平成18年度夏季合同例会
特別講話 『現代に甦る重職心得箇条』
―リーダーシップの原点―
平成18年8月26日(土) 於:山形・千歳館 記録・佐々木塾・伊藤民子
今回の合同例会は山形塾の当番でありまして、新潟以外の地で合同例会を催すのは、14年前に当会を開設して以来初めての試みであります。出席がちょっと少ないようですが、心ある道友が、新潟から、東京から、千葉から駆けつけてくれました。「朋 遠方より来たる有り、亦楽しからずや」であります。
本日の演題は『現代に甦る重職心得箇条・リーダーシップの原点』でありますが、すでに何度か講義をやっておりますけれども、一番近い所では何時だったろうかと調べてみましたら、平成14年1月の新春合同例会、この時は確か「ときわ会館」が会場だったと思いますが、今から4年前にやっております。
その後、青年部「後畏塾」が出来たり、「山形塾」が出来たり、新たな入会者があったりと会員が増えまして、『重職心得箇条』を一度もやったことのない方がかなりおられることが分かりました。そこで今回は、山形塾の諸君と相談の上、佐藤一斎の『重職心得箇条』を取り上げることに致しました。
私どもが常々学んでいる儒教、つまり孔子教学はそもそもが君子・リーダーを養成する為の学問でありまして、立派なリーダーを養成して、社会を丸ごと救済してしまおう!集団を丸ごと救ってしまおう!とする所にその眼目があります。
この、社会を丸ごと救済する集団救済という思想は儒教独特のものでありまして、仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、世界を代表する宗教はみな個人救済なんですね。「修身・斉家・治国・平天下」を治世の要道とする集団救済の思想は、儒教以外には見当たりません。
この丸ごと社会を救済することを「経世済民」と云いまして世を経り民を済う使命を担うのが君子、つまりリーダーと云う訳です。ですから儒学のことを別名「経世済民の学」と云ったり、「脩己治人の学」と云ったり、「君子の学」と云ったりする訳ですが、分かり易く云えば「リーダーシップ養成の学」ということです。
つまり、国家でも企業でも、リーダーシップの如何により良くもなり悪くもなる!ということですね。そのリーダーシップ養成のための基本書、正統中の正統が他でもない「論語」である訳です。
これは毎度皆さんに申し上げていることですが、リーダーの必要条件は、人望・手腕・先見性・運の四つであり、その中でもリーダーシップの要は「人望」即ち「徳望」にある!ということです。リーダーに徳望があれば、自然に運は引き寄せられるし、手腕や先見性のある人材も引き寄せられる!ということですね。
では、そのリーダーシップを養う為に、今日どんなことが行われているのでようか?偉人伝や英雄伝を読んだり、古典を紐解いたり、歴史を渉猟したり、親や先輩を見習ったりしながら、実体験を通して自分なりに体得して行く・・・、と云うのが普通ではないでしょうか。つまり、皆が皆、自分流儀のリーダーシップでやっている訳ですね。
これは後程『重職心得箇条』の第二条に出て来る文言ですが、「自分流儀のものを取り計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず」と佐藤一斎もきつく戒めている所なんですね、自分流儀というものを。
偉人伝も、英雄伝も読まない、古典も紐解かない、歴史を渉猟したこともない、見習うべき先輩も身近にいないとしたら、いったいどうやってリーダーシップを養っていけばよいのか?となると、これはもう実体験のみに頼るしかない訳です。所謂我流のリーダーシップということです。我流の殆うさをビスマルクは次のように言いました。「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」と。
つまり、自分一人の短い一生で学べる体験の数などたかが知れている。そのたかの知れた体験のみに頼って物事を判断したのでは国政を誤りかねない。だから広く歴史に学び、先人の知恵に学んで大所高所から判断を下さなければならん!と。
現在我が国に於きましては、大学でリーダーシップを養成する為の専門の講座は開かれておりませんし、専門の養成機関もありません。企業によっては「キャリア・プランニング」をリーダーシップ養成の為の学習計画と勘違いしている所もあるようですが、キャリア・プランニングは、実務対応能力や現実処理能力を身につける為のものでありまして、そもそもがリーダーシップ養成の為のものではありません。
