2006−10−14
@「堯曰く、咨爾舜、天の暦数、爾の躬に在り・・・」
通釈@ 堯が舜に帝位を禅譲するにあたり、次のように訓戒した。
「ああ、汝舜よ、帝位を継ぐ時が汝に巡って来たようだ。帝位に就いたならば、不偏不倚(かたよらず、よりかからず)・過不及無く(すぎることなく、およばざることなく)中庸の道を守り通して行けよ。万一天下万民を困窮に陥れるようなことがあれば、天が汝に与えた幸は永遠に断絶するであろう」と。舜もまた禹に帝位を禅譲するに当って、堯から訓戒されたと同じ言葉を以って命じた。
A「曰く、予少子履、敢えて玄牡を用いて・・・」
通釈A 殷の湯王が夏の桀王を討伐した際に、天帝に向かって次の如く宣誓した。
「ふつつか者の私履(湯王の名)が、ここに黒色の牡牛を捧げ、至高至大なる天帝に慎んでお誓い申しあげます。罪あるものは赦しません。天帝の臣たる賢人を広く挙げ用います。誰に罪があり誰が賢人かの判断は、私心をさしはさまず天帝の御心に委ねます。もし我が身に罪があったなら、どうかその罪を天下万民に下すことのないようお願い申しあげます。万一天下万民に罪があったなら、罪は私一人にお与えください」と。
B「周に大いなる賚(タマモノ)有り・・・」
通釈B 周の武王が殷の紂王を討伐した際、次の如く天帝に誓った。
「我が周には天から授かった大きな宝物があります。善人が大勢いるということです。善人が多くいるということは、親族に勝る宝であります。もし人民に過ちがあったなら、その責任は私一身にあるものであります」と。
C「権量を謹み、法度を審らかにし・・・」
通釈C
さて、荒廃した国を立て直すには、まず秤や升の度量衡を正しく定め、法令や制度を明示し、廃れたる官制を整備し直さなければならないが、これによって漸く天下が鎮まる所となる。次に滅びた国を再興して絶えた家系を復活してやり、乱世を逃れて隠棲していたる賢者を見出して挙げ用いてやれば、人民は必ず帰順するようになる。人民の一番の心配事は、食料の確保と家族の死に際しての喪と、先祖の祭りであるから、これを十分に叶えてやらねばならない。
以上人の上に立つ者の心得をまとめてみるならば、次の四つになろうか。
一に寛大であること。寛大であれば衆望をえられる。
二に信義に厚いこと。信義に厚ければ人民から信任される。
三に敏活であること。敏活であれば成果があがる。
四に公平であること。公平であれば不平不満はなくなる。
解説
湯王・武王が天地神明に誓った建国の宣言は見事なものである。『萬那罪あらば、罪朕(わ)が躬(み)に在らん』 『百姓過ち有らば、予(われ)一人に在らん』これ程重い責任は他にはなかろうし「人は元来皆善人である」と信じきれなければ、云えないことである。人間の器の大小は、結局の所どこ迄責任を負う覚悟があるか!どこまで人を信じきれるか!によって決まるようだ。
「子張孔子に問うて曰く・・・」
子張が孔子に「どのような人物であれば、政治に従事することが出来ましょうか?」と問うた。孔子は「五つの美徳を尊重し、四つの悪を斥ける者であれば、政治に従事させることが出来るだろう」と答えた。
五つの美徳
1) 恵して費やさず。 恵み深いが浪費はしない。
現代日本への提言
・まず国家ビジョンを示し、国家戦略を明確に打ち出す事。
・そのうえで国、県、市町村の議員定数を半分以下に減らす
・国家公務員、地方公務員を半分以下に減らす。
2) 労して怨みず。 人民に労役を命じるが怨みを買うようなことがない。
現代日本への提言
・徴兵制の代わりに、16-25才までの10年間の内の2年間を、
公務(ボランティア活動)に就くことを義務づける。
3) 欲して貪らず。 欲望はあっても足ることを知って貪ることがない。
4) 泰にして驕らず 泰然としているが少しも驕ったところがない。
