2008年度 夏季合同例会講演記録
記録 佐々木塾 伊藤民子
<はじめに>
今回の合同例会は、初めて東京塾の皆さんを迎えての記念すべき例会となりました。また、岐阜支部から、古澤君ご夫妻が急遽駆けつけてくれました。各塾から東京塾を表敬訪問してもらっておりますから、既に顔見知りの方もおられるかと思いますが、大半は初顔合わせであります。懇親会では大いに盛り上がって親交を深めてください。
さて、本日の演題は『人間存在の実相と心の諸相』と云う何やら物々しいタイトルでありますが、何人かの方に、今回はどんな話を聴きたいか?と問いました所、皆さん共通していたのは、普段の月例会では聴けない、ズバリと突っ込んだ精神世界の話をして欲しい!と云うことでありました。
精神世界の話は何度もして来たつもりですが、実は、かなりの部分意識的にボカシて来たと云うか、あえて伏せて比較的無難なことを選んで皆さんに伝えるようにして来ました。ズバリと本当のことを云ったら、「自分の今迄の人生は一体何だったんだ!?」とショックで寝込む人がいるかも知れない!?
まだ早いかな!? と判断してきたからなんですね。
所が今回は遠慮せずズバリと語ってもらいたい!と云う。今迄控えめに語って来た内容にそろそろ飽き足りなくなったのでしょう。そこで今回は、ショック死しない程度に今迄ノドまで出かかってあえて伏せて来たことも含めて、かなり突っ込んだ精神世界の話をしてみたいと思います。
本日欠席された方にはお気の毒ですが、今日の私の話を聴いて、この場で覚醒される方が出てくるかもしれませんし、長年悩んで来たことが一気に解消するかも知れません。
話をしている途中で声のトーンが変わったり、表情が変わったりすることがあるかも知れませんが、その時は、ハイアースピリットが私の言語中枢を使って語っておりますから、写真を摂りたい人は撮ってもかまいません。面白い写真が撮れるかも知れませんよ!?
昨年皆さんに(この)「リサ・ランドール」を半ば強制的に読ませましたから、「人間は肉体がすべて!宇宙は物質がすべて!
死んでしまえば一巻の終わり!!」などと考えているオバカサンはさすがに居なくなりましたが、東京塾の方はまだ読んでいないと思いますのでちょっと説明しておきます。
リサ・ランドールという女性は、現在、世界で最も注目されているハーバード大学の理論物理学の教授で、最先端の理論物理学ではすでにここ迄分っているとして次のように云っている。曰く、『宇宙の構造は、物質世界が4%以下、非物質世界(これをダークマター或いはダークエネルギーと云うそうですが)が96%以上である』と。
つまり、この大宇宙には、私たちが五感で感知することのできる太陽系を含めた三次元物質宇宙は全体の25分の1以下でしかない極めて稀な存在で、大部分即ち25分の24以上は目に見えない五次元非物質宇宙から成り立っている!と云うのです。
ですから、人間は肉体がすべて! 宇宙は物質がすべて!
とする唯物論や唯物主義は、全く以ってナンセンス、無知蒙昧から来る「亀毛兎角の空華論」だと云うことです。亀毛・兎角とは、亀には毛が無く、兎には角が無いのに、亀も兎も見たことの無い者が亀には毛が何本生えているのか?