リーダーシップ養成のプログラムとは、人間の徳性の涵養に関わるものですから、人類の魂進化を根底に据えて、過去―現在―未来の人間社会全体を射程に入れたものでなければならん訳です。つまり、長期的視野で・多面的な角度から・根本的に判断して、信念に基づいて行動出来るような人物を養成しなければならないんですね。
リーダーシップなどと云うものは、そもそもが先天的な素質であって、教育によって養成できるものではないなどと考えておったら大間違いです。リーダーシップとは、本人がその気になりさえすれば、誰にでも身につけることが出来るものなんです。教育によって育成出来るものなんです。
そのことを最初に発見し、身を以って実証した人物が他ならぬ孔子その人であり、リーダーシップのエッセンスを凝縮したのが「論語」である!と云う訳ですね。伊藤仁斎は論語を「最上至極、宇宙第一の書」と絶賛しておりますが、本物のリーダーシップを身につけようと思うのであれば、正統中の正統である「論語」から入れ!ということです。
リーダーシップ養成に限らず、音楽でも美術でも書道でも武道でも料理道でも、最初はまず正統(オーソドックス)から入って基本をしっかり身につけ、次に自分なりに応用変化を試みる、つまりアレンジしてみる。そうやっていると、どうしても自己流、我流に流されてしまうから、我流を離れてもう一度正統に返ってみる。すると又新たな発見があり、再創造・リ・クリエイトが始まる。こうして段々に個性とともに感性が磨かれて、オリジナルにして変通自在・融通無碍の境地が開けて来る。
これを「守 破 離」と申しまして、昔から技芸の王道とされております。こういうことは、古今東西を問わずすべてに通用する鉄則なんですね、守(オーソドクシー)⇒破(チャレンジャー)⇒離(リ・クリエイター)⇒達人(マイスター)に至る道は。
オーソドックス・基本を身につけるのは、繰り返しの連続でつまらないものですが、それが面倒だからといって、いきなりアレンジから入ったりしますと、余程の天才でもない限り、じきにメッキが剥がれて使いものにならなくなります。
これはどの世界でも同じですね、「ナンチャッテ創作料理」の店が全部ダメになったのは、みんなこれです。基礎もロクにできていない板前やコックが、器や盛り付けの奇抜さだけを売り物にしたって、すぐに飽きられてしまいます。ホリエモンや村上世彰だって、人間としての基礎が出来ていないから潰れたんでしょ?
さて、そのオーソドックスたる孔子教学・儒教を源流としたリーダーシップの心得を、分かり易く十七ヶ条にまとめてくれたのが、江戸後期の儒者で当時の儒学界の最高権威であった佐藤一斎という人物であります。
佐藤一斎は「言志四録」という有名な著書を残しておりますから、皆さんも名前くらいはどこかで聞いたことがあるのではないでしようか。佐藤一斎の経歴は省略しますが、どれ位すごい人物であったかと申しますと、明治維新を成し遂げた幕末の志士達は皆一斎の孫弟子か曾孫弟子に当たる人達なんですね。
幕末の志士は、一般には松下村塾で吉田松陰の弟子ということになっておりますが、松陰の師匠は佐久間象山ですし、象山の師匠が佐藤一斎であったという訳です。前置きが長くなりましたが、それではお待ちかね!180年前に佐藤一斎が残してくれた「重職心得箇条」を現代に甦らせてみましょう。早速、第一条から一緒に読んでみましょう。
一、< 目的と使命を自覚せよ! >
重職と申すは、家国の大事を取計べき職にして、比重の字を取失ひ、軽々しきはあしく候。
大事に油断ありては、其職を得ずと申すべく候。先づ挙動言語より厚重にいたし、威厳を養うべし。
重職は君に代るべき大臣なれば、大臣重ふして百事挙るべく、物を鎮定する所ありて、人心をしつむべし、斯の如くにして重職の名に叶ふべし。又小事に区々たれば、大事に手抜あるもの、瑣末を省く時は、自然と大事抜目あるべからず。斯の如くして大臣の名に叶ふべし。凡そ政事名を正すより始まる。今先ず重職大臣の名を正すを本始となすのみ。
名分を正すとは、本分を正すこと
目的は一つ・・・・国にあっては「国家及び国民の安・富・尊・栄を実現し、
これを増幅拡大せしむること!」
企業にあっては「会社及び従業員の安・富・尊・栄を実現し、
これを増幅拡大せしむること!」
これ以外にはない。
使命に別あり・・・目的を成就する為に、必要に応じて生ずる職務を担う立場の
者それぞれが、その役目、
つまり職分を全うすること。
臨む態度・・・・・軽挙妄動を慎み、深沈厚重たるべし!
