衛靈公第十五 420

上へ

〔原文〕
子曰、君子謀道不謀食。耕也餒在其中矣。學也禄在其中矣。君子憂道不憂貧。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、君子(くんし)(みち)(はか)りて(しょく)(はか)らず。(たがや)して(うえ)()(うち)()(まな)べば(ろく)()(うち)()り。君子(くんし)(みち)(うれ)えて(まず)しきを(うれ)えず。

〔通釈〕
孔子云う、「君子たる君は、いかにして真理の道を会得するかを最優先に考えて、いかにして食い扶持を得るかはその為の手段と考える。食い扶持を最優先して自ら耕しても、飢饉に見舞われて飢えに苦しむこともあるだろう。しかし、真理の道を学べば、腹は減っても心はいつも満たされているではないか。だから君子たる者は、真理を学び道を行ずることに心を砕くが、貧しいことなど気にしないのだ」と。

〔解説〕
これは何とも難しい文章で、孔子は「肉体の糧を得ることよりも、心の糧を得ることを優先しなさい!」と云っているのではないでしょうか?心の糧(真理)も肉体の糧(食糧)もともに大事ですが、「人間の本質は魂である。肉体は魂の乗り舟である。時が来れば肉体は滅びるが、魂は永遠不滅の存在である」ことから考えれば、一時の糧を得ることよりも永遠不滅の糧を得ることを最優先するというのは、その通りだな!?という気がします。

尚、「学べば禄其の中にあり」の禄を、私は「心の糧」と解釈しましたが、普通は「俸禄・食い扶持」と解して、「学問すれば俸禄は自ずから得られるものだ」とするのが一般的です。15年前の旧い資料では、私もそのように解釈しておりました。しかしよく考えてみると、これはちょっと不自然です。

飢饉に見舞われて食糧が穫れなくなれば、自ら耕す百姓も仕官叶って役人になった君子も、均しく飢えに苦しむことになる訳で、役人だけがたらふく食って安穏に暮らすことなどできる筈がない。そんなことをすれば暴動(百姓一揆)が起きて、政府が転覆してしまいます。中国人はすぐ激高しますから。

「寡きを患(うれ)えずして均(ひと)しからざるを患えよ。均しければ貧しきことなし」と説き、「君子固(もと)より窮す。小人窮すればここに濫(みだ)る」と教えている孔子が、「学問すれば自ずから仕官の道が拓ける→仕官すれば俸禄が得られる→俸禄が得られれば一生食うに困らない→だから心配せず学問に打ち込め!」式のことなど云う筈がないでしょう!?こうなるんですよ、禄を俸禄と解釈すると。

ですからここは、「君子だって困窮する。だが、真理の道を学んで心の糧を得ているからじたばたすることがない。しかし、心の糧を得ていない小人は、肉体の糧に困窮すると途端にじたばたして取り乱してしまうのだ」と解するべきなんです。肉体がすべて!物質がすべて!と思っていると、均しく分かち合うことを忘れて、奪い合いが始まるんです。

〔子供論語 意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「君達(きみたち)は、普段(ふだん)勉強(べんきょう)さえしっかりやっていれば、テストの点数(てんすう)などあまり()にしなくていい。一夜(いちや)づけの試験(しけん)勉強(べんきょう)でまぐれにいい点数(てんすう)をとったとしても、すぐに(わす)れてしまって(すこ)しも学力(がくりょく)()につかない。だが、普段(ふだん)勉強(べんきょう)をしっかりやっていれば、自然(しぜん)にいい点数(てんすう)がとれて学力(がくりょく)()について()る。だから(えら)くなった(ひと)(たち)は、みな普段(ふだん)努力(どりょく)大切(たいせつ)にして、テストの結果(けっか)(よろこ)んだりクヨクヨしたりしなかったんだよ。ペーパーテストより実力(じつりょく)()い!」と。

〔親御さんへ〕
本文からかなり逸脱した意訳になりましたが、何本か書き直しながら小6の孫に「分かるか?分かるか?」と確かめながらやったら、結局こんな所に落ち着きました。「テストの結果より普段の努力が大切なんだ?」と云っておりましたので、何とか分かったようです。

私達は論語を訓詁・考証学的にやっている訳ではありません。温故知新の精神で古いものの中から新しい意義を発見して、それを人生に活かしたらいい。将来漢文学者に育てるつもりならば別ですが、そうでなければ、お宅のお子さんお孫さんが理解できるよう、大胆に意訳してかまいません。あなたの言葉で語ってあげてください。「子供にこう語ったがどうか?」、「孫にこう説明したがどうか?」という声が聞かれるようになればしめたものなんですが・・・、一向に聞こえて来ませんね。まあそのうち聞かれるようになるでしょう。

何度も云うように、論語は古代から様々な学者の手によって、孔子の云わんとする所は既に解明されている!などと思ったら大間違いでありまして、これは一体何を云わんとしているのか?と頭を抱える文章が未だに何本もあります。本章もその一つです。
 

衛靈公第十五419 衛靈公第十五 420 衛靈公第十五421
新論語トップへ