陽貨第十七 457

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〔原文〕
子日、郷原徳之賊也。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、郷原(きょうげん)(とく)(ぞく)なり。

〔通釈〕
孔子云う、「八方美人は、徳を害う賊である」と。

〔解説〕
郷原とは、郷人(地元民)の愿(げん・まことなる者)の意ですから、本来は良い意味に使われていた言葉なのではないかと思いますが、孔子はここでは「実顔(まことがお)しながら俗流に迎合して人気取りをする者」の意、つまり「八方美人」の意味に使っています。

どうして孔子は「八方美人はダメ、徳の敵だ!」と云ったのでしょうか? 徳とは何度も云うように、彳++心つまり、素直な心で素直に生きよ!曲がった心でヒネクレて生きるな!!ということですね。自分に正直に生きていれば何と云うことはないのですが、助平根性を起こして世間に気に入られようとすると、どうしても上辺を飾らなければならない時がある、感情を殺し信念を曲げてでも作り笑顔でいなければならないことがある。

つまり、虚飾の裏には必ず何らかの自己欺瞞がある訳です。更にそれが習慣化して来ると、世間から嫌われることが怖くなって、自己の信念を偽ってでも俗流に迎合しなければならなくなる、つまり、偽善者となってしまう訳ですが、虚飾―欺瞞―偽善が常態化すると、本人は中々それに気付かなくなります。

偽善に気付かぬこと程、人の徳性を損ねるものはありません。“Dante said in his play.The road fall into the pits of hell.always be paved with goodwill.”ダンテの云う如く、「地獄への道はいつも善意で舗装されている」と。虚飾―欺瞞―偽善は魔のサークルです。このサークルにはまったら中々抜け出せません。「悪魔は常に天使の仮面を被ってやって来る」、八方美人はこの天使の仮面と思って良いでしょう。

だから孔子は「八方美人はダメ!徳の敵!!」と云ったのだと思います。知らずに偽善を為せば為すほど、自分の徳を損ねるのみならず、人の徳をも損ねてしまいますから。

〔子供論語 意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「君達(きみたち)は、友達(ともだち)(きら)われることをこわがって八方(はっぽう)美人(びじん)なってはいけません!それは(おも)いやりとは反対(はんたい)のものです。()いことは()い、(わる)いことは(わる)いとはっきりいってあげなければ、友達(ともだち)()がつかないまま(わる)いことをやり(つづ)けてしまうではないか!!たとえその(とき)(きら)われても、勇気(ゆうき)のある(きみ)一言(ひとこと)が、(とも)(すく)うことになるのだよ」と。

〔親御さんへ〕
お子さんが「八方美人って何?」と聞いてきたら、「小学国語辞典を引いてみなさい!」と云ってください。ちゃんと載っていますから。間違っても「パパのことよ!」などと云ってはいけません!!(たとえそうであっても)

八方美人とは、元は、どこから見ても欠点の無い美人のことを指したそうですが、実が伴わないのに上辺だけ真似る者が続出したのでしょう、転じて、誰に対しても如才なく振舞う者を軽んじて云うようになった。まあ、ある意味の「虚飾人間」と云った所でしょうか。実の伴わない如才なさは、人を限りなく薄っぺらにしてしまいます。

これは以前伊藤先生から聞いた話しですが、とても愛想の良い学生がゼミに入って来たので、「しっかりした家庭で育ったのだろう」と思っていたそうですが、しばらくすると、午後だと云うのに「おはようございます!」と云って教室に入って来たり、授業が終わると先生に向かって「ご苦労様でした!」と云って帰ったり、きつく叱られてもニコニコしていたり‥‥、何かヘンだと思って問い質してみた所、バイト先の居酒屋で仕込まれた応対接遇だということが分かった。

直すのに一年近くかかったそうですが、最初に刷り込まれた習慣を直すのには、当初の三倍のエネルギーが要る。即戦力化するにはマニュアルは欠かせないけれども、徳はジワッと滲み出て来るものだから、時間をかけて涵養する他はありません。マニュアルで速成できるものではないんですね。

義務教育を終える中学生迄は、徹底的に素直に生きることを叩き込んだほうが良い。周りに迎合するような八方美人に育ててはいけません。子は親の後姿を見て育つ生きものですから、親の方から正しなさい!毅然としていなさい!!
 

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