、、しかも日月の正しく明らかなることは、永遠に変わることがない。それ故に君子は、ひまな時には、とっさの場合に応ずる心構えを持つ必要があり、(反対に)いそがしい時には、悠々閑々(ゆうゆうかんかん)たるゆとりある趣を持つ必要がある。

    六中観・・・こちらをどうぞ http://www.kojobunko.net/column/21seiki/message2.html

    ・忙中有閑
    ・苦中有楽
    ・死中有活
    ・壷中有天 自分だけの仙境(別天地)がある事
    ・意中有人
    ・腹中有書

     六然

     ・自処超然(自ら処するに超然)
    ・処人藹然(人に処するに藹然)
    ・有事斬然(有事には斬然)
    ・無事澄然(無事には澄然)
    ・得意澹然(得意のとき澹然)
    ・失意泰然(失意のとき泰然)


9)夜深く人静まれるとき・・・

夜が更け人々が寝静まった時、独り座して自己の本心を観照すると、次第にもろもろの妄念が消滅して、自性清浄の真心だけが現われてくるのを覚える。このような折に、しばしば応用自在な心のはたらきを体得することができる。かくしてすでに真心が現われても、妄念は全く払い去りがたいことを悟ると、そこでまた大懺悔心を生じて、成道へ発心する。

 ・・・人には常に煩悩がある。煩悩を消し去ることはできない。

10)恩裡(おんり)に由来害を生ず・・・

(人情は翻覆常なく愛情は忽ちに変ずる)。恩情の厚いときにに、昔から、ややもすれば思わぬ災害を生ずることが多い。それ故に、恩情が厚くて得意な境遇のときに、早く反省して後々の覚悟をしておくがよい。また物事は失敗した後に、かえって成功の機をつかむことが多い。それ故に、失敗して思うにまかせぬときにこそ、手を投げ出してしまってはならない。
 
 ・・・えてして人間は順風の時に失敗する
 ・・・艱難、汝をたまにす

11)藜口莧腸(れいこうけんちょう)の者は・・・

平素、粗衣粗食に甘んじている士人には、氷のように清く玉のようにけがれのない心の持主が多いが、(これに反して)、美衣美食に奢る輩には、甘んじ奴碑のようなお追従を上位の者にする卑賤な態度の者が多い。思うに、人間の操守は、淡白な生活によってますます磨かれるが、その気概は、豪奢な生活によって次第に失われていくものである。

 ・・・simple is best
 ・・・幸田露伴の幸福論
     @惜福  一度成功したら、さらに切り詰め、福を惜しみ惜しみつかう。
     A分福  さらに成功し福が増えたら、福を分ける。
     B植福  もっと成功したら、孫の代、100年後の子孫のために、福を使う
 ・・・管仲
     @一年の計は、穀を植えるに如くはなく
     A十年の計は、樹を植えるに如くはなく
     B終身の計は、人を植えるに如くはなし

12)面前の田地は・・・

この現世に処する心構えとしては、できるだけ心を広く開放して、不平不満を抱いて嘆く人がないようにするのがよい。また死後にまで残る恩恵については、なるべく長く後世に伝えて、人々に乏しいという思いをさせないようにするのがよい。

13)径路の窄き(せまき)処は

狭い小みちのところでは、まず自分が一歩よけて、相手に先に行かせてやり、またおいしい食べ物は、自分のを、三分へらして、相手に譲り充分に食べさせてやる。一歩を譲り三分をへらして与えるという、このような心がけこそ、世渡りの一つの極めて安楽な方法である。

    ・・・人生の要諦は「お先にどうぞと譲ること」 

14)人と作(な)りて甚(なに)の高遠の事業・・・

ひとかどの人物となるには、格別なにも高遠な事業をなさずとも、名利の俗念さえ払い落とすことができれば、それでもう名士のなかま入りである。また学問をするにあたっては、格別なにも学識を増しふやす工夫をしなくても、外物によって心がわずわらされることさえ、へらし除くことができれば、それでもう聖人の境地にまで超え到ったものである。

   ・・・耶律楚材(ヤリツソザイ)

   興一利不若除一害    一利を興すは一害を除くにしかず。
   生一事不若減一事    一利を生(ふ)やすは一事をへらすにしかず。



2005−12−4

15)友と交わるには

友人と交わるには、利害打算からではなく、少なくても三分がたの義侠心をもちあわせていなければならない。また、ひとかどの人物となるには、世俗に流されるのではなく、少なくとも純粋な一点は残しておかねばならぬ。

 
 ・中国人とビジネスをする場合は、相手も義侠心を持っている思い込むと、とんでもない事になる。
   中国人が義侠心を感ずるのは、血縁(宗族)と帮(パン・・兄弟の杯を交わした者)のみ。
   ・日本人は泥で固めた団子・・・乾くとガチガチに固まる
   中国人は砂で固めた団子・・・乾くとバラバラになる

  ・利害打算のみに走った、姉歯事件。
   ・高学歴、学問で、人生経験の未熟な人間がおかす間違いが三つある
    @自分を高きとして、人を見下す。
    A自分に都合悪い事がおきると、潔さがなく、弁解・釈明をする。
    B簡単な事なのに、複雑・難解に言う

