〈 はじめに 〉
「論語に学ぶ会」は今年で20年になりますが、今回の合同例会はこれに相応しく、日本儒教の
聖地、湯島聖堂斯文会館で開催することができました。かねがね、一度はここでやってみたいものだ!
と思っておりましたが、東京塾諸君の想いが通じたのでしょう、8月27日一日だけが空いていて、
他の日は3年先まで塞がっていました。こういうのを「天の計らい」と云うのでしょうね。
永野塾長に「よく取れたねえ!」と云ったら、当の斯文会事務局の人達もビックリして、狐につままれたようだ!?と話していたそうです。
ここは昌平黌の跡で、江戸時代ここの学長をやっておられた佐藤一斉先生には常々天上界から当会を指導して頂いておりますが、今日ここを借りられたのは、恐らく佐藤先生のお計らいによるものだと思います。
敬意を表して、三十年振りに「言志四録」全巻を読み直してみましたが、最終巻の「言志耋録」は八十過ぎてから書いたものだそうだけれど、少しも衰えを感じさせない。一斉先生は大変長命な方で、88才で天寿を全うされる迄、全くボケなかったそうですね。こうありたいですね、私たちも。
「言志四録」を改めて読んでみて感ずるのは、佐藤一斉は易経を徹底的にやった人でありましたから、形而上の事物に通じておりました。そのせいかどうか、仁の土台では地下四階「寛恕」、知の柱では地上四階「覚識」、中庸の発現レベルでは「菩薩」の境地を得ていた人だと云うことが分かります。
キネシオロジーテストで測ってみると、この人の意識レベルはlog560、「言志四録」四巻の認識レベルはlog540と出ますから、確かに菩薩の悟りは得ていたようですね。ですから、一斉先生は、目に見える世界は勿論、目に見えない実相の世界が常に視野に入っていたと云うより、むしろそちらの方に軸足があるようにも思えます。
今から三十年前に初めて「言志四録」を読んだ時は、何を云わんとしているのかよく分からない所が
ありましたが、三十年振りに読んでみて「ああ、こういうことだったのか!?」と、ハッとするものが何本もあります。その年になってみないと分からないことって、結構あるものですね。
中でも「言志晩録」の60条にある有名な「三学戒」、
『少而学則壮而有為・少にして学べば即ち壮にして為すこと有り。
壮而学則老而不衰・壮にして学べば即ち老いて衰えず。
老而学則死而不朽・老いて学べば即ち死して朽ちず。』と云うもの。
ザッと直訳しますと、『若い時に一所懸命学んでいれば、壮年になっていい仕事をすることができる。
壮年になって一所懸命に学んでおけば、老いても精神力が衰えることはない。老年になっても尚学び続けていれば、死んでも朽ち果てることはない』となりましょうか。
佐藤一斉は、何を学ぶか?具体的な事は何も云っていないけれど、空理空論を避けて、為になって役に立つ実学を学べ!魂の糧になるものを学べ!と云うことでしょう。実学と一言で云っても、青年期〜壮年期〜老年期と、それぞれの年代に応じて学びの中身が変わってくる、三通りの実学がある!ということですね。
私はこれを三つの実学、つまり「三実学」と解しております。どういうことかと申しますと・・・・
三実学 @
少学で云う所の実学・・・実用の学 ⇒ 能力を磨く
(実務に役立つ学習・研究)
A
壮学で云う所の実学・・・実利の学 ⇒ 徳を磨く
(人生の中で道理や哲理を探求)
B 老学で云う所の実学・・・実相の学 ⇒ 魂を磨く
(人間存在の実相や諸法の実相を悟る)
実相とは、真実の姿・本当に本当のこと、つまり、真理のことです。
私は今年で64歳になりますが、これ迄この「三学戒」の老学の下り、「老いて学べば即ち死して朽ちず」・『老年になっても尚学び続けていれば、死んでも朽ち果てることがない』を、死んで肉体は朽ちても、その人に人生の集大成たる晩年の作品、喩えば、書物や絵画や音楽や陶芸や詩歌などは遺るから、その人の名や精神は忘れられることなく後世へ遺産として伝えられていくと解釈しておりました。皆さんもそんな所ではないでしょうか?
ところが、今回改めて読んでみて、確かにその様な意味合いもあるけれど、どうもその程度のことを云っているのではないな!ということに気がつきました。晩年これと云った作品など残さずに死んでいく人が殆んど、一周忌も過ぎないのに世間から忘れられてしまう人が殆どですからね、歴史的な現実は。
同じ「言志晩録」の292条に、驚くような文章があります。ちょっと長いですが是非知っておいて頂きたいので紹介します。
「夢中の我(夢の中の我)も我なり。醒後の我(醒めた後の我)も我なり。其の無我(夢の中の我)たり、醒我(醒めた後の我)たるを知る者は、心の霊(心霊、つまり魂のこと)なり。真我は自ら知りて醒睡に(醒めている時も睡っている時も)間つること無し。常霊常覚(真我たる魂とその覚醒したる意識)は、万古に亘りて死せざる者なり」と云い切っている。
どうですか!江戸時代を代表する知の巨人であり、かつ当時の最高学府の学長であった佐藤一斉が、常霊常覚即ち、真我たる魂とその覚醒したる意識は、万古に亘りて死せざる者なり!永遠不滅である!!と云っている訳ですね。ここ迄悟っていたんです。佐藤一斉は!
