微子第十八 471

上へ

〔原文〕
微子去之、箕子爲之奴、比干諫死。孔子日、殷有三仁焉

〔読み下し〕
微子(びし)(これ)()り、箕子(きし)(これ)()となり、()(かん)(いさ)めて()す。孔子(こうし)(のたま)わく、(いん)(さん)(じん)()り。

〔新論語 通釈〕
殷の紂王(ちゅうおう)の腹違いの兄微子は、紂王の暴虐を諫めたが、紂王が一向に聴く耳を持たない事を知ると、微に逃れて祖先の祭祀を守った。紂王の叔父の箕子も強く紂王を諫めたが、聞き入れられない為、狂人を偽って奴隷に身をやつしたが、捕らえられて幽閉されてしまった。同じく叔父の比干は一層強く諫めた為、紂王の怒りをかって殺され心臓を抉(えぐ)り取られてしまった。孔子はこれを評して「殷には高潔な三人の人格者がおった」と云った。

〔解説〕
直訳しただけでは意味が通じませんので、かなり文言を補いましたが、これでもまだ何のことか?分かりませんので、人物背景をちょっと説明しておきましょう。

殷の紂王は夏の桀王と並ぶ古代中国を代表する暴君。夏の禹王の子孫桀(けつ)の暴政を物語るものと云えば、有名な「酒池肉林」(寵愛する末喜(ばっき)の為に、池を酒で満たし、乾し肉を林のようにかけ渡して、三千人もの男女と連日ドンチャン騒ぎに明け暮れた)でありますが、このために人民は重税に喘ぎ民心がすっかり離反して殷の湯王に滅ぼされてしまいます。

湯王の子孫の紂も溺愛する姐己(だっき)の為に連日酒池肉林に遊び耽ったが、それでも飽き足りず、銅柱に油を塗り、敷き詰めた炭火の上にそれを差し渡して罪人にその上を歩かせた。足を滑らせて踏み外してしまうと、火の中に落ちてのたうちまわる。紂はこれを「炮烙(ほうらく)の刑」と名づけて、姐己と一緒に見物しては大いに楽しんだと云う。

人民はみな王を憎み、諸侯の離反が相次いで、ついには周の武王に滅ぼされることとなる。武王は、紂と姐己以外の親族は殆ど許した。紂の子の武庚(ぶこう)禄父(ろくほ)をも武王は許し、殷家の祖霊祀りを継がせる為に宋の商邱(しょうきゅう)に封じますが、武王が亡くなると武庚は謀反を起こしたため、周公旦がこれを討ち、微に居た微子()を宋に封じて殷家の祭祀を守らせた。

箕子も武王によって幽閉を解かれ、朝鮮王に封じられた。朝鮮王に封じられた箕子が、しばらくしてから周を訪れた道中で嘗ての殷の都の跡を通りかかった際、万感胸に迫るものがあり、有名な「麦秀(ばくしゅう)の歌」を詠む。『麦秀(むぎひい)でて漸漸(ぜんぜん)たり、禾黍(かしょ)は油油(ゆうゆう)たり、彼の狡童(こうどう・紂のこと)我とよからず』・「麦の穂は伸び稲の葉は光る、あの小童(こわっぱ)、私を憎んだあの小童のせいでこうなったのだ」と。

箕子は又紂が象牙の箸を作ったのを諫めたことでも知られています。「紂始めて象箸(ぞうちょ)をつくる。箕子嘆じて曰く、『彼、象箸をつくる、必ず玉杯(宝玉の盃)をつくらん。玉杯をつくらば、則ち遠方珍怪(世界中の珍品奇品)のものを思いて之を御せん(用いるようになるだろう)。輿馬宮室(よばきゅうしつ)の漸(乗り物や宮殿の奢侈(しゃし)は漸次)此れより始まらん。振(すく)うべからざらん』と。

紂、淫佚をなす(案の定紂は奢侈に耽った)。箕子諫むれども聴かれず」。比干は側近の中で最も強く紂を諫めた人物ですが、紂の怒りに触れて殺され、心臓を抉り出されてしまいます。