※
<参考>明末の儒者呂新吾の「呻吟語」に曰く、
深沈厚重なるは第一等の資質なり。
磊落豪勇なるは第二等の資質なり。
聡明才弁なるは第三等の資質なり」
※ <安・富・尊・栄の構図>
※ 「栄」には天下万民の魂進化を促す要素が含まれていなければならない。
魂進化を促さない国家ビジョンは、繁栄ビジョンではなく堕落ビジョンである。
二、<部下は生かして使え!>
大臣の心得は、先づ諸有司の了簡を尽さしめて、是を公平に裁決する所其職なるべし。
もし有司の了簡より一層能き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用るにしかず。
有司を引立て、気乗り能き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用る事ならねば、取るべき人は一人も無之様になるべし。功を以て過を補はしむる事可也。又賢才と云ふ程のものは無くても、其藩だけの相応のものは有るべし。人々に択り嫌なく、愛憎の私心を去て、用ゆべし。自分流儀のものを取計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひな人を能く用ると云う事こそ手際なり、此工夫あるべし。
その⒈ 部下の意見を充分聞いてやること。
その⒉ 自分にそれ以上の考えがあっても、部下の案が害の無いもの
ならば
、積極的に取り上げてやれ。
その⒊ こうして部下に参画意識を持たせ、やる気を引き出す。
その⒋ 小さな失敗にいちいち目くじらを立てるな!
万一失敗があっても、その後の成功で補わせるようにせよ!
再挑戦、敗者復活のチャンスを与えよ!
その⒌ 私情を捨てて、適材を適所に登用せよ!依怙贔屓するな!
※
親疎の情は誰にでもあるが、平生嫌いな人を上手に使いこなしてこそ一人前のリーダーである。
三、<変えてはならぬことと、変えなければならぬこと>
家々に祖先の法あり、取失ふべからず。又仕来仕癖の習あり、是は時に従て変易あるべし。兎角目の付け方間違ふて、家法を古式と心得て除け置き、仕来仕癖を家法家格などと心得て守株せり。時世に連れて動すべきを動かさざれば、大勢立たぬものなり。
目的たる「国家及び国民の安・富・尊・栄を実現し、これを増幅拡大せしむること」・「会社及び従業員の安・富・尊・栄を実現し、これを増幅拡大せしむること」、これは未来永劫変わるものではないし、又、変えてもいけない。しかし、実現の方法は時代や環境に応じて変えて行かなければ、成るものも成らなくなってしまう。つまり、目的は変わらなくとも、手段は時世に応じて変革して行かなければ、時代に取り残されて消滅せざるを得なくなる。
※
「伝統とは革新の連続である!」
チャレンジ精神を失った時に、人も組織も停滞し、腐敗する。
チャレンジとは、前例のないこと、データのないことに取り組むことを云う。
前例のあることやデータのあることに取り組むのは、挑戦と言わず模倣と言う。
四、<前例主義に陥るな!>
先格古例に二つあり、家法の例格あり、仕癖の例格あり、先づ今比事を処するに、斯様斯様あるべしと自案を付、時宜を考えて然る後例格を検し、今日に引合すべし。仕癖の格例にても、其通りにて能き事は其通りにし、時宜に叶はざる事は拘泥すべからず。自案と云ふもの無しに、先づ例格より入るは、当今役人の通病なり。
稼ぐ人・・・自案を持って対処する人(起業家マインド)
安い人・・・指示待ち族の人(サラリーマン気質)
余る人・・・前例主義の人(役人根性)
※ 釈迦は「諸行無常」と云い、ヘラクレイトスは「同じ川の水に二度入る
ことは
出来ない」と云い、
