2007−07−14 122章から130章
2007−09−08 131章から136章
2007−12−08 137章から142章
前集122)
遇沈沈不語之士、且莫輸心。見悻悻自好之人、応須防口。
沈々語らざるの士に遇わば、しばらく心を輸すことなかれ。
こう々みずから好しとするの人を見ば、まさにすべからく口を防ぐべし。
うす気味悪いほど落ち着いて、容易に口を開かない人には、うっかり自分の本心を語ってはならない、(心の底が計り知れないから)。また、心が狭く怒りっぽくて、自分ではいいと思い込んでいる人には、うかつにものを言いかけられないようにせねばならない、(心の底がわかりすぎているから)。
「沈沈不語の士」には、二通りのタイプがある。
@にこりともせず、むっつりと黙っているタイプ。
Aにこにこするだけで、ひと言も発しないタイプ。
どちらが本当に怖いか?むっつりしている人には、始めから警戒して臨むから、滅多なことは喋らないが、にこにこしている人には、ついつい警戒心が緩み、うっかり本音をもらしてしまうので、Aの方が怖い。
黙ってにこにこしている人物に対しては、相手の目を見ること。顔相は笑っていても、目が笑っていない場合は、滅多なことは喋ってはいけない。
「悻悻自好」、自ら好しとする人=始末に負えない人。触らぬ神に祟りなし。
前集123)
念頭昏散処、要知提醒。念頭喫緊時、要知放下。不燃恐去昏昏之病、又来憧憧之擾矣。
念頭昏散の処は、提醒をしらんことを要す。念頭喫緊の時は、放下を知らんことを要す。
然らざれば恐らくは昏々の病を去りて、また憧々の擾れを来たさん。
気持ちがぼんやりして気が散るときには、本心を呼びさますことを知る必要がある。また、気持ちが緊張しきっているときには、ゆるめてやることを知る必要がある。そうでないと、恐らく、ぼんやりする気の病はなおっても、こんどは落ち着かない気の乱れをひき起こすことになる。
勉強会の始めに行なっている、「波動を整える」ことは、ぼんやりしている心や気持ちを呼び覚まし、緊張を緩める意味がある。仕事を始める前や、人と面談する前に波動を整えて、それまでの波動を切っておくと良いでしょう。
前集124)
霽日青天、倐変為迅雷震電、疾風怒雨、倐変為朗月晴空。
気機何常。一毫凝滞。太虚何常。一毫障塞。人心之体亦当如是。
霽月青天、たちまち変じて迅雷震電となり、疾風怒雨、たちまち変じて朗月青空となる。気機なんぞ常あらん。一毫の凝滞なり。太虚なんぞ常あらん。一毫の障塞なり。人心の体もまたまさにかくのごとくなるべし。
からりと晴れわたった青空も、にわかに変わって、はげしい雷鳴がとどろきすさまじい電光が走る空模様になるし、はげしい風や雨あらしも、急に一転して、明月が輝き晴れわたる夜空となる。大自然のはたらきになんの常があろうか、もとより変化して常ないが、それはほんのしばしの滞りであって、すぎてしまえば元の青空となる。大空になんの常があろうか、もとより変化して常ないが、それはしばしのふさがりであって、すぎてしまえば元の大空となる。人間の心のすがたも、また、このようでありたいものである。
今井宇三郎先生の訳には、ちょっと無理がある。
洪自誠の言わんとすることは2つある。
洪自誠は、三教兼修の士
・儒教 → 諸行無常・・・万物は流転して、いっときも同じではない。
変化は極まりなく、固定したものはひとつもない。
・道教 → 諸法無我・・・諸々のもの、全てのものには実態がない。
この世は全て仮想現実・バーチャルリアリティの世界である。
・仏教 → 無執着
従って、この理法のうちにある人間もまた、何事にも囚われることのない、無執着の存在であるべきだ。と、言いたかったのではないか。
今井宇三郎先生は、「変化」を主語とした。
・・・
迅雷震電も疾風怒雨も、つかの間の変化の姿で、青天晴空こそが常の姿、実態である。
と通釈しているが、これは、仏教哲理からすると、諸行無常、諸法無我、の考え方ではない。
諸行無常、諸法無我とは、迅雷震電、疾風怒雨はもちろんのこと、青天晴空もまた、常態、常の形態ではなくて、実態ではない。と、とらないといけない。
従ってこの主語は、「変化」ととるのではなく、「常」を主語とする。