兎の角は大きいか?小さいか?とバカな議論をし合っている様のこと。空華論とは、飛蚊症の眼病患者が空中に華が舞っていると見誤ることで、実体が無いものを実体があるかのように錯覚することを云います。
今から2500年前に釈迦は「諸法無我」・すべての物質には実体が無い!と説きましたが、最先端の理論物理学がようやくここ迄到達した訳ですね。釈迦の「諸法無我」の悟りのエッセンスをまとめたものが皆さんよくご存知の「般若心経」であります。ですから、(この)リサ・ランドール著「ワープする宇宙」という本は、般若心経の世界「色即是空・空即是色」の世界を科学的側面から説明したものと考えて良いでしょう。
理数系の頭脳の持ち主には大変分り易かったそうですが、私は頭が悪いものですから始めから終い迄難解でした。東京塾の諸君には後で回します。
まあ、こう考えてもらったら良いかと思います。精神世界とは今云ったようにこの三次元世界は勿論、それ以降の四次元・五次元・六次元・七次元・八次元・九次元の高次の世界で展開される「人間の心の様相」・「心の作用が織り成す世界」のことを云うわけです。
ですから、三次元物質世界に限定された宇宙論・精神論・人生論など本来ある訳が無いのです。J.SやH.IやM.Kの本など紹介したことがないでしょう? S,Hの本も紹介したことがないでしょう!? 当たり前なんですよ。どれもlog350以下の亀毛兎角の空華論だからです、彼らの書くものは。
何故かって? ジグソーパズルを例にとったら分り易いでしょうか?25ピースからなるジクソーパズルのたった一片だけ当てはめて、「出来た!
出来た!」とはしゃいでいるようなものでしょう! 三次元精神論・人生論は!? 「オイオイ、あとの24ピースはどうなっているんだい?」と云われて「これで全部!
あとは無し!!」と突っ張っているようなものでしょう、これは! バカと云うんでしょう?こういうのを。
精神世界の話は、目に見えない五次元非物質世界の認識が絶対条件になりますから、リサ・ランドールをまだ読んでいない方は必ず読んでおいて下さい。最先端の理論物理学では既に常識となっているんですからね。人間は肉体がすべて!
宇宙は物質がすべて! などと曰まっていると、理論物理学をやっている人にバカにされますよ! 何と愚かな人か!!と。
尚、いつもですと合同例会でお話しする特別講話の草案は、一週間位練ってから作るのですが、今回に限っては、どういう訳か、演題が決まった途端、天から降ってくるかのように次から次へとインスピレーションが湧き起こりまして一晩で書き上げました。後から読み返してみても、手直しする所は殆んどありませんでした。自動書記とはこういうことなのか!?
と改めて思い知らされた気がします。自我力から出たものは、たかが知れています! 前置きはこれ位にして早速本題に入りましょう。
一、人間存在の実相とは?
本日の最初のテーマは、「人間存在の実相とは?」であります。分り易く云うと、人間とはいかなる存在か?
本当の姿は何なのか?と云うことですが、今回はズバリと云ってくれ! ということですのではっきり申し上げます。メモを取りなさい。
曰く「人間の本質は魂である。肉体は魂の乗り舟である。魂は神の種を宿した永遠不滅の存在であって、生まれ変わり死に変わり即ち、輪廻転生を繰り返しながら無限の進化を遂げて行く。これが人間存在の実相である!」。書き取りましたか? もう一度云います。
「・・・・・・・々・・・・・・・々・・・・・・・々」。
これを絵に画くと
肉体を含む物質は、三次元現象界特有のもので、釈迦は「三次元現象界つまり、この世に肉体を持つ限り、生・老・病・死 、 愛別離苦、怨憎会苦、 求不得苦、
五陰盛苦の四苦八苦は逃れ得ないものだ!」と見抜いた訳です。
生とは生きる苦しみ、老とは老いる苦しみ、病とは病気の苦しみ、死とは死ぬ苦しみ。愛別離苦とは、愛するものと別れる苦しみ、怨憎会苦とは怨み憎むものと出会う苦しみ、求不得苦とは求めて得られぬ苦しみ、五陰盛苦とは五体つまり肉体を持つが故の本能的欲求が作り出す諸々の煩悩の苦しみ(色・物質、受・感覚作用、想・表象イメージ、行・意志行為、識・知識)ノンデ、クッテ、シテ、ネテ、タレテのこと。
釈迦はこれを見抜いた訳ですがここから先が釈迦のすごい所でありまして、我々凡人なら「ああそうか!ならば生きているうちに楽しめるだけ楽しんでおこう!