ですから、「老いて学べば即ち死して朽ちず」を死んでも名前や作品は後世に遺る、と解するだけでは充分ではない。その程度のことをわざわざ一斉先生が語る筈がない。一斉先生の云わんとする所は、「真我たる魂は永遠不滅であることを知っておけよ!五十六十過ぎたら実相の学をやって真理を学んでおけよ!!
棺桶に入る前に、人間存在の実相を知っておけよ!!」と云っている訳です。
するとどうなるか?と云えば、万人が逃れることのできない宿命即ち「死」に対する恐怖が取り除かれることになる。本当の自分である魂は永遠不滅で死ぬことがないのですから。これは大きな福音です。普通は死んでしまえば一巻の終わり。すべてなくなる!と思っていますからね。だから、無になること程怖いことはない訳です。
つまり、老学とは実相の学のことであって、この世でしか通用しない、死して朽ちる仮相の学などやっている暇はないのだ!五十六十すぎた人間が!!と云うことです。(言志四録は是非文庫で読んで頂きたい)
サア皆さん!当会の会員はみな学問好きの方ばかりですが、胸に手を当てて考えてみてください。あなたが、これ迄やってきた学問は、死んだら朽ちてしまう学問・この世でしか通用しない学問ですか?
それとも、死んでも朽ちない学問・この世でもあの世でも通用する学問ですか? 仮相の学ですか?実相の学ですか?
一斉先生は、縁あって本日この湯島聖堂斯文館に集った私たちに、まずそこを問うている訳です。「どうなのだ!?」と。
当会の設立理念は「学真行道」・真理を学び、学んだ真理の道を行ずる、というものです。その真理を何から学ぶか?と云えば、まず以て論語に学んで、学んだことを実践して行こう!と云う会であります。ですから会の名称を「論語に学ぶ会」とした訳ですね。「論語を学ぶ会」ではありません。
本日は本当によく来てくれました。一斉先生も大変喜んでおられることと思います。それではお待ちかね、当会唯一の必修科目「論語開眼」をバージョンアップして語ることにしましょう。
「言志四録」
佐藤一斎が後半生の四十余年にわたり記した随想録。
「言志録」、「言志後録」、「言志晩録」、「言志耋(てつ)録」の4書の総称である。
「論語開眼」論語に学ぶ人間の原点
■ 論語って? 孔子って?
ここ数年来論語が異常なブームになっておりまして、書店に参りますと、常時20種類位は並んでいるようです。文庫本も何種類か出ておりますから、誰でも気軽に買って読むことができます。
論語は、こんな薄っぺらな小さな書物に過ぎないのですが、売れている割には、実際に全篇を学んでみた人となると、これが又、実に少ない。人口比で申しますと、論語全篇を通しで学んでみたことのある人は2,500人に一人位しかおりません。ただ、今から20年前は一万人に一人位でしたから、幾分は良くなりましたが。
東京都の人口は約1,000万人ですが、これを2,500で割りますと僅か4,000人しかいない勘定になります。日本全体でみますと、1億2,500万人割る2,500で、たった50,000人位しかいない訳です。
寺子屋が盛んだった江戸時代の末期、日本人の識字率は60%位で、その三割は一所懸命論語を読んでいたと云われますから、当時の人口3,000万人×60%×30%=540万人の人々が論語に親しんでいた訳ですね。
今は、人口が四倍の1億2,500万人になっておりますが、読んでいる人は百分の一の5万人。人口に占める論語愛読者の比率は、江戸末期が18%で五人に一人、現代では0.04%で2,500人に一人。
つまり、論語という書物は、よくつまみ食いされる割には、すべてを堪能し、味わい尽くされることは滅多にない読み物なんですね、現代は。つまみ食いしている人は、100人に一人位おりますから、全国で百万人はいるでしょうか。 日本は儒教精神の国である!などと云われますが、これは江戸時代のことでありまして、現代には殆んど当てはまりません。精神として残っているのではなく、形としてのみ残っている。
例えば皆さんは、位牌とか墓とか年忌法要の仕来たりは、仏教オリジナルのものだと思っていませんか?残念ながら、これは本来の釈迦仏教とは何の関係もありません。釈迦の教えは、「諸法無我」つまり、『この世のもので実態のあるものは一つもない、すべては仮の世・仮の姿!肉体煩悩を捨てよ!肉体執着を断て!!』の一点張りですから、本来の仏教に、この世に未練を残すような位牌や墓や法要などある訳がありません。
位牌や法要は、日本仏教特有のものでありまして、元々儒教のしきたりをちゃっかり拝借したものなのです。ウソだと思うなら、菩提寺の住職に聞いてごらんなさい。「仰せの通りです!」と答えますから。「サア〜、知りません!」などと云う坊主がいたら余程の生臭坊主でしょう。
因みに位牌のルーツは、尸
→ 面 → 木主
→ 位牌 と変化しました。