・・・常の姿と見えるものは、いっときの目の錯覚。常の形に囚われるのはいっときのこと心の迷い。
共にまなこを曇らし心を塞ぐ。真理は変化のただ中にあり、人間の心もまたこのように
融通無碍でありたいものだ。
と訳すと、ぴたりとはまる。
※融通無碍=考え方や行動などが、場合に応じて自由に変わり、のびのびしている様子。
前集125)
勝私制欲之功、有曰識不早力不易者。有曰識得破忍不過者。
蓋識是一顆照魔的明珠、力是一把斬魔的慧剣、両不可少也。
私に勝ち欲を制するの功は、識ること早からざれば力易からずというものあり。識り得て破るも忍過ぎずというものあり。けだし識はこれ一顆の照魔の明珠、力はこれ一把の斬魔の慧剣、ふたつながら少くべからざるなり。
私欲を制御する工夫について、それを早く知るようにしないと制御することが容易ではないと言う者もあり、また、それを見破ることはできても制御するのに忍耐しきれないと言う者もある。思うに、それを知ることは、魔物を照らすひと粒の宝珠であり、それを制御する力は、魔物をたち切るひと振りの知恵の剣であって、この二つは一方を欠くことができないものである。
識(し)るは明珠
\ 知行合一
為(な)すは慧剣 /
識るも為すも合わせてひとつ
※知行合一 = ほんとうの知識は実行をともなう。
前集126)
覚人之詐、不形於言。受人之侮、不動於色。此中有無窮意味、亦有無窮受用。
人の詐を覚るも、言に形わさず。人の侮りを受くるも、色に動かさず。このうち無窮の意味あり、また無窮の受用あり。
人が欺いていると知っても、ことばに出してとがめるようなことはしない。また、人が侮っているとわかっても、顔色を変えて怒るようなことはしない。(この両者はなかなかむずかしいが)、これができる態度の中には、限りないおもむきがあり、また、計り知れない効用があるものだ。
口で言うのは簡単だが、実行するのは難しい。
前集127)
横逆困窮、是鍛煉豪傑的一福鑢錘。能受其鍛煉則身心交益。不受其鍛煉則身心交損。
横逆困窮は、これ豪傑を鍛煉するの一副の鑢錘なり。よくその鍛煉を受くれば、身心こもごも益す。よくその鍛煉を受けざれば、見心こもごも損す。
逆境や困窮の労苦こそ、ひとかどの人物を焼き鍛えるためのひと組の溶鉱炉のようなものである。その鍛錬をよく受けおおせれば、身心の両面に益があるし、受け損じると、身心の両面に損を受けて、できそこないになってしまう。
孟子の言葉に、
「天の将に大任を是の人に降(くだ)さんとするや 必ず先ず其の心志を苦しめ、
その筋骨を労せしめ、其の体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、
行なう所其の為さんとする所に払乱せしむ。
心を動かし性を忍ばせ、其の能くせざる所を増益せしむる所以なり。
人恒に過ちて然る後に能く改め、心に困(くる)しみ、慮りに横たわって、而る後に作(おこ)り、
色に徴(あらわ)れ、声に発して而る後に喩(さと)る。」
とあるが、洪自誠の手にかかると、このテキストの如く、短い文言でぴたりと決まる。
前集128)
吾身一小天地也。使喜怒不愆、好悪有則、便是燮理的功夫。
天地一大父母也。使民無怨咨、物無氛疹、亦是敦睦的気象。
わが身は一小天地なり。喜怒をして愆らず、好悪をして則あらしめば、すなわちこれ燮理の功夫なり。天地は一大父母なり。民をして怨咨なく、物をして氛疹なからしめば、またこれ敦睦の気象なり。
このわが身は一つの小さい天地である。喜怒の感情をほどよくし、好悪の感情を法則に合うようにすれば、それがわが身の調和をはかるうえでの工夫である。また、天地はこのわが身を包む一つの大きい父母である。一人も恨み嘆くものがなく、万物もそれぞれに障りがなく所を得ておれば、それが天地の平和な姿であるのだ。
私的な場に於いては、安らぎと調和
公的な場に於いては、親睦と平和 こうありたいもの
前集129)
害人之心不可有、防人之心不可無。此戒疎於慮也。寧受人之欺、毋逆人之詐。
此警傷於察也。二語竝在、精明而渾厚矣。
人を害するの心はあるべからず、人を防ぐの心はなかるべからず、と。これ慮るに疎きを戒しむなり。むしろ人の欺きを受くるも、人の詐りを逆うることなかれ、と。これ察に傷るるを警しむるなり。二語ならび在すれば、精明にして渾厚ならん。
