陽貨第十七 459

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〔原文〕
子日、鄙夫可與事君也與哉。其未得之也、患得之、既得之、患失之。
苟患失之、無所不至矣。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、鄙夫(ひふ)(とも)(きみ)(つか)うべけんや。()(いま)(これ)()ざれば、(これ)()んことを(うれ)え、(すで)(これ)()れば、(これ)(うしな)わんことを(うれ)う。(いやし)くも(これ)(うし)わんことを(うれ)うれば、(いた)らざる(ところ)()し。

〔通釈〕
孔子云う、「心の卑しい人間と一緒に宮仕えするのは、ご免こうむりたいものだ。卑しい人間は、まだ地位が得られない時は得ることのみに腐心し、得れば得たで今度は何としてでもそれを失わないように腐心する。心の卑しい人間が一旦自己保身にはまり込むと、どんな破廉恥なことでもしかねないからなあ!」と。

〔解説〕
地位を得ること自体は悪いことではありません。然るべき地位がなければ、やりたいこともやれない場合があるし、云いたいことも云えない場合がある、つまり、地位は、やりたいことを実現し、云いたいことを主張する為の重要な手段である訳です。

一つの手段に過ぎない地位が目的化してしまった場合、理想を実現し信念を貫く意志もなく、地位の獲得だけが目的となってしまった場合、目的に向かって突進しているうちはまだいい、人に認めてもらえるだけの実績を積み重ねて行かなければ出世できませんから。

問題は、目的(地位を得ること)を達成した後です。地位が獲得できると、今度はその維持が目的になる、つまり、できるだけ長くその状態を維持することが目的となる訳です。するとどういうことが起こるか?自らその状態を壊すような改革や刷新は絶対にやらないし、外部から改革や刷新を迫られると、断固拒否するか?猛烈に抵抗するか?上辺だけ改革したように見せ掛けて中身を骨抜きにしてしまう。

役人が先例主義・前例主義に拘るのは、それが国民の為に良いからそうするのではなく、自分の現状を維持するのに都合が良いからそうしているだけなんですね。諸行無常・変化常道の世界にあって、自ら変革・改革を拒否すれば、必ず停滞が起こり腐敗するのは、自然の摂理から云っても当たり前のことなんです。これは何も役人だけに限ったことではありません、大なり小なり皆が持っている人間の弱さなのではないでしょうか?

ただ、民間は組織の停滞・腐敗が起こればあっという間に潰れてしまいますから、絶えず改革や刷新を行なわなければなりませんが、役所は潰れる心配がありませんから、マンネリズムでもやって行けるんですね。民間では、自ら変革・改革を怠ると職場を追われ、役所では、自ら変革・改革をやると職場を追われる。役人の習性は今も孔子の時代とあまり変わっていないようです。

手段が目的にすり替わった時、人は堕落して行きます。学歴も地位も財力も健康も知名度も、それ自体は自分に与えられた使命を果たす為の手段であって、目的ではありません。目的は、一人一人に与えられた使命を果たすこと、魂の進化を遂げることです。目的を忘れ手段に狂奔することはもうやめなさい!欲望原理主義で生きることはいい加減にしなさい!!人生に於ける優先順位を誤ってはなりません。

〔子供論語 意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「自分(じぶん)さえ()ければ!という性格(せいかく)(いや)しい(ひと)とは一緒(いっしょ)仕事(しごと)をしたくないな。なぜかというと、出世(しゅっせ)するまでは(まわ)りを(おお)いに利用(りよう)し、出世(しゅっせ)してしまうと今度(こんど)はそれまで協力(きょうりょく)してくれた(ひと)がじゃまになって、()()してしまうからだ。君達(きみたち)だって、こんな(ひと)とは一緒(いっしょ)仕事(しごと)をしたくないだろう!?」と。

〔親御さんへ〕
16年もこういう会をやっておりますと、本当にいろんな方が入会して来られます。当会にはタブーがありませんから、論語に興味のある方であれば誰でも入会できます。前科者であろうがヤクザ者であろうが、過去は一切問いません。「学真行道」・真理を学び道を行じてみたい!という純粋な動機があればそれでいい。勿論やめたくなったらいつでもやめていい、来る者は拒まず去る者は追わずです。

面白いことに、やめて行く人(転勤・移住・死亡等以外で)に共通することが二つあるようです。一つは、 自我(偽我)の殻に閉じ篭って変わりたくない人、今一つは、ハッタリで世渡りしている人。

まあ当たり前と云えば当たり前かも知れません、当会の学風は、偽我・虚飾の殻を剥ぎ取って、真我の光りを輝かせる所にその眼目がありますし、キネシオロジーテストで正体を丸裸にされてハッタリなど通用しませんから、次第に波長が合わなくなって居心地が悪くなって来るんですね。

どう見たって学問好きには見えないなあ?と思われる人も何人かおられますが、続いているってことは、波長が合っているからなんですね。波長が合わなくなれば、自然にやめて行きます。だから、ケチな料簡(安っぽい正義感や倫理観)で縛り付けるようなことは一切しない、タブーがない訳です。

本章の内容とはちょっと違った話になりましたが、このホームページをご覧になって、どんな学風波長なのか体験してみたい方は、新潟・山形・東京どこでもお好きな塾に一度ゲスト参加してみて下さい。お一人は勿論、ご夫婦、お子さん連れ、お孫さん連れ、好連女夫(スキツレメット・新潟弁で恋人同士の意)いずれも歓迎致します。そう云えば、最近は「好連女夫」などと云う言葉も使わなくなりましたなあ、大正生まれの人はよく云ってましたけどね。
 

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