孔子は「逝く者は斯くの如きか昼夜をおかず」と
云った。つまり、万物流転・変化常道が
宇宙の法則である。
時の宜しき
に叶わぬ
ことに拘泥してはならない。
五、<洞察せよ!>
応機と云ふ事あり肝要也。物事何によらず後の機は前に見ゆるもの也。其機の動き方を察して、是に従ふべし。物に拘りたる時は、後に及でとんと行き支へて難渋あるものなり。
物事にはすべて原因があって結果がある。原因の無い結果は存在しない。そして、一つの結果は次なる原因を生み、次なる原因は次なる結果を生む。
すべては、原因→結果→原因→結果の連鎖である。だとすれば、一つの結果である現在の状態が次なる原因を生ずる訳であるから、現状が即ち未来の予兆ということになる。
従って、現状を正しく把握することができれば、ある程度先を読むことができる!ということになる。現状を分析してみて、因果のサイクルがマイナスのベクトルに落ち込んでいると判断したならば、すぐさまプラスのベクトルに転換しなければならない。
※
<因果の理法に、デミングサークルの手法をはめ込んで軌道修正せよ!>
六、<自処超然たれ!>
公平を失ふては、善き事も行はれず。凡そ物事の内に入ては、大体の中すみ見へず姑く引除て活眼にて惣体の体面を視て中を取るべし。
現場主義は大切だが、現場に埋没すると、全体が見えなくなってしまい、バランス感覚を失う。井の中の蛙にならず、時には大空を舞う大鷲の如く、天空から現場を眺め下ろしてみよ! 第三者の目で自分を眺めてみよ!
※
<参考> 明の儒者 崔後渠 「六然」
※
やりすぎてもダメ、し足りないのもダメ。両極端を捨て、中庸を取れ!
「中庸とは、ニュートラルなハイブリッド進化論」のこと。つまり、
人間が大調和をはかりながら、
無限に進化して行く為の方法論、
これを中庸と云う。
七、<己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ!>
衆人の厭服する所を心掛べし。無利押付の事あるべからず。苛察を威厳と認め、又好む所に私するは皆小量の病なり。
だがしかし、これでは半人前。「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」つまり、「すべて人にせられんと思うことは、人にも亦その如くせよ!」が加わってやっと一人前。
※
但し危急存亡の時に当たっては、国民に犠牲的精神を発揮してもらわねば
ならんこともある。犠牲を強いることもある。国難に際しては、指導者は、
郷原(八方美人)であってはならない!
任怨(怨みに任ずる覚悟)、分謗(謗りを引き受ける覚悟)が要る。
(「三事忠告」の作者、張養浩の言葉)元代
国と国民を守る為に。
八、<仕事を抱え込むな!>
重職たるもの、勤向繁多と云ふ口上は恥べき事なり。仮令世話敷とも世話敷と云はぬが能きなり、随分手のすき、心に有余あるに非れば、大事に心付かぬもの也。重職小事を自らし、諸役に任使する事能はざる故に、諸役自然ともたれる所ありて、重職多事になる勢あり。
世の中には、天下の多忙を一身に背負ったような変わった人がいる。「忙しい!忙しい!」を連発したり、書類を小脇に抱えて前かがみでセカセカ歩き回るのはバカな証拠。大勢に影響の無い仕事は、どんどん部下に任せろ!
重役とは、重要な役目を担うから重役と云う。仕事を抱え込むのは、重役と云わず、軽輩・軽少な役目を担う輩と云う。
※
心に余裕を持つ秘訣
・・・・・ どんなに不器用な人でも、確実に心の余裕を持てる秘訣が一つだけある。坐禅よりも
簡単、瞑想よりも簡単、
それは、毎朝5時前に起きること!やってみなさい!!