坊さんが、位牌に戒名を書いて、一文字何万円などと云う戒名料は仏教とは何の関係もないことで、お釈迦さまが聞いたら腰を抜かすんじゃないでしょうか!?あれは、本人の生前の功徳を称えて死後に贈られる称号・「諡号」の仕来りを真似たものです。本来の戒名は、出家して入門を許された比丘に対して授けられる「授戒」のことですが、鎌倉時代に頭の良い坊さんがいたんですね、位牌と檀家制度をセットにした。これで日本仏教は今日まで生き残ることが出来た訳ですから、皮肉なものです。
近年、聖徳太子なる人物は実在したのか?しないのか?と云う論議が盛んなようですが、実在する筈がないでしょう! 「聖徳太子」なる称号は、死後に贈られた諡号ですから。厩戸の豊聡耳と云う大人物は西暦574年〜622年の46年間、日本に実在しました。聖徳太子の生前の正式な名称は「厩戸の豊聡耳の皇子」でしたからね。
さて、その論語でありますが、一体どう云う書物なのか?と申しますと、孔子と弟子達や政府の要人達との間に交わされた対話の記録をまとめたものであります。孔子は、今から約2,500年前、時代で云うと春秋の末期に実在した人物ですが、当時の「礼楽」即ち礼式作法と音楽の第一人者であった訳です。30才頃に私塾を開設致しまして弟子をとり始めますが、孔子晩年には弟子の数、三千人とも云われておりまして、さながら学園のようなものになっておったようですね。
孔子が授業として弟子たちに教えたのは「礼楽」でありまして、「論語」を教えた訳ではありません。ここを勘違いしている人が随分いらっしゃるようですが、論語とは読んで字の如く、論じ語る、つまり講義の合間や、日常生活の中、或いは旅先で弟子達と何気なく交わした会話を記録したものなのであります。
弟子達は、孔子から聴いたこと、教わったことをそれぞれが断片的に記録しておりました。記録すると云っても、この当時は紙も筆も墨もありませんから、どうやって記録したかと云うと、木簡や竹簡、或いは絹や麻の布に、箸の先を細く削ったような棒に漆を付けて書いたようです。
孔子が亡くなってからしばらくして、直弟子達も年をとって来たので、誰からともなく、師の語られたことを忘れないうちにまとめておこう!と云うことになりまして、断片的に記録したものを皆で持ち寄った。この時、編纂の中心になったのは孔子の孫の子思で、子思の門人達、つまり孔子の孫弟子によって論語の最初の編集が成されたようです。そして出来上がったものが「論語」の原形となりました。
前漢迄は、論語には「古論」・「魯論」・「斉論」の三通りの伝本があったと云われますが、現在のような一本にまとまったのは前漢末になってから、つまり孔子の死後400年位経ってからです。何度も云うように、論語は会話の記録ですから、孔子の本音がそのまま語られ、孔子の素顔がそのまま記されている訳です。
では孔子とはどの様な人物だったのでしょうか?ざっと経歴を見てみましょう。(詳しくは孔子年表を)
BC |
552年 |
春秋末期の魯国にて、父孔紇・母顔徴在との間に
孔子生まれる。
腹違いの姉九人・兄一人がいる。
父の孔紇は下級武士、母の顔徴在は巫女であった。
孔子の姓は孔、名は丘字は仲尼。
|
|
3才 |
父と死別 |
|
15才 |
「吾十有五にして学に志し」・学問の道に生きることを決意。 |
|
17才 |
母と死別 |
|
19才 |
幵官氏と結婚し一男一女をもうける。
長男の名は、鯉、字は伯魚、長女の名は嬈。
鯉の長男即ち孔子の孫が伋、字は子思。
妻の幵官氏は後に蒸発してしまう。つまり孔子はバツイチ。 |
|
27才 |
仕官して家畜の管理や会計の職に就く。 |
|
30才 |
「三十にして立ち」・学問に対する自分なりの見解が確立。
私塾を開設し、弟子をとり始める。 |
|
40才 |
「四十にして惑わず」・何事にも戸惑うことがなくなった。 |
|
50才 |
「五十にして天命を知り」天が自分に与えた使命を覚った。 |
|
51才 |
魯の定公に用いられ中都の長官となり、実績が認められて
大司冠(今で云う法務大臣)に抜擢され魯国の大改革を行なう。 |
|
55才 |
政争に敗れ亡命。以後14年間弟子とともに亡命生活を送る。 |
|
60才 |
「六十にして耳順い」・何を聞いても動じなくなった。 |
|
68才 |
魯に帰国する。哀公に仕官を求められるが断り、
青年教育に余生を捧げる。 |
|
70才 |
「七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」・
心の赴くままに行なっても道理に違うことがなくなった。 |
BC |
479年 |
74才でこの世を去る。死水をとったのは弟子の子貢。 |
経歴からも分る通り、孔子は大変な苦労人でありました。論語を読んだことのない人は、孔子様とはさぞかしお堅くて、道徳の干物か倫理の化石のようなお方ではなかろうか?と思っているようですがとんでもありません。酒も飲むし歌も歌う、お洒落でもあり、グルメでもありました。抹香臭いことも、理屈っぽいことも何も云っていない。誰にも分るようなことしか云っていない。