死んでしまえば一巻の終わりなんだから!!」となる所だけれども、釈迦は違った。
これら諸々の苦の原因は何だろうか? 苦を滅するにはどうしたら良いのだろうか?
その為の修行法はないものだろうか?と探求を続け、とうとうその方法を発見します。これが有名な「四諦」であります。
四諦とは、「苦諦」この世は苦であると云う真理→「集諦」苦の原因は肉体の執着であるという真理→「滅諦」執着心を断てば苦は滅するという真理→「道諦」滅諦に至るには八正道によるという真理、これを苦→集→滅→道と云いますね。
「八正道」とは、自らの心を深く深く見詰める反省行のことで、正見(正しく見たか?)・正思(正しく思ったか?)・正語(正しく語ったか?)・正業(正しく行なったか?)・正命(正しく生活したか?)・正精進(正しく努力したか?)・正念(正しく祈ったか?)・正定(正しく瞑想したか?)を日々点検する訳ですが、釈迦はこれを実践し続けて行くうちに、物凄いことを発見することになります。
物凄いこととは、「宇宙の理法」のことですが
その一 |
「諸行無常」万物は常に変化して少しの間も留まらない、つまり万物流転ということと、「諸法無我」すべての物質には実体が無い、つまり物質は儚い幻想に過ぎない、ということ。
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その二 |
なのに実体がないものをあるように思うのは何故なのだろうか?どういう作用によるものなのだろうか?と深く探求した末にたどりついたのが「三界唯心」現象界も幽界も霊界も、すべての世界の一切存在は、自分の心に映ずる現象であって、自分の心の外に世界はない、つまり自分の思いがすべての現実を創り出し、すべての環境を引き寄せる!という原理を発見する。
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その三 |
更に深く深く探求した結果、ついに釈迦は悟りを開きます、「一切衆生悉有仏性」生きとし生けるものは仏性つまり神の種を宿した神の子である!と。そして「一切有情悉皆成仏」神がその意志によりすべての宇宙を創造したように、神の種を宿した人間も自らの意志と信念によりすべての現実(リアリティー)を創り出しているのだということであります。「人間は死ねば皆成仏する、仏になる」という解釈は間違いです。
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いいですか!ここはしっかりと肝に銘じておきなさい! すべての人間には、魂が誕生した時から「心の自由」が与えられているんです! 保証されているんです!
自分で自分の人生を開拓して行けるように!
心の自由 @自由意思(思いの自由・信念の自由)
A自由意志(選択の自由・意思決定の自由)
これがあなたの現実を創り出し、環境を引き寄せているんです。つまり、すべてはあなたの心・思いが原因で、現実・環境はその結果ということですね。
原因結果の法則は、なん人と雖も晦ますことが出来ません。自分が蒔いた種は、自分で刈り取らなければなりません。どんな境遇のどんな人生を送るかは、すべて自己の責任。誰のせいでもない自分自身の責任なんです。それを、人のせい、社会のせいにして自己の責任を拒否する者は、益々本当の苦しみを味わうことになります。すべては「自業自得」自分で作った業の報いは、自分で受けることになる。
逆に、自分の責任としてしっかり受け止める者は、益々楽しい人生を送ることになります。つまりこういうことです。自分の人生を自ら創造者として生きる者は益々幸せになり、自分の人生を自分以外のものの犠牲者として生きる者は、益々不幸になる、これが宇宙の法則である!と云うことです。
皆さん他人事のように思っているかも知れないが、犠牲者のように生きている人って結構いるんですよ。胸に手を当てて自らを振り返って見なさい!
喩えば
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業績不振の原因を、景気のせい・競合店のせい・立地条件のせいにしていないか?
・
やる前から、出来ないことの理由を考え始めていないか?
・
済んでしまったことにいつ迄もクヨクヨしていないか?
・
どうなるか分らない先のことに気をもんでいないか?
・
変化することを嫌がり、変化から逃げ回っていないか?自己保存にはまって独り善がりになっていないか?