九、<信賞必罰、生殺与奪は、トップの専権事項>
刑賞与奪の権は、人主のものにして、大臣是を預るべきなり、倒に有司に授くべからず、斯の如き大事に至ては、厳敷透間あるべからず。
だがしかし、トップと雖も人の子、時にはマナコが曇ることもある。特に息子や兄弟等、身内の人事評価に関しては辛すぎるか、甘すぎるかするものだ。だから、重職たるものは、公正な評価をトップに進言することをためらってはならない。もしそれで疎まれるようなら、それ迄の人物と見切りをつけて、早めに職を辞したほうが良い。
※ <荀子の臣八態>
〔 忠臣四態 〕
@ 諌臣・・・トップの過ちをズバリ諫言する者。
A 諍臣・・・クビを覚悟で是々非々を貫く者。
B 補臣・・・トップ不如意の時に、代わってピンチヒッターとなる者。
C 弼臣・・・トップ再起不能の時に、名代として城を守り抜き、世継の成長を見計らって
速やかに大政奉還するリリーフ・エース。
〔姦臣四態 〕
@ 佞臣・・・こびへつらいゴマすりヨイショの太鼓持ち。
A 態臣・・・部下の人気取りに熱心で、スタンドプレーやパフォーマンスをする者。
B 奸臣・・・万事に計算づくで、ずる賢く立ち回る者。
C 簒臣・・・虎視眈々と王位簒奪を狙う者。
十、<優先順位を誤るな!>
政事は大小軽重の弁を失ふべからず。緩急先後の序を誤るべからず。徐緩にても失し、火急にても過つ也、着眼を高くし、惣体を見廻し、両三年四五年乃至十年の内何々と、意中に成算を立て、手順を逐て施行すべし。
戦略的発想で事に当たれ!ポイントは、「大小軽重を弁別し、これに緩急先後の順序をつけること。つまり、やるべき事柄に優先順位をつけること」。
※ <優先順位付けの単純モデル>
※ <知っておきたいミニマックス原理の単純モデル>
新規プロジェクト○○についての意思決定
最悪の状態を想定して、最善をとる意思決定を、ミニマックス原理と云う。例題の場合は、「やる!」となる。
※ 戦略的発想の出来ないリーダーを「バカな大将」と云うが、バカな大将は敵より怖い!作戦計画
を持たず、行き当たりばったり、出たとこ勝負、困った時の神頼みで、あっちの神様こっちの神様と
神様の梯子をする経営者がいるが、ダメになるのは時間の問題。何故ならば、神は啓示を与える
ことはするが、人間界に干渉することはないからだ。企業経営とは、トップ自身の思いと・言葉と・
行為の所産、身口意の所産である!
十一、<小利口な才人より、スケールの大きな人物となれ!>
胸中を豁大寛広にすべし。僅少の事を大造に心得て、狭迫なる振舞あるべからず。仮令才ありても其用を果さず。人を容るゝ気象と物を蓄る器量こそ、誠に大臣の体と云うべし。
※
膽識の人物とは、知識も見識も持ち併せ、その上、胆力(肝っ玉)がすわって、包容力のある人の
こと。ケチな料簡を起こしてはいけない。「人を容るる気象と、物を蓄る器量」を持て!!
(だがしかし、膽識は通過点にすぎない。覚識・つまり肉の感官に囚われない目覚めたる意識を
持て!)
十二、<定見を持て! しかし虚心坦懐たれ!>
大臣たるもの胸中に定見ありて、見込たる事を貫き通すべき元より也。然れども又虚懐公平にして人言を採り、沛然と一時に転化すべき事もあり。此虚懐転化なきは我意の幣を免れがたし。能々視察あるべし。
自分に与えられた職務に関するジャンルについては、自分なりのしっかりと定まった見解を持て!しかし、これに執着してはならない!!
「聖人の千慮にも一失あり、愚者の千慮にも一得あり」なのだから。
「そうだったのか!!」と気付いたならば、見栄や面子に拘らず即刻改めよ。
「過ちて改めざる、是を過ちと云う」のである。
※
<四通りのタイプ>
有定見 虚心坦懐・・・・判断を誤らぬしっかり者。
有定見 頑迷固陋・・・・独断に陥る頑固者。
無定見 虚心坦懐・・・・人の意見に振り回される軽薄子。
無定見 頑迷固陋・・・・世に疎まれるウスラバカ。
※
<定見のポイント>
「学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆し」
十三、<仕事にメリハリをつけよ!>
政事に抑揚の勢を取る事あり。有司上下に釣合を持事あり。能々弁ふべし。此所手に入て信を以て貫き義を以て裁する時は、成し難き事はなかるべし。
ワンパターンとマンネリズムは人を腐らせ、組織を腐らせる元凶である。
一年に春夏秋冬のメリハリがある如く、仕事にも月次・四半期・半期・年度のメリハリがないと、人も組織も必ず「惰性の罠」にはまってしまう。惰性の罠の怖い所は、それが惰性だと本人が気付かない所にある。気付いたときにはもう手遅れ、という成人病と同じ危険性がある。
惰性の罠にはまらないようにする為には、常に反省 ―
改過の習慣を身につけること!