誰にも分るけれども、じゃあその通り実行できるか?となると、これが難しい。当たり前のことを当たり前にやると云うのは、本当に難しいものです。だからこそ、一層論語が光ってくる。「当たり前のことを、当たり前にやりなさい!」と云っているのですから。ところが、我々凡人は、この当たり前のことをすぐに忘れてしまいます。
では一体、何が人として当たり前のことなのか?孔子はズバリと述べています。
子貢問うて曰わく、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者ありや。子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。
通釈してみましょう。
弟子の子貢が「一生涯把持すべき一言があったら教えてください」と云った。「それは恕かな?」と答えたが子貢が理解できない様子だったので、孔子は言葉を補足して「恕とは分かり易く云えば、自分がされたら嫌なことは、決して人に仕向けてはならん!ということだ」と云った。「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ・自分がされたら嫌なことは、人に仕向けるな!」の所に線を引いたらいいと思います。
更にこうも云っています。
子貢曰わく、如し博く民に施して能く衆を済う有らば何如。仁と謂うべきか。子日わく、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶諸を病めり。夫れ仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取る。仁の方と謂うべきのみ。
通釈してみましょう。
弟子の子貢が「もし人民に遍く恩恵を施して、よく衆生を救済することが出来たなら、仁と云うべきでしょうか?」と質問した。孔子は「それが出来たら仁どころではない。聖人と云って良かろう。堯・舜程の聖天子でさえ、なかなかそれが出来ないと云って気をもんでおられたのだ。仁者とは、自分がこうありたい・ああなりたいと思うことはまず人にやってあげる。つまりよく我が身に置き換えて身近な所から実践して行く。これが仁者のやり方である」と答えた。己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。(自分がこうありたい・ああなりたいと思うことはまず人にやってあげなさい!)」の所に同じく棒線を引いたらいいと思います。
これなどは、新約聖書、マタイによる福音書第七章「さらばすべて人にせられんと思うことは、人にも亦その如くせよ!」というイエスの黄金律と同じことを孔子は云っている訳ですが、利他の愛、人に対する思いやり、これが人間として当たり前のことである!と云っているのであります。
かと思えば、孔子は随分と粋なことも云っております。
唐棣の華、偏として其れ反せり。豈爾を思わざらんや。室是れ遠ければなり。子日わく、未だ之を思わざるなり。 其れ何の遠きことか之れ有らん。
通釈してみましょう。
『にわざくらの花がヒラヒラと揺れている。あなたのことを思わない訳ではないけれど、何ぶん家路が遠過ぎて』と云う流行歌を黙って聴いていた孔子は、口を開くと、「それはまだ心底惚れていない証拠だ!惚れて通えば千里も一里と云うではないか!!」と云った。これなどは特に人間通孔子の面目躍如たる所です。
また、弟子達はよくこんな記録を残しておいたものだ!と、仏典や聖書には絶対見られない面白い話もある。
子、南子を見る。子路説ばず。夫子之に矢いて日わく、予が否なる所の者は、天之を厭たん、天之を厭たん。
通釈では面白くないので、文言を補って意訳してみましょう。
孔子が衛の霊公の夫人で、大変な好色癖で有名な南子の誘いを断りきれず、弟子達に内緒でこっそりと会いに行って来た。これを見た弟子の子路は『セッ、先生!何処へ行って来たのですか!?まさかあの南子に会いに行って来たんじゃないでしょうね!?』と問い詰めた。子路のあまりの剣幕に驚いた孔子は、苦しまぎれに「わしは何もイヤラシイことはやっていないってば〜!もし私にやましいことがあるならば、きっと天罰が下るだろう。
天が私を亡ぼすだろう!」と弁解した。天之をたたん、天之をたたんとは、何とオーバーな言い訳でしょうか。本当に何もイヤラシイことを何もしていないならば「お前たちの心配することではない!」と一言云っておけば済むものを「天之をたたん、・・・・・・」などと云うものですから弟子たちはかえって「何かあったな!?」と勘繰りたくなる。純情でウブな人だったんですね、孔子は。
ここ迄はほんの小手調べ、これから愈々本論に入ります。
■ 徳とは?