5) 威にして猛からず。 威厳はあるが猛々しさがない。
現代日本への提言
3)から5)は、人間性・人格の問題であるので、小学校から「論語」を教える。
四つの悪
1) 教えずして殺す。「虐」
ことの善悪・正邪を教えてやりもせず、たまたま悪事をしたからと云って殺してしまう。
これを「虐」という。
2) 戒めずして成るを見る。「暴」
普段注意や警告も与えずやりたい放題にやらせておきながら、いきなり成果を示せと迫る。
これを「暴」という。
3) 令を慢(ゆる)
くして期を致す。「賊」
指示命令を曖昧にしておきながら、締め切りの期限を厳しく責めたてる。これを「賊」という。
4) 之を猶(ひと)しく与うるに出内(すいとう)の吝(やぶさか)なる。「有司」
どうせ人に与えねばならないものでありながら、いざ出す段になるとケチる。
これを「有司」(こわっぱやくにん)と云う。
「孔子曰く、命知らざれば、以って君子たること無きなり・・・」
孔子言う「天が自分に命じ与えた使命を自覚することが出来なくて、どうして君子と云えようか。仁の心を姿形に置き換えたものが礼であるが、この礼儀・礼節を弁えずして、どうして人の上に立つことが出来ようか。思いを音声に置き換えたものが言であるが、人の言の理非曲直を見抜けずして、どうしてその人物の賢愚・正邪を知ることができようか」と。
「知命」「知礼」「知言」の三つが君子としての前提条件であると、孔子は云う。最後に大命題を放って「論語」を締めくくったとは、編者も中々やるものだ。学而第一の冒頭「人知らずして慍(うら)みず、亦(また)君子(くんし)ならずや」と対応させて結んでいる。
孔子教学のエッセンスをまとめると
・人は天によって生かされている事を知っているか!?
・一人一人がそれぞれに目的と使命を与えられて生を受けた存在であることを知っているか!?
・人は無限に進化するものであることを知っているか!?
・不偏不倚・過不及無く、すべての物事を統一止揚して行く中庸の道の中に、無限進化の要道が
あることを知っているか!?
・人はパンのみにて生くるに非ず、肉体のみにて生きるに非ず、心・精神こそが人間の本質で
ある事を知っているか!?
天は人に、己の心(精神)を統御する完全な自由を与えた。
人の心は本来善一元である。
生まれつき悪の心を持った者など一人もいない。
然るに、なぜ人は悪の心を持つようになるのだろうか。
悪を為してしまうのだろうか。
実は、ここに絶妙なる天の計らいがあるのだ。
天が人に己の心を統御する自由を与えた秘密があるのだ。
人は一人では如何なる悪事も為し得ない。
人と人とが互いに己の自由を行使せんとする所に悪の淵源がある。
悪は自由と自由の相克から生ずるのだ。
生まれつきの悪人は一人もいないが、完璧な人間も亦一人もいない。
時には悪の心に染まることもあるであろう。
過ちを犯すこともあるであろう。
しかし、それに気付いたならば充分反省し、直ちに改める自由もちゃんと与えられているのだ。
反省の自由・改過の自由が与えられているということは、何物にも換えがたいことであるのだ。
もしこの自由が人に与えられていないとしたら、とうの昔に人類は絶滅していたに違いない。
万物進化の掟を乱す者として、天は人間を地上から抹殺していたに違いない。
ああ人よ、それぞれがそれぞれに相応しい一輪の花を咲かせよ。
桜は桜、百合は百合、紫陽花は紫陽花それぞれが、一燈を掲げて一隅を照らせよ。
自由と自由の相克する世界にあって、悪を捨て善を選びとって行けよ。
しっかりと心を鍛えて行けよ。
善なる思いの中で最大のものは「仁」である。
・仁に根ざして義を行ってゆけ!
・仁に根ざして礼を為してゆけ!
・仁に根ざして智を致してゆけ!
・仁に根ざして信を示してゆけ!
ここに人間完成(中庸)の道がある。
儒教的な世界観