・
違いを楽しむことをせず、自分と違うものに対して善悪・優劣・甲乙をつけて排斥していないか?
・
安っぽい倫理観に縛られて、自己嫌悪に陥っていないか?自己処罰していないか?
・
青臭い正義感に固執して、人を裁いていないか?
まだまだあるけれども如何ですか?誰にも一つや二つ心当たりがあるのではないでしょうか?
人間は過ちを犯す生きものです、失敗を犯す生きものです。失敗してもいい!失敗の中から教訓を学び取って行けば!だが、失敗したらしっ放しで失敗の中から何も学び取ろうとしなければ、際限なく同じ所で失敗を繰り返し、世の鼻つまみ者となる他はありません。
孔子は「過てば則ち改むるにはばかること勿れ!」「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」と云っているではないですか!!改めようとしない人を皆さん何と言いますか?「疫病神」と云うでしょう?疫病神は自分の外にいるのではない!自分の心の中にいるんです!!
疫病神とは、自分に都合の良い屁理屈をこね回して自己を正当化し、責任から逃れようとする人のことを云うんです。自分の人生は、自分以外に責任を取れる人はいないんですよ!善業も悪業も全ては「自業自得」なんですよ!!
自分が今置かれた現実・環境を他人のせい・社会のせいにしてはいけない!
犠牲者根性、奴隷根性で生きてはいけない!! 現実・環境の創造者、主宰者として生きなさい!!
お手元の資料をご覧下さい。先程「人間存在の実相」を書き取ってもらいましたが、具体的な手掛かりを分り易く説いた書物がないものだろうか?と探しておりましたら、シンクロニシティー(共時性)が起きまして、伊藤先生が届けてくれた本の中に、10年程前に邦訳出版された『生命の目覚めるとき』というタイトルの本があり、そこに20項目にまとめてズバリと語っている箇所がありましたのでコピーしてお配りしておきました。
一つずつ読み上げますから、@理解出来るに○か×か? Aそう思うに○か×か?の二段階に分けた採点用紙に各自記入してください。
・・・以下資料・・・・・
いかがでしたか? 20項目中@の理解できる? Aのそう思う?
夫々に○がいくつ付いたか手を上げてもらおうかと思いましたが、ショック死されても困りますので今回はやめておきます。そのかわり、今ほど記入した採点用紙に○の合計を書き入れて下さい。○×付けなかった人は全部×。心の準備はいいですか?
その1 |
理解できるに○が18ケ以上、そう思うに○が16ケ以上ついた人は、この星(地球)での魂修業はほぼ終えましたから、来世は肉体を持たない高度に進化した星に転生するでしょう。また、皆さんの中には、地球人類の進化をサポートする為に志願してこの星に転生して来た魂も何人かおられますので、その人達は地球での役目を終えて、元居た高度に進化した母星に帰ることになるでしょう。
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その2 |
理解できるに○が12ケ以上、そう思うに○が10ケ以上ついた人は、間もなくこの星則ち地球が次の進化のステージにシフトアップしますから、次元上昇(アセンション)したこの星で新たな転生を迎えることになるでしょう。
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その3 |
理解できるに○が10ケ以上、そう思うに○が8ケ以上の人は、もうちょっと頑張って下さい。アセンションできますから。
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その4 |
云っていいのかどうか迷いましたが、今回はズバリと云ってくれ! ということですので、以下も申し上げます。理解できるに○が10ケ未満、そう思うに○が8ケ未満の人は、この星に残れるかどうかギリギリのところにいますから猛烈に頑張って下さい。学びっ放し、聴きっぱなしではなく、よく分かるまで必死で復習して下さい!分らない所は聞いてください。論語全編終る迄にlog350迄上げられればアセンションしたこの星に転生できるでしょう。
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その5 |
サテ、そこでもう一つ、皆さん一番気がかりなのではないかと思いますが、理解できるに○が5ケ未満、そう思うに○が3ケ未満の人は・・・・、いるかな?