孔子教学を一般に儒学と申します。儒学を儒教とも云いますが、儒教は仏教やキリスト教のような宗教ではありません。学問です。どんな学問かと申しますと、君子・つまりリーダーを養成する為の学問であります。ですから儒学のことを「君子の学」とも云います。
「聖人君子」と云う熟語がありますが、儒学は聖人を養成する為の学問ではありません。聖人は「無師独覚」あるいは「無師独悟」と云って、教師などいなくても独りで悟れる人のことを云うのでありまして、聖人を養成する学問は残念ながら人間はまだ発明しておりません。釈迦も孔子もイエスも、教師などおりませんでした。独りで悟ったのです。今のところ学問で養成出来るのは君子までです。
では、君子とはいかなる人物のことを云うのでしょうか? 一般的には、身分の高い人のことを指しますが、この他に、練れた人物・出来た人物・心映えの立派な人物を指す時にも使います。つまり、心映えが立派で、練れた人物・出来た人物であってこそ、人の上に立つことができる、高い身分が許される、と云うことですね。これを君子と云うわけですね。
君子にも、大君子もあれば、中君子もあり、小君子もありますが、本人の学問修養いかんで、誰でも小君子程度にはなれる!とするのが儒学の眼目であります。本人の修養いかんでどうにでもなれる、と云うことから、儒学のことを別名「脩己治人の学」とも云う訳です。その儒学の祖が孔子であり、儒学の基本書が論語であります。
学問の根底には、須らく真理がなければならないと云われますが、真理とは、万古不易の実相のことを云うのでありまして、二百年や三百年で変ってしまうようなものは真理とは申しません。
ならば儒学の根底にある真理・万古不易の実相は何か?と云いますと、それが「徳」と「中庸」にある訳です。孔子教学から、徳と中庸を抜き取ったら、儒学は成り立ちません。先程の位牌や法要の仕来たりのように、形式だけに堕してしまいます。丁度、仏教から、「転生輪廻」と「カルマの法」を抜き取ったら仏教哲理が成り立たないのと同じです。
儒学に於ける「徳」と云うと、まず皆さんの頭に浮かぶのは、仁・義・礼・知・信の「五常」ではないでしょうか?五常を五徳とも云いますが、これは孔子が述べたものではありません。前漢の時代、武帝に仕えた儒者・菫仲舒と云う人が、孔子の徳を五つにまとめたものですが、分り易く申しますと、仁とは人を思いやる心・義とは正義を貫く心・礼とは礼を尽くす心・知とは知恵を磨く心・信とは人を信じる心、のことであります。
徳にはこの他に、孝・忠・恵と云うものもありますが、それらを包括する「徳」と云う概念は一体何でしょうか? 広辞苑を引いてみますと・・・・
@
心に養い身に得たところ。人道を悟って行為に表すこと。
A
道徳的に善い行為をするような性格の習慣。
B
生来有する性質、天性、品性。
C
人を感化し敬服させる力・・・・等々。
色々有り過ぎてどうもピンと来ません。
徳という言葉は頻繁に使われているけれども、改めて「徳とは何ですか?」と問われて、スカッと一発で答えられる人は殆んどいないってことでしょう。辞書でこの程度なのですから。私もコリャイカン!と思いまして、あれこれ書物をひっくり返してみましたが、徳の概念をピシッと抑えたようなものが見当たらない。漢和辞典を引いても、スカッとした説明がない。
これは困ったなあ?と思っておりましたが、ある時フト、漢字は元々象形文字・表意文字であるから、文字の一つ一つは元来現象や形態を象ったものである筈だ!と云うことに気が付いた。ならば、文字の由来を調べてみれば、何か手掛かりが得られるんじゃなかろうか?と考えまして、解字をみたら、ちゃんとそこにあるではないですか!
徳の原字は「悳」、心+直の会意兼形声文字で本性のままの素直な心の意と。これが徳の元々の概念であった訳です、素直な心というのが。
時代が移り変わりまして、次第に世の中が複雑になって参りますと、「素直な心」だけでは追いつかなくなりまして、「心で思っているだけではダメだ!実践行為が伴わなくては!!」となった。そこで行為を表す「彳」(適うの意)が加わって「」なる文字となるがどうも縦に長すぎ
ておさまりが悪い。そこで・・・
となった。漢字には面白いところがありまして、納まりの悪い文字は倒したり、横に持ってきたりする習慣がある。例えば、想うは相+心ですが
となったりいろいろあります。
となったり
等々いろいろあります。
徳と言う文字も恐らくそんな所ではないだろうか?と思った訳です。これで徳の意味はスッキリ致しました。
つまり徳とは、「素直な心で素直に生きよ!」・「真っ直ぐな心で真っ直ぐに生きよ!」「曲がった心でヒネクレて生きるな!」ということであります。
では、その徳を具体的に云うとどうなるか?