   ・
貞観政要に以下の言葉がある。
    人生感意気、功名誰復論・・・人生意気に感ずれば、功名など関係ない
     
16)寵利は人前に居ることなかれ

人から受ける恩恵は控えめにして、他人より先に取ろうとしてはならない。しかし人のためになる徳業は進んで行い、他人に遅れを取ってはならない。また、人から受け取る物は、もらうべきであっても分相応を越えてはならない。しかし自分がなすべき行為は、分相応をへらすことなく、より以上に努力しなければならない。

   ・貪欲をいましめた「分相応」は貴重な格言

17)世に処するに一歩を譲るを


世渡りをするには、先を争うとき人に一歩譲る心がけを持つ事が尊い。この自分から一歩を退くことが、とりもなおさず後に一歩を進める伏線となる。人を遇するには、厳しすぎないように、一分は寛大にする心がけを持つことがよい。この人のためにすることが、実は自分のためになる土台となる。

   ・「情けは人のためならず」
   ・仏教では「自利、利他」・・・他人を利することは、己を利すること

18)世を蓋うの功労も

一世をおおうほどの大きな功労も、(それを自慢する心が少しでも生じたら全く値打ちがなくなるので)「矜」というひとことに相当することができない。(反対に)、天下に満ちわたるほどの大きな罪過も、(それを後悔する心がほんとうに生じたら、すっかり消滅してしまうので)「悔」というひとことに相当することができない。

   ・「矜」にはおごる気持ちという意味もあるが、あわれむという意味もある。
   ・この章は「矜」をおごるよりは、あわれむととったほうが、より良い。
   ・(それを自慢する心が少しでも生じたら全く値打ちがなくなるので)ではなく、
   (人はみな、人をあわれむ気持ちあるが、その気持ちがなかったら、全く値打ちがなくなるので)
   ・孟子がいう
惻隠の情の事。
   ・仏教では「慈悲」。慈は、かわいそうという気持ち。悲は、何とかしてあげたいという気持ち。

19)完名美節は

完全無欠な名誉や節義などは、自分だけで独占してはならない。(たとえそうであっても)少しは人に分かち与えるようにれば、危害を遠ざけ無難に身を終えることができる。(これに反して)、恥しく汚れた行為や評判なども、すべて人の責任に押しつけてはならない。(たとえそうであっても)、少しは自分にも引きかぶるようにすれば、外には才能の光をつつみ、内には道徳を養うことができる。

  ・この章を見ても、姉歯事件がぴたりとあてはまる。
  ・張養浩の「三事忠告=為政三部書」に、「
任怨」(ニンエン)、分謗(ブンポウ)」という言葉がある。
   任怨(ニンエン)・・・怨みに任ずる。両方が成り立たない事も生ずるが、甘んじてうらみを受ける事
   分謗(ブンポウ)・・・謗り(そしり)を分かち合う。一人でいい子ぶらないで、
                                  仲間の失態や重しの一端を、背負ってあげること。
                    
   ・これとまったく逆の行動をした人が、ノーベル文学賞をもらったO氏。
      在日朝鮮人の帰還運動に携わり「北朝鮮はこの世の楽園」とあおった。
      拉致をはじめ北朝鮮の問題が表面化するとしらんぷりを決め込んでいる。

20)事々、個の有余不尽の意思を

何事にも、ゆとりを残し控えめにする気持というものを持っておれば、造物主もその人を忌み嫌うこともないし、神霊もその人に危害を加えることもしない。しかしもし、事業にも功名にも必ず十二分に満ち足りることを求めたならば、(造物主や鬼神に忌み嫌われて)、内部から変事が起こるか、さもなければ、必ず外部から心配ごとを招く結果となるであろう。

  ・この章を見ても、また姉歯事件と、HIVの問題を起こした、帝京大学の副学長を思い出す。


21)家庭に個の神仏あり

どの家庭にの中にも、一個、真の仏様というものがいるし、ふだんの日常生活の中にも、一種、真正の道士がいる。それは人間として、まごころをもって仲よくし、にこやかな笑顔で楽しく語り合って、父母や兄弟の間柄を、からだまでお互いにうち解けさせ、気持ちもお互いに通じあうようにさせることであって、これこそ調息や観心をするよりも、万倍もまさっている。

  ・調息・・・呼吸を整えること
  ・観心・・・自分の心を観察すること
   ・日常生活の仲にこそ、悟りがある。そこに気づくかどうかが問題。

22)動を好む者は、雲雷風燈

活動を好む者は、雲間に光る雷光や風にゆらぐ燈火のように、あまりにも動にすぎるし、静寂をあいする者は、火の消えた灰や立ち枯れの木のように、あまりにも静にすぎる。人間としては動かぬ雲や流れのない水のような静かな境地にあって、しかも鳶が飛び魚が躍るような溌剌たるようすがあってこそ、それで初めて真に道を修得した人の心ばえであるとされる。

  ・釈迦の最初の悟りは「苦楽中道」であった。極端に苦行の中にも、
      極端な快楽の中にも、悟りはない。
   真ん中の道、普通の生活の中にこそ悟りがあるという事。
  ・断琴の例え
     弦を強く張りすぎると、弦は切れる。
     弦の張りが、緩やかなれば、音がでない。
     弦をほどぼとに張ると、良い音がでる。