「過去の
失敗は引きずらない!」・「過去の栄光にすがらない!」過去をスッパリ断ち切って、心機一転新たにスタート!!
また、人間関係には「信義」が基本。信を守り、義を行うこと。信とは約束を守ること、義とは正義を貫くこと。
※
<信に階梯あり>
信用→信頼→信任→信奉→信仰
※
<義に序列あり>
( 劣位 < 優位の意)
十四、<シンプル イズ ベスト!>
政事と云へば、拵へ事繕ひ事をする様にのみなるなり。何事も自然の顕れたる儘にて参るを実政と云ふべし。役人の仕組事皆虚政也。老臣など此風を始むべからず。大抵常事は成べき丈は簡易にすべし。手数を省く事肝要なり。
世の中には @
なくてはならない物事
A あった方が良い物事
B あってもなくても良い物事
C ない方が良い物事
D
あってはならない物事 ・・・の五通りしかない。
国家のレーゾンデートルが「国家及び国民の安・富・尊・栄を実現し、これを増幅拡大せしむること」であるならば、安・富・尊・栄実現のためになくてはならない物や事は何か!?を抽出して、政府はそれのみに全力投球したら良い。
あったほうが良い物や、あってもなくてもよい物事は、すべて民間に任せたらいい。
既に時代の使命を終えて社会の要請がなくなってしまった物事、即ち、ないほうが良い物事や、あってはならない物事はすべて廃止した方がよい。
これを廃止せず、そのまま残そうとするものだから、役人はこしらえ事、つくろい事を仕組んで税金の無駄使いをやるようになる。国民の為にではなく、自分たちの保身のために。「役人の仕組み事は皆虚政なり」と佐藤一斎は云う。
つまり、屋上屋を架してわざと複雑煩瑣にしてしまうのが役人の習性と云う訳だ。
これをしっかり取り締まるのが政治家の役目。
政府のやろうとしていることが、果して国家及び国民の安・富・尊・栄実現の為に、本当に無くてはならない物事なのかどうか!? Yesであればやったら良い、しかし、Noであったら躊躇せずスパッと止めてしまう、廃止してしまう。シンプル イズ ベスト! シンプル イズ
ビューティフル!! 自然界の営みは実にシンプルで美しい。複雑煩瑣なものなど一つも
ない! 企業経営も、シンプル イズ ベスト! シンプル イズ
ビューティフルである。
十五、<よき社風を醸成せよ!>
風儀は上より起るもの也。人を猜疑し蔭事を発き、たとへば誰に表向斯様に申せ共、内心は斯様なりなどゝ、掘出す習は甚あしゝ、上に此風あらば、下必其習となりて、人心に癖を持つ。上下とも表裡両般の心ありて治めにくし。何分此六かしみを去り、其事の顕れたるまゝに公平の計ひにし、其風へ挽回したきもの也。
社風は作るものではない、醸し出されるものである。トップの人柄・人生観・思想・哲学・信条が社員一人一人に投影され→共鳴現象を起こし→増幅拡大され→渾然一体となって醸成されるもの、それが社風。
家風も校風も国風も同様である。「君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。 草、之に風を上うれば必ず偃す」上にある者がいい風を吹きかければ、部下はいい方になびき、悪い風を吹きかければ、悪い方になびくものだ。社風を一新したいと思うなら、まずトップ自身が自己変革を遂げよ!それが嫌ならトップを交替しろ!!
人を変えようと思う前に、まず自らが変れ!
子どもを変えたいと思ったら、まず親自らが変れ!
生徒を変えたいと思ったら、まず教師自らが変れ!
国民を変えたいと思ったら、まず政治家自らが変れ!
※
あなたは一体全体どうなりたいのか?どうありたいのか? トップ自身の夢と希望、想いと願いを、
言葉と文字、絵と数字に置き換えたもの、それがあなたの人生ビジョンだ。
ビジョンを部下に訴え
続けなさい。
経営の成果とは、トップの思いと、言葉と、行為の所産である!