「人を思いやるに素直であれ!」 ⇒ 仁
「正義を貫くに素直であれ!」 ⇒ 義
「礼を尽くすに素直であれ!」 ⇒ 礼
「知を磨くに素直であれ!」 ⇒ 知
「人を信じるに素直であれ!」 ⇒ 信
と云う五つの実践徳目、即ち「五徳」(五常)になる訳です。
さて、その仁・義・礼・知・信なる五徳でありますが、論語を百回以上読んでみますと、孔子はどうもこの五つの徳目を同列、並列であるとは認識していないようなのであります。義も礼も知も信も、全て根っこに仁がある!と考えているようなのであります。
子日わく、道に志し、徳に據り、仁に依り、 藝に游ぶ
通釈しますと、孔子云う「人生の王道を目指しなさい!その王道は徳を拠り所としなさい!徳はすべ
て仁を土台としなさい!その上で高い教養を身に付ける。これが人生の王道である」と云っているのであります。つまり、「仁あっての義・仁あっての礼・仁あっての知・仁あっての信、即ち、徳はすべて仁ベース!!」と述べている訳です。
これでまたまた目からウロコが落ちました。
よく考えてみれば確かにその通りですね。仁がなく義のみが独り歩きすれば、正義の為には手段を選ばず!となって暴虐無惨を極めることとなります。(人間は国家正義の名の下に、人類どころか、地球をも破滅させてしまう原爆まで作り出しました)仁がなく礼のみが独り歩きすれば、実のこもらない上辺だけ・形だけの虚礼となる。(戒名料などと云う訳の分らぬものが、一つの制度になっている)仁がなく知のみが独り歩きすれば、人はどうなろうと自分さえ良ければそれでいい!とする冷酷非情な利己知・狡猾知となってしまいます。(世界経済をひっくり返したハゲタカファンドをご覧なさい!) 仁がなく信のみが独り歩きすれば、我が神以外はすべて異端、異端者は殺せ!とばかりに地上の地獄絵が展開される。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の果てしない報復戦争)
つまり、徳はすべて「仁ベース」である!と云うことです。カクテルを作るときは、ジン(gin)をよくベースに使いますが、それでそこにカクテルの絵を入れた訳です。カクテルを作る要領です。
徳の構図を絵にすると、下段のようになります。
この構図は、しっかりと腑に落としておいて下さい。いいですか!?ここが分っていないと論語を百篇読んでもダメ、百年勉強してもダメ、単なる物知りになるだけで、活学したとは云えんでしょう。殆んどの人が論語のツマミ食いで終わってしまうのは、実は、この構図が分っていないからなのです。
論語510章中、仁に関する章が58章もあるのは、このせいなのですね。孔子は、大変重要な事を、サラリと云いますから、うっかりすると読み飛ばしてしまうんですね、肝心要な所を!
本当に、何年経っても、「論語読みの論語知らず」です。
■中庸とは?
次には中庸であります。南宋の儒者・朱子は、中庸を「不偏不倚無過不及・不偏不倚過不及無し」と定義します。分り易く云いますと、「偏らず、倚りかからず、過ぎる事無く、不足することなく、バランスよく調和する」と云うことです。ここを以て現代人は、中庸のことを足して二で割る妥協論のように捉えがちですが、そうではない。両方の都合の良い所で折り合いをつける折衷論に近いけれども、もうちょっと奥行きがある。中庸も文字で説明した方が、元々の概念がつかみ易いでしょう。
いかがですか? 何か気付きませんか?そうです!中庸とは、「相生和合、統一止揚」のことなんです。Aか然らずんばBか?俺か然らずんばお前か?
と云った「相剋排他」の考えではダメだ!と云っているのです。
分り易く云うと、「貴方と私で一本の棒を持ち、力を合わせて両者を包摂する新たな道を築きましょう!」ということであります。これを「相生和合、統一止揚」と申しますが、アレ?どこかで聞いたような気がするが・・・?と思った方がおられるのではないでしょうか?
