季子第十六 436

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原文
孔子曰、侍於君子有三愆。言未及之而言、謂之躁。言及之而不言、謂之隠。
未見顔色而言、謂之瞽。
 
〔 読み下し 〕

孔子(こうし)(のたま)わく、君子(くんし)(はべ)るに(さん)(けん)()り。(げん)(いまだ)(これ)(およ)ばずして()う、(これ)(そう)()う。言之(げんこれ)(およ)びて(いわ)わざる、(これ)(いん)謂う()(いま)顔色(がんしょく)()ずして()う、(これ)()()う。
 

〔 通釈 〕
孔子云う、目上の人の側に侍する際に犯しがちな過ちが三つある。

その一は、まだ先方から話しかけられてもいないのにこちらから
     発言してしまう、これを慌て者の過ちという。

その二は、話しかけられているのにきちんと受け答えをしない、
     これを隠し事の過ちという。

その三は、相手の顔色を察することなく唐突に発言する、
     これを明き盲の過ちというと。
 
〔 解説 〕

言って良い人・言って良い時・言って良い所を弁えない人のことを、KY(クウキがヨメナイ)というそうですが、若い頃は空気が読めなくて散々恥をかいたものです。四十前なら「若気の至り」で済まされますが、四十過ぎてもKYをやっていると「毛が一本足りない」とされ、五十すぎてもまだKYならば「バカ」とされてしまいます。

エッ?六十過ぎてもKYしてたらどうなるかですって?世間から相手にされなくなりますよ、痴呆と一緒で!痴呆とは空気が読めなくなった状態を云うんでしょ? 六十前のKYを「弱年性KY」、六十過ぎのKYを「老人性KY」と云うのかな? 周りに迎合する必要はないけれど、人・時・所の弁えは必要です、場の空気を読むことは。
 

〔 子供論語  意訳 〕

孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「目上(めうえ)(ひと)(はな)しをする(とき)には(つぎ)の三つの(こと)注意(ちゅうい)しなさい。その一は、まず相手(あいて)(はなし)をよく()く。その二は、意見(いけん)(もと)められたらはっきりと自分(じぶん)意見(いけん)()べる。その三は、(はな)(とき)相手(あいて)()()(はな)す」と。
 

〔 親御さんへ 〕

場の空気が読めない人に話しかけられて、閉口した覚えはありませんか?あれは困るね、無視する訳にも行かないし、ウンウンといい加減な相槌を打っていると図に乗って来るし‥‥。そういうのに限って、人の意見を聞く耳を持っていないと来ている。恥をかかせず、何か良い撃退法はないものかと考えてやってみたら、二つ効果のある方法が見つかりました。

   一は、人差し指を一本立てて、笑顔で「ア・ト・デ」と小声で云う。

   二は、それでも効き目がない場合は、掌を相手に向けて「ト・イ・レ」と
           
小声で云って席を立つ。(大抵は戻って来た時には居なくなって
            いる)


指や掌を立てた時には不思議な効果があるもので、人差し指は「コーション!(注意)」、掌は「ストップ!(止め)」という万国共通の了解があるようです。一度やってみて下さい。


エッ?自分がそうされたら??決まっているでしょう!しばらくおとなしくしていなさい!! 嫌がられているんだから。嫌がられているのに気付かないこと自体、そもそも空気が読めていない証拠でしょう!?
 

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