何も心配いりません!あなたに最も相応しく、居心地のいい星が準備されておりますから、そちらに自動的に移住することになります。そこで腰ミノと棍棒の原始社会からもう一度やり直すことになります。これも案外面白いかも知れません。
かなり前にチャールトン・ヘストン主演の「猿の惑星」という映画がありましたが、それに似たような世界と思っていいでしょう、この人達が移住する星は。Log200未満の人が行く世界「修羅」の世界と思って良い。
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その6 |
エッ? 理解できるが全部×、そう思うも全部×の場合はどうかって?? いるのかね!?
これもまったく心配要らない! 今述べた腰ミノと棍棒の原始社会で一度オオカミや熊やゴリラのような非常に知恵が発達した野生動物に転生することになる。
人間は猿から進化したものではなく、元から人霊として創られたものですが、自分で動物の意識レベルにまで下げてしまったとなれば、本人にとってはそこが一番居心地がいい場所なんです。これも誰のせいでもない自己責任なのです。どんな世界に転生することになろうとも、少しも悲観したり失望したりする必要はありません。みんな神の子、神の分霊なのですから。
魂が永遠不滅であるように、時間は永遠にありますから早いか遅いがあるだけで、一切の存在はいずれ神に帰一するんです。何も心配はいりません。総理大臣や大統領になるより、オオカミかゴリラのボスになっていた方が気楽でいいかも知れないよ!?
体裁も倫理道徳もいらない、知恵と腕力という非常にシンプルな原理でカタが付くのだから。Log150未満の人が行く「畜生」の世界がこれですね。
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どんな世界に転生するかはエンマ様のようなおっかない神様が裁いて決めるのではありません。先程、すべての人間に「思いの自由」と「選択の自由」が保証されていると申しましたが、各自が自分に最も相応しい世界を選んでいくのです。波動の高すぎる所に行ったら居心地が悪いし、低すぎる所に行っても居心地が悪い。丁度いい塩梅の所を選んで行くことになる。十人十色、百人百様です。夫婦だから、親子だから、兄弟だから、恋人だからといって、皆が同じ世界に転生するとは限らないんですよ今度ばかりは!
尚、今紹介した「生命の目覚めるとき」は10月度の読書課題に挙げますから詳しくはそれをお読みください。それまで待てない人は、後で伊藤先生から著者名と出版社名を聞いて下さい。この本の内容の意識レベルはlog575、通信を送ったDr.ピーブルスと云うスピリットの意識はlog940、大天使ミカエルやガブリエルと同格のハイアースピリットです。
二、心とは何か?
私達は心と云う言葉を頻繁に使っておりますけれども、改めて「心って何ですか?」と問われたら「こうです!」と明快に答えられるでしょうか?一般的には、心とは、人間の精神のもとになるもののことを指しますが、ではそのもとになるものとは一体何なのでしょうか?
先程の絵を思い出してください。
心を広義に捉えた場合、実相(魂・霊体)と書いた部分が心に当たりますが、「魂」とは分り易く云えば『意識する生命活動体』、「霊」とは法則性を持ったエネルギーの最小単位で、宇宙に遍満する『一切存在の素原料』と考えて頂いてよいでしょう。
では、一切存在の素原料たる霊・エネルギーの最小単位である霊はどんな法則を持っているのでしょうか?主だった特徴を三つだけ挙げておきます。これは絶対に覚えておいた方が良いですよ!