十六、<秘密主義はやめよ! 情報を開示せよ!>
物事を隠す風儀甚あしゝ。機事は密なるべけれども、打出して能き事迄も韜み隠す時は却て、衆人に探る心を持たせる様になるもの也。
成果主義が導入されるようになってから、社員が一番関心を持っているものが、自分の所属する部門の成績はどうなっているのだろうか?自分はどのように評価されているのだろうか?会社全体の業績はどうなのだろうか?ということである。
人間の心理は、隠されると探りたくなるものだが、一旦公開されてしまうと、もう探る気持ちはなくなるものだ。
社員に余計な詮索をさせたり、イライラさせたりするのは、トップがブラックボックス経営をやっているからである。
月次決算書を社員に見せないなどは以ての外だ!
社員には、会社の経営内容、少なくとも自分の所属する部門の経営内容を知る権利があるし、経営者は社員に知らせる義務がある。
損益計算書と貸借対照表を毎月全社員に公表して、部門ごとに徹底討論をやらせ、部門長には、三日以内に部内の意見を集約してコメントしろ!と命じてみてはどうか?
社員全員に、損益と貸借の読み方を教えてやれば、一々細かい指示を出さなくとも、自分達は今何をやるべきかが分かって、面白い会社になると思うのだが・・・・。
小学校6年生程度の算数の学力があれば、余程のバカでもない限り、一日教えれば誰でも読めるようになる、損益や貸借は。足し算と引き算しかないのだから。計数分析は今はみなパソコンがやってくれる。
十七、<日に新たなり!>
君の初政は、年に春のある如きものなり。先人心を一新して、発揚歓欣の所を持たしむべし。刑賞に至ても明白なるべし。財帑窮迫の処より、徒に剥落厳沍の令のみにては、始終行立ぬ事となるべし。此手心にて取扱あり度ものなり。
「大学」の第二段第三節に「苟みて日に新たに、日々に新たに、又日々に新たなり」と云う、殷の湯王の銘が紹介されている。原文は『苟日新、日日新、又日新』、意味は常に生き生きとして新しい、即ち「生新」ということである。『ほのぼのとして、何となくユーモラスで、どこか懐かしい感じがして、いつ迄も無邪気な遊び心を失わない』そんな人間でありたいものです。
※
<心が変れば>
19世紀スイスの哲学者、アンリ・フレデリック・アミエルの箴言に、
「心が変れば態度(ものの見方)が変る
態度が変れば習慣が変る→習慣が変れば人格が変る→
人格が変れば人生(運命)が変る」とあります。
これを逆説的に云うならば
→人生(運命)を変えたければ人格を変えよ
→人格を変えたければ習慣を変えよ
→習慣を変えたければ態度(ものの見方)を変えよ
→態度を変えたければ心を変えよ!」となります。
つまり、宿命は変えることが出来ないけれども、立命・自ら命を立てることによって、運命は変えられる!ということですね。 運命=宿命+立命(宿命<立命)
※
<書いて味わう人生応援歌・論語百選>
当会は今年で14年目に入りましたが、今思い返してみれば「論語」に学んで、心を変え→態度を変え→習慣を変え→人格を高めよう!徳を磨こう!と努めてきた14年間だったのではないかと思います。
全く目立たない、誠に地味な活動を十数年間続けて来た訳ですが、不思議なもので、私ども「論語に学ぶ会」の活動に目を止めてくださる方がおられまして、来年の1月10日に「書いて味わう人生応援歌・論語百選」という本が出版されることになりました。出版社は四季社という仏教関係の書籍を専門に出版している会社です
。
HPに掲載されている新論語から百章を選び、本にまとめます。新論語の意識レベルをキネシオロジー
テストで測ってみると、ログ840と出ます。こんな高いものを私一人で書ける訳がありません。皆さんとの切磋琢磨の中から紡ぎ出された集合意識が、私の脳に感応して、語らしめ、書かしめたものだと思っております。つまり、会員みんなの合作です! 皆さんがいなかったら書けなかったでしょう。
どれ位売れるものか皆目見当もつきませんが、本をお読み頂いた全国の読者の中から一度山形や
新潟の例会に参加してみたい!と云う方が出てくるのではないかと思います。全国に道友・道を同じく
する友が出来ると思います。そうなったら楽しいですね、将に「朋遠方より来たる有り、又楽しからずや」ですね。ご協力の程、どうか宜しくお願い致します。