「人に害を加える心を持ってはならないが、人から害を加えられるのを防ぐ心がけは持たねばならね」ということばは、思慮のうかつな人を戒めたものである。また、「むしろ人から欺かれても、あらかじめ推測して、いつわりを見破る心構えをしてはならね」ということばは、目先が利きすぎて失敗する人を戒めたものである。この両語を会得して実践することができれば、思慮は明らかになり、徳行は手厚く円満になることができよう。
個人の問題のみならず、国家の国防外交の基本方針としても通ずる。
前集130)
毋因群疑而阻独見。毋任己意而廃人言。毋私小恵而傷大体。毋借公論以快私情。
群疑に因りて独見を阻むことなかれ。己れの意に任せて人の言を廃することなかれ。
小恵を私して大体を傷ることなかれ。公論を借りてもって私情を快くすることなかれ。
たとえ大ぜいの人が疑いをもつからとて、自分が正しいと信ずる意見をやめてはならない。さりとて、自分の意見だけを信じて。人の正しい発言を採り上げないようではならない。また、小さな恩恵を施しこれに私情をさしはさんで、大局を見そこなうようなことがあってはならない。世論の力を借り人をきめつけて、腹いせをするようなことがあってはならない。
反日ジャーナリストや政治家の倫理綱領にすれば良い。
「菜根譚」には、名言、名句が多いのには驚かされる。
苦労人、洪自誠という人物は、余程できた人だったのだろう。
前集131)
善人未能急親、不宜預揚。恐来讒譛之奸。悪人未能軽去、不宜先発。恐招媒孽之禍。
善人、いまだ急に親しむことあたわざれば、よろしくあらかじめ揚ぐべからず。おそらくは讒譛の奸を来たさん。悪人、いまだかろがろしく去ることあたわざれば、よろしくまず発すべからず。おそらくは媒孽の禍いを招かん。
善人でも、親しんで交わるまでになっていないときには、前もってほめそやすのはよろしくない。おそらく、ざんげんをするよこしまな人が現われるであろうから。悪人でも、簡単に退けられるまでになっていないときには、前もって口に出して非難するのはよろしくない。おそらく、罪を作り出されるわざわいを受けるであろうから。
洪自誠は若い時に、さんざん苦労したのであろう。上辺だけを見て
人をほめたり、安っぽい正義感から人を非難してはいけない。
前集132)
青天白日的節義、自暗室屋漏中培来。旋乾転坤的経綸、自臨深履薄処操出。
青天白日の節義は、暗室屋漏のうちより培い来たり、旋乾転坤の経綸は、臨深履薄のところより操り出す。
晴れわたった青空のように明らかに輝く節義も、もとは人めにつかない場所で人知れず慎独の修行を積んで培い育てられたものである。また、天地を一新するような国家の施策も、もとは深いふちに臨み薄い氷を踏むような、細心の注意と慎重な計画の中から考え出されたものである。
「青天白日の節義」は、促成栽培では出来ない。
「旋乾転坤の経綸」は、アバウトでは出来ない。多面的・根本的・長期的な考察から生まれる。
成果主義・市場経済重視・自由競争促進は、人間を幸せにしたか。その典型であるアメリカを見てみると、否である。ごく少数の大金持ちと、圧倒的大多数の貧乏人が生まれた。このまま進めば1%の人が、99%の富を獲得する事態となる。こ
れでは自由主義的な奴隷国家となってしまう。
人間社会は「進化」と「調和」で構成されている。進化だけでもダメ。調和だけでもダメ。競争は進化の属性の一つであって、本性ではない。自由には堕落という落とし穴があり、さらに独占という毒もある。
聾断・・・
高い場所から人の往来を眺めて、あらかじめ決めてあった場所を無視し。
一番人通りのよい場所に出店し利益を独り占めするという意味。
前集133)
父慈子孝、兄友弟恭、縦做倒極処、倶是合当如此。着不得一毫感激的念頭。
如施者任徳、受者懐恩、便是路人、便成市道矣。
父は慈に子は孝に、兄は友に弟は恭に、たとい極処になし到るも、ともにこれ、まさにかくのごとくなるべし。一毫の感激の念頭を着けえず。もし施す者は徳に任じ、受くる者は恩を懐わば、すなわちこれ路人、すなわち市道と成らん。