<霊の持っている法則>
その一 |
一体感が強まれば強まる程エネルギーが増幅し、逆に分離感が強まれば強まる程エネルギーが減少する。即ち「親和性の法則」を持っている。(一即多、多即一。いっしょでバラバラ、バラバラでいっしょということです)
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その二 |
良い種を蒔けば良い実が生り、悪い種を蒔けば悪い実が生る。良い実も悪い実も自分が蒔いた種は自分で刈り取らなければならない。即ち「原因結果の法則」を持っている。(因果応報・自業自得ということです)
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その三 |
プラスの波動はプラスを引き寄せ、マイナスの波動はマイナスを引き寄せる。即ち「波長同通の法則」を持っている。(類は友を呼ぶ・似たもの同士は引かれ合うということです)
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これで、魂も肉体も、あなたも私もできている訳ですから、この法則には逆らおうにも逆らえない訳です。この法則を否定することは、即自己存在を否定することになりますからね!その素原料つまり霊が凝集して、統一体として個性を持ったものが魂です。これが広義の心です。
では、意識する生命活動体即ち魂に司令を送りコントロールしている魂の中枢たる狭義の心とは何でしょうか? これが ♡ で示した神の種の部分であります。ハートマーク
♡ はギリシャ神話がルーツではないかと云われていますが実によくできています。♡ はlove即ち「愛」の印で、the
heartとtheを付ければ「中心・核心・本質」の意味になります。また、I ♡ N・Yと書いてIlove
New Yokeと読ませ、I ♡ youと書いて、I love youと読ませる。(山形でもハートシンクロニシティーが起きたようで、今日のために作ったTシャツのロゴが「愛
♡ 論語」)つまり、神の種とは「愛」のことなんです。
欧米では心をハートマークで表しますが、実は古代中国でも心は と書きました。(象形文字)ともに
心臓部を模したハートです。
こう考えていいでしょう、意識する生命活動体である魂の中心にあるのが神の種である「心・ハート」であり、ハートとは「愛」そのものである!と。ですから、あなたも私も宇宙の一切存在はみな神の愛の化身、神の愛の結晶なのだ!ということです。
元々愛の塊として創られた人間が、愛に反することをやり続けるとどうなるか?云う迄もなく、心と体が分裂して不調和を引き起こします。私達はこの心と体が分裂した状態、不調和を引き起こしている状態をストレスと云いますね。
例えば、愛に反することを思い続けていれば胃と心臓がやられる。愛に反することを云い続けていれば肺とノドがやられる。愛に反することをし続けていれば肝臓と腎臓がやられる。更に、愛に反することを思い、愛に反することを語り、愛に反することをし続けていれば、全身の司令塔である脳がやられてしまいます。心と体は密接に繋がっておりますから体の変調・不調は「心のどこかが不調和を引き起こしているぞ!早く気付いて修正しろ!」というサインなんですね。
何柄年中「あっちが悪い!こっちが痛い!」といっている人・病気の百貨店のような人を時々見かけますが、これは実は「私は自分の心の不調和に気付かないオバカサンです!」と自ら表明しているようなものなんですね。いますよ、当会にも!勿論病気の全てがそうだと云う訳ではありません。カルマによるものもありますから。しかし80%はこれです。「三界唯心」なんです。
いかがですか? ここ迄の話し分りましたか?
ちょっと難しかったかな?そうだねえ・・・、話を分り易くする為に、心の中心からではなく、今度は側面から心を覗いてみましょうか。今年の新春合同例会で「自我」の観点から人の心を椰子の実に喩えて話したことを覚えているでしょうか?
自我
と云うものでした。
今回はこの図から、外皮と繊維と殻、つまり偽我を取り除いて、胚乳つまり真我の部分に焦点を絞って、どのような側面を持っているのか?を見てみましょう。この真我の部分が魂と思ってよいでしょう。
<心の四つの側面>
先程述べたように、真我・魂の部分を広義の心と云いますが心には、知性・理性・感性・悟性という四つの側面があります。知性とは考える心・理性とは想う心・感性とは感じる心・悟性とは悟る心のことであります。
考える心は論理を生み・想う心は道理を生み・感じる心はデリカシーを生み・悟る心は直観を生む。更に、論理は数学・科学となり、道理は倫理・道徳となり、デリカシーは芸術・音楽となり、直観は宗教・哲学となる。
皆さんは、数学・科学、倫理・道徳、芸術・音楽、宗教・哲学を夫々別のもの、個別に分離独立したものと思っていないでしょうか?近代以降、学問が高度に専門化し細分化された為、そう思うのも無理はないかも知れませんが、中世迄は、数学者で、哲学者で、芸術家でモラリストと云うマルチ人間は珍しくなかったんです。
代表的な人物としては、レオナルド・ダヴィンチがそうでしょう?ダヴィンチは、芸術家で、建築家で、音楽家で、工学者で、自然科学者で、天文学者でモラリストだったでしょ!コペルニクスもそうでしょう?彼は天文学者で宗教家で芸術家でもあった。近代では、アルベルト・シュヴァイツァーがそうですね。神学者で哲学者で音楽家で医学者でした。
何でそんなことが出来たんでしょうか?