「王子比干は亦紂の親戚なり。箕子の諫むれども聴かれずして奴となれるを見、則ち曰く『君、過ち有りて而も死を以て争わずんば、則ち百姓何の辜(つみ)かある』と。乃ち直言して紂を諫む。紂怒りて曰く『吾聞く、聖人の心(むね・心臓)には七竅(しちきょう・七つの穴)有りと。乃ち遂に王子比干を殺し、刳()きて其の心(むね)を見る」。

本章で語られている人物の背景については、史記「殷本紀」並びに「宋微子世家」に詳しく載っておりますから、興味のある方は一度読んでみて下さい。今から3100年以上前のことです。孔子はここで、微子・箕子・比干を仁者(高潔な人格者)と語っておりますが、この当時主君に仕える側近には四タイプの忠臣がいたようで、荀子は「忠臣四態」として次のように分類しております。

一、諫臣(かんしん)‥体を張って主君を諫める臣(免職覚悟で)
二、争臣(そうしん)‥命を賭して主君に直言する臣(切腹覚悟で)
三、輔臣(ほしん) ‥主君の名代として邦を守る臣(国家老のようなもの)
四、弼臣(ひつしん)‥幼君が成長するまで主導権をとって邦を率いる臣。
                         
 (摂政のようなもの)
微子や箕子は諫臣、比干は争臣と云った所でしょうか。

〔子供論語 意訳〕
孔子(こうし)(さま)から600年以上前(いじょうまえ)古代(こだい)中国(ちゅうごく)(はな)し。(いん)という(くに)(ちゅう)という王様(おうさま)が、わがままのしほうだいで国民(こくみん)(くる)しめていた。(あに)微子(びし)何度(なんど)注意(ちゅうい)したが、(みみ)をかさないので、王様(おうさま)()(かぎ)って()という(くに)亡命(ぼうめい)した。これを()かねた王様(おうさま)叔父(おじ)箕子(きし)(つよ)注意(ちゅうい)したら、奴隷(どれい)にされたしまった。もう一人(ひとり)叔父(おじ)()(かん)が、国民(こくみん)(おも)いの()()()()さんになんということをするのか!
(つよ)(しか)ったら、王様(おうさま)(おこ)って()(かん)(ころ)してしまった。弟子(でし)たちにこの(はな)しをした(あと)孔子(こうし)(さま)は、「自分(じぶん)()()(つぎ)にして、国民(こくみん)のために信念(しんねん)(つら)いた微子(びし)箕子(きし)()(かん)三人(さんにん)は、立派(りっぱ)(ひと)だったね」とおっしゃった。

〔親御さんへ〕
「バカな大将敵より怖い」と云いますが、バカ大将(愚かなトップ)かどうかを見分けるコツは簡単です。直言してくれる側近を大切にしているかどうか?ここを見れば分かる。疎んずるようになったら黄色信号、ご機嫌取りのイエスマンばかりを取り巻きにするようになったら赤信号、間もなく自滅します。敵と一戦交える前に自滅してしまうのですから、部下はたまったものではありません。だから、バカな大将は敵より怖い。こういう企業経営者は結構います。

仕事柄、トップの機嫌を損ねることを敢えて承知の上で直言しなければならないことが多々ありますが、トップがバカでも自滅しないケースが間々ある。寧ろトップがバカで良かったなあ!?と思われるようなケースもある。

それは、しっかりした番頭(専務や常務)が実務の殆どを取り仕切っている場合、ここは強い、仮令トップ自身に経営手腕や先見性がなかったとしても、人望というか人としての魅力があれば、番頭はついて行く。

手腕も先見性もない上に、考え方も出し方もケチであったら、誰もついて行きません。あなただってこんなトップにはついて行かないでしょう?他に勤め先を探すでしょう? 「下三日にして上を知り、上三年にして下を知る」というように、勤めて三日もすれば、部下は上司やトップの人品骨柄を見抜いてしまうものなんですね、本能的に。

ケチな考え方(料簡)にはぬくもりがない、ケチな出し方(吝嗇)には魅力がない、黙っているけれど、人はみんな見抜いているんです。気付いていないのはあなただけなんですよ。やっと新入社員が入ったと思ったら、すぐに辞めて行くとお悩みの経営者がおられたら、胸に手を当てて己を振り返ってみなさい!考え方も出し方もケチではなかったか!?と。
 

陽貨第十七 微子第十八 471 微子第十八 472
新論語トップへ