父は子に慈に子は父に孝に、兄は弟に友愛の情を尽くし弟は兄に恭敬の道を尽くす。これらのことを、たとえ理想的な程度にまで行えたとしても、それは肉親として当然のことで、少しも恩着せがましい心を持つには当たらない。もし施す方で施した恩恵を意識し、受けた方で受けた恩恵を意識したら、それは全くあかの他人で、利益を取り引きする仲になってしまう。
孟子の五倫
父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信
これらの関係では、「give
and take」ではなく「take and take」
前集134)
有妍必有醜為之対。我不誇妍、誰能醜我。有潔必有汚為之仇。我不好潔、誰能汚我。
妍あれば必ず醜ありてこれが対をなす。われ、妍に誇らざれば、たれかよくわれを醜とせん。
潔あれば必ず汚ありてこれが仇をなす。われ、潔を好まされば、たれかよくわれを汚さん。
美しいものがあれば、必ず醜いものがあってその対になる。そこでもし自分に美しさを誇る心がなければ、誰が自分を醜いと言えようか、言えない。また、清いものがあれば、必ずきたないものがあってその対になる。こそでもし自分に清さを好む心がなければ、誰が自分を汚すことができようか、できない。
・いつの世にも、どこの国にも、清規(表社会のおきて)と、
陋規(裏社会のおきて)がある。
・清い水だけ飲んでいたも、清さは分からない。汚れた水を飲んでみて、初めて清らかさを理解できる。
・くさいものにフタでは、うまくゆかない。
・山口組を徹底的に締め上げたら、新宿地区は中国の蛇頭がのさばっている。
・安っぽい正義感だけでは、ダメである。裏社会は必ずある。
前集135)
炎涼之態、富貴更甚於貧賎、妬忌之心、骨肉尤狠於外人。
此処若不当以冷腸、御以平気、鮮不日坐煩悩障中矣。
炎涼の態は、富貴さらに貧賎よりもはなはだしく、妬忌の心は、骨肉もっとも外人よりも狠なり。このところ、もし当たるに冷腸をもってし、御するに平気をもってせざれば、日として煩悩障中に坐せざること鮮なからん。
人情の暖かさ冷たさの変化は、(利害の対象が大きいので)、富貴の者の方が、貧賤の者よりも一層はげしい。また、ねたみそねむ心は、(事情に通じているので)、肉親の者の方が、あかの他人よりも一層はげしい。この点について、もしも冷静な心で当り、平静な気持ちで制御していないと、毎日毎日、身心を悩まし苦しめて絶え間がないであろう。
煩悩障中とは六大煩悩
@貧(とん) |
むさぼりの心。物欲。名誉欲。
権力欲。支配欲。
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三
毒 |
五
毒 |
六
大
煩
悩 |
A瞋(じん) |
怒りの心
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B痴(ち) |
愚痴。嫉妬。ねたみ。ひがみ。
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C慢(まん) |
傲慢。驕慢。うぬぼれ。
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D疑(ぎ) |
疑いの心
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E悪見(あっけん) |
間違った思想。
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・六大煩悩は、人間誰も持っている心である。その心をセーブし、その心に振り回されない事が大事。
急には改められないが、改めなければ変われない。
・欲張らないことが大事。
・悪見の典型は唯物思想。推薦図書「ワープする宇宙」では、この世は、4%以下の物質世界と
96%の非物質世界から成り立っていると言っている。たかが4%の事象から、この世の全体像を
語られたら困ってしまう。
前集136)
功過不容少混。混則人懐惰堕之心。恩仇不可大明。明則人起携弐之志。
功過は少しも混ずべからず。混ずれば、人、惰堕の心を懐かん。
恩仇は大いに明らかにすべからず。明らかにせば、携弐の志を起こさん。