そう!論理学をやった方ならお気づきでしょう、これは正―反―合なる弁証法と全く同じ。つまり、弁証法は、中庸の一つの応用なんですね。
云い方を換えますと、「Aの良い所とBの良い所を併せ持ち、それらを統一止揚して、一層進化させた、ニュートラルなハイブリッド進化論」、これが中庸と云う言葉の本来の意味なのであります。
この概念を図にしてみますと、ピラミッドになります。
この図を説明しますと・・・・。
一番下のA・B・C・D・Eとあるのは個のレベル。AさんBさんCさんDさんEさんと考えてもらって結構です。一番小さいピラミッドです。(個人単位)
二番目は、AとB、BとC、CとD、DとEを統一止揚しますと、イ・ロ・ハ・ニと云う一回り大きいピラミッドになります。これが集団レベル、血縁レベルと考えてもらって結構です。(家族単位)
三番目はイとロ、ロとハ、ハとニを統一止揚すると、あ・い・うと云う更に一回り大きなピラミッドになります。これが社会レベル、地縁レベルと考えてもらって結構です。
(市町村や都道府県単位、または企業単位と考えてもらって良い)
四番目は、あ と い、い と う、を統一止揚すると、甲・乙と云う一層大きなピラミッドになります。これが国家レベル、人縁レベルと考えてもらって結構です。(国単位と云うことですね)
そして、甲と乙を統一止揚しますと、1という最も大きなピラミッドになる。これが地球全体のレベル、時縁レベルと考えてもらって結構です。(惑星単位ですね)
つまり、地球と云う惑星レベルで中庸と云うものを考えた時、民族の違いも、部族の違いも、家族の違いも、個人の違いも超えて、「地球人」と云う名の下に一体である!と云うことですね。地球人類はみな同胞と云うことです、大きな眼で見れば。同胞は、分かち合い、助け合うのが当たり前で、奪い合ったり、争いあったりしている暇などないんです。本当は!
この入れ子式の多重構造になっているピラミッドの概念が中々分りづらいようですので、補足説明を致しますと、
@ 個人レベルでしか世界を見れない人を集団レベルの目を持った人が見れば、ヤボ・世間知らず、
井の中の蛙にしか見えないでしょう? 個人のエゴにしか見えないでしょう?
A 集団レベルでしか世界を見れない人を、社会レベルの目を持った人が見れば、ヤボ・世間知らず、
井の中の蛙にしか見えないでしょう? 家族エゴにしか見えないでしょう?
B 社会レベルでしか世界を見れない人を、国家レベルの目を持った人が見れば、ヤボ・世間知らず、
井の中の蛙にしか見えないでしょう? 地域エゴ、企業エゴにしか見えないでしょう?
C 国家レベルでしか物事を見れない人を、地球レベルの目を持った人が見れば、ヤボ・世間知らず、
井の中の蛙にしか見えないでしょう? 国家エゴにしか見えないでしょう?
D 惑星レベルでしか物事を見れない人を、銀河レベルの目を持った人が見れば、ヤボ・世間知らず、
井の中の蛙にしか見えないでしょう? 猿の惑星にしか見えないでしょう?
皆さんは、子どもの頃、真剣に思い悩んだことを、大人になってから振り返ってみて、「何であんなことで悩んでいたんだろう?随分尻が青かったな!?」と思ったことがないでしょうか?成長とともに世界観が広がることを、精神的進化と申しますが、別の言葉で云うと『より高次の認識力を獲得する』ということですね。
建物で云えば、一階建てより二階建て、二階建てより三階建て,三階建てより四階建て、四階建てより五階建ての方が、より広く見通せる、見晴らしがきくと云うことです。
まあ、中庸とは、
『自を害さず他を害さず、自他共に生かす道。
私を害さず公を害さず、公私共に生かす道。
個を害さず全体を害さず、個と全体共に生かす道。』
つまり、人間が大調和をはかりながら、無限に進化して行く為の、ニュートラルなハイブリッド進化論、これを「中庸」と云うんですね。
以上、徳と中庸の図を重ねて見ますと
この図は、人間の心を建物に喩えてみたものですが、どこまで大きな家を建てようと本人の自由、つまり、どこまで大きな人物になるかは本人次第。しかし大前提として、家を支える仁の土台と、その土台にしっかりと打ち建てられた義・礼・知・信の柱がなければ家は潰れてしまいます。仁の土台つまり、人を思いやる気持ちが深ければ深い程、太い柱と高い屋根が乗せられる。即ち大人物となることができる。この図は、こういうことを云っている訳です。
サア皆さん、何処迄大きな人間になれるか?すべてはあなた次第です。それにはまず、あなたが仁の土台を何処迄深く掘れるか?にかかっております。只今現在のあなたの仁の土台、人を思いやる気持ちは一体如何程のものでしょうか?自分がどれ程の人物かを知りたければ、次のことを己に問うてみなさい!
☆1. 自分独りだけを思いやる仁か? 自己愛のみか?
☆2. 家族・血族を思いやる仁か? 家族愛のみか? ここ迄ならば猿でもできます!
☆3. 友人・知人・同僚や地域社会・地縁を思いやる仁か? 隣人愛、郷土愛はあるのか?
☆4. 祖国・民族、つまり人縁を思いやる仁か? 祖国愛・民族愛はあるのか?
☆5. この惑星に住む人々・地球人類の全て、つまり、時縁を思いやる仁か?
同じ地球人としての同胞愛はあるのか?