側面図の真ん中を見てください。心の中心にハートがあります。ハートとは愛のことである!と申し上げました。つまりこういうことです、中心の愛が知性的側面として顕現したものが科学であり、理性的側面として顕現したものがモラルであり、感性的側面として顕現したものが芸術であり、悟性的側面として顕現したものが宗教であって、元は一つ!神の種即ち愛あるのみ!!
ということですね。
論語の講義の中で「徳はすべて仁ベース!仁あっての義・仁あっての礼・仁あっての知・仁あっての信である! 仁に根ざさぬ義・礼・知・信は不毛である!!」と皆さん耳にタコが出来る程聞かされて来たと思いますが、実は今云ったことと同じなんです。
五徳を今の図に当てはめてみると、
・・・ということなのです。
三、心を磨く
もうこれで分ったでしょう、心を磨くとはどういうことなのか!?が。そう! 愛の実践、仁の実践、これがハートを磨くことなのです!! はっきり云ってしまえば、それ以外は付録みたいなものなんです!
付録に振り回されている人がものすごく多い!! 仁の根っこから断ち切られた義・礼・知・信が不毛であるのと同様、愛の波動を伴わない科学・道徳・芸術・宗教は不毛です!
いいですか!?
どんなに立派で優れているかのように見えても、愛の波動を伴わない思想、愛の根っこから断ち切られた技術、愛のぬくもりが感じられない絵や音楽、愛のパワーを持たない道徳規範、これらは皆偽者、ガラクタです!
我々凡人は専門外のことになると盲同然です。ウソかマコトか?は本当のところよく分かりません。そんな時の唯一の物差しは、愛の波動が感じられるか?思いやりが感じられるか?
人のぬくもりが感じられるか?で判断する他ありません。
愛の傍観者には、こういうことが感じられないのです! 自らが愛の実践者となって初めて感じることが出来るものなんです!! 自分の為だけ、自分の家族の為だけ、自分の仕事の為だけ、自分の趣味の為だけに生きることはもうやめなさい!!
現世利益のみに生きることはやめなさい!!
人は自分以外のものの為に生き始めた時から、ハートが磨かれて来るのです!あなたの本当の人生が始まるんですよ!! あなたにとって、本当に必要なものはすべて与えられている!プラスもマイナスもぜ〜んぶ含めて。あれも欲しい!
これも欲しい! もっともっとと欲望原理主義で生きるから、あれも足りないこれも足りないとなるんです。何処迄欲ボケしたらきが済むんですか!?
欲望原理主義で生きることはもうやめなさい!!
分かち合え! 助け合え! 許し合え! 生かし合え!!『すべて人にせられんと思うことは、人にもまたその如くせよ!!
自分がこうありたい、ああなりたいと思うことは、まず人にやってあげなさい!!』『己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ!!
己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達すべし!!』
以上で本日のメインテーマは終わりますが、今日はこの他にオマケが二つあります。ここまでの話は、後日伊藤先生から講義録を作って頂いて皆さんにお配りする予定になっておりますが、これ以降の話しについては、今のところ講義録を作っていただくかどうか?決まっておりません。勿論HPには載りませんし、ビデオカメラもここでストップです。オマケはオマケ、わざわざ参加して下さった方への私からのささやかな贈り物と思っていただいてよいのではないかな?
参考資料 儒教的悟りの階梯
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/satori.htm
キネシオロジーと十界五具の関連表
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/isiki-map.htm
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