部下の者の功労と過去とは、少しもあいまいにしてはならない。もしも、あいまいにすれば、部下の者は怠け心を持つようになる。(これに反して)、個人的な恩義と遺恨とは、はっきりしすぎてはならない。もしも、はっきりしすぎると、部下の者は離れ背く心を起こすようになる。
功過格(コウカカク) 。 功や、過をただして、信賞必罰を行うこと。
前集137項)
爵位不宜太盛。太盛則危。能事不宜尽畢。尽畢則衰。行誼不宜過高。過高則謗興而毀来。
爵位はよろしくはなはだ盛んなるべからず。はなはだ盛んなれば危うし。能事はよろしくことごとく畢るべからず。ことごとく畢れば衰う。行誼はよろしく過高なるべからず。過高なれば謗興りて毀来たる。
爵禄や官位は登りつめない方がよい。あまり登りつめると、人にねたまれてその身が危ない。特別な才能は出しつくさない方がよい。あまり出しつくすと、長続きせず下り坂になる。品行は上品にしすぎない方がよい。あまり上品にしすぎると、仲間はずれにされて、そしられたりけなされたりするようになってくる。
前集138項)
悪忌陰、善忌陽。故悪之顕者禍浅、而陰者禍深。善之顕者功小、而陰者功大。
悪は陰を忌み、善は陽を忌む。ゆえに悪の顕われたるは、禍に浅くして、隠れたるは、禍に深し。
善の顕われたるは、功小にして、隠れたるは功大なり。
悪事は人めにつかないところを忌みきらい、善行は反対に人めにつくところを忌みきらうものである。そこで、人めにつくところに現われた悪事はわざわいの根も浅いが、隠れた悪事はその根が深い。同様に、人めにつくところに現われた善行は、たかの知れたものではあるが、隠れた善行はなかなか偉大である。
前集139項)
徳者才之主、才者徳之奴。有才無徳、如家無主而奴用事矣。幾何不魍魎猖狂。
徳は才の主、才は徳の奴なり。才ありて徳なきは、家に主なくして、奴、事を用うるがごとし。
いかんぞ魍魎にして猖狂せざらん。
人格が才能の主人で、才能は人格の召使いである。才能だけがあって人格の劣ったものは、家に主人がいなくて、召使いが勝手気ままにふるまうようなものである。どんなにか、もののけが現われて、暴れまわらないことがあろうか。
前集140項)
鋤奸杜倖。要放他一条去路。若使之一無所容、譬如塞鼠穴者。
一切去路都塞尽、則一切好物倶咬破矣。
奸を鋤き、倖を杜ぐには、他の一条の去路を放つを要す。
もしこれをして一も容るるところなからしめば、たとえば鼠穴を塞ぐもののごとし。
一切の去路、すべて塞ぎ尽くせば、一切の好物ともに咬み破られん。
悪党を取り除き、へつらうやからをふさぐには、彼に一すじの逃げ路を用意しておく必要がある。もしも彼にひと所も身を置く場所がないようにしてしまうと、たとえば、ねずみの穴をふさいでしまうようなものである。すべての逃げ路をふさいでしまうと、苦しまぎれに大事なものまでも、すべて咬み破られるにちがいない。
前集141項)
当与人同過。不当与人同功。同功則相忌。可与人共患難。不可与人共安楽。安楽則相仇。
まさに人と過ちを同じくすべし。まさに人と功を同じくすべからず。
功を同じくすれば相忌む。人と患難をともにすべし。
人と安楽をともにすべからず。安楽なれば相仇とす。
人と共にして失敗した責任を分かちあうのはよいが、成功した功績は共有しようとしてはならない。共有しようとすると、仲たがいの心が生じてくる。人と苦難を共にするのはよいが、安楽を共にしようとしてはならない。安楽を共にしようとすると、憎み合う心が生じてくる。
前集142項)
士君子貧不能済物者、遇人癡迷処、出一言提醒之、遇人急難処、出一言解救之。亦是無量功徳。
士君子、貧にして物を済うことあたわざる者、人の癡迷のところに遇い、一言を出してこれを提醒し、人の急難のところに遇い、一言を出してこれを解救す。またこれ無量の功徳なり。
士君子は、とかく貧乏で物質的な面で救うてやることはできないが、しかし愚かで迷っている人に会ったときには、ただの一言でその迷いから目を覚まさせ、また、危難に苦しんでいる人に会ったときには、ただの一言でその苦しみから救ってやれる。このように精神的な面で救うてやることができるので、これもまた計りしれないほどの功徳である。
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