人は、仁の土台の深さに見合うだけの高さの建物しか建てられません。基礎を疎かにして高い建物を建てようとすれば、潰れてしまうんです! 仁の土台の深さ、仁の及ぶ範囲・仁の射程距離、それが只今現在の貴方の正体です。地位、学歴、肩書、財産などは人物の大きさと何の関係もありません。
こうして縁あって〔論語に学ぶ会〕と云う素晴らしい会に集った皆さんであります。どうか、この縁を生かしてください。人は、血縁・地縁・人縁・時縁によりて生かされている存在です。縁を粗末にしてはなりません!
現代人は縁を粗末にしすぎます!縁を大切にする者は縁によりて生かされ、縁を粗末にする者は、縁に見捨てられるのです。
孔子教学即ち儒学とは、一言集約してみるならば、「活縁の学問」・縁を生かす学問と云って良いでしょう。活縁によりて「己を活かし」・「人を活かし」・「全体を活かし」て下さい。
ところで孔子は、人間というものをどのように捉えていたのでしょうか?
子日わく、教え有りて類無し。
通釈しますと、「人は、生まれてからの教育や修養でどうにでもなるものであって、生まれつき上下の種類がある訳ではない!」と断言しております。福沢諭吉はこれを「天は、人の上の人を造らず、 人の下に人を造らず」と釈しました。
更に孔子は次のようにも云っております。
子日わく、性、相近きなり、習、相遠きなり。
子日わく、唯上知と下愚とは移らず。
通釈しますと、前の文は「人間の本性は皆似たりよったりでそんなに違いのあるものではない。生まれてからの習慣で、月とスッポンの開きが出来てしまうのだ!」・後の文は「良い習慣を身に付ければ立派な人物になれるが、悪い習慣を身に付ければバカになってしまう他はない!」と云っている。 習慣は第二の天性であると云われますが、確かに人間は習慣の生きものであります。
人間の運命には、変えられるものと変えられないものがあります。血筋や性別などは一生変えられないものですから、これを「宿命」と申します。これ以外は大抵本人の心掛け次第で変えて行けるものですが、変えて行けるものを「立命」・自ら運命を確立する、と云います。従いまして、運命=宿命+立命、 宿命<立命ということになります。
立命とは習慣の別名なんです。どんな習慣の別名かと云うと「身・口・意」の習慣、「思いの習慣」と「言葉の習慣」と「行いの習慣」の別名です。
これら三つの習慣は、何によって育まれ、形成されて行くのか?と云うと、これが先程から申し上げている縁による訳です。図に画いてみますと、
オギャーと生まれて真先に接する習慣は家族、つまりの血縁によるものです。子供になると、隣近所や学校と云った地域社会の習慣によって育まれる。これが地縁によるものですが、家族から受けた習慣が地域社会である程度修正されるような仕組みになっている。
成長して社会人になりますと、今度は職場の習慣に染め上げられる。ある程度仕事を任されるようになりますと、いろんな職業の人と接するようになり感化を受ける。様々な人との出会いにより、自分自身を見つめ直さざるを得ないような機会に遭遇する。これが人縁であります。
更に活動範囲が広がって、民族・言語を異にする外国の人と接するようになりますと、価値観や習慣の違いに驚かされたり感心させられたりしますが、興味を持ってじっくり観察・研究してみれば、同じ星に生れた地球人同士だから、根本の所ではそう違わないことを発見する。
ハロー、 你好、 グッバイ、 再見
と云うことに相成る。
これが時縁、21世紀の地球人類としての時代の縁であります。
つまり、血縁−地縁−人縁−時縁と云うのは、一人一人が知らぬ間に身に付けてしまった悪しき習慣を本人に気付かせ、改めさせて、自らの力で運命を開拓して行けるように、幾重にも張り巡らされたバックアップシステムである!と云えるでしょう。人間の「徳」と云うのは、人間関係の縁の中でしか磨かれないものなのです。この〔論語に学ぶ会〕と云うのも例外ではありません。
21世紀と云うこの時代に、地球と云うこの星の、日本と云うこの国の、〔東京〕と云うこの地に集っている訳ですから。どうか、この縁を大切にして下さい! この会をあなたの活縁の場にして下さい!!活縁していく中で、あなた方が大変貌を遂げる時がある。それは「自分以外のものの為」に生き始めた時、その時あなた方はその場で菩薩に変身する!その時から、あなたの本物の人生が始まるのです!!
自分の為に、自分の家族や身内の為に、自分の会社や職場の為に、ためになって役に立つことをやるのは当たり前のことで、偉くも何ともありません。自分以外のものの為に、自分の家族や身内以外のものの為に、自分の会社や職場以外のものの為に、ためになって役に立つことをどれだけやったか!?
これが、あなたと云う人物のスケールを決めるのです!!
自分さえ良ければ!などというケチな了見は、今日限り捨てなさい!!
■ 大きな人となれ!
最後に、儒教的悟りの階梯について説明します。