衛靈公第十五 410

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〔原文〕
子曰、君子矜而不争、群而不黨。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、君子(くんし)(おごそか)にして(あらそ)わず、(ぐん)して(とう)せず。

〔通釈〕
孔子云う、「君子たる者は何事も厳格であるが、意見が合わないからと云って敵対したりはしない。又、意見が合うからと云って安易に手を組んだりはしない」と。

〔解説〕
意見が合う合わないは、馬が合う合わないと云ってもいいでしょう。ここがどうも我々凡人の悪い癖で、馬が合う人イコール善い人、馬が合わない人イコール悪い人と決めつけてしまう。目指す方向や目的が同じならば、様々な意見を持った人・馬の合わない人がいた方がむしろその集団は強くなる。

完全無欠の人間などおりませんから、様々な意見を統合・止揚して中庸(偏らない無限進化の道)を選びとって行く。それを、意見が合わないからと云って、片っぱしから排除して行くと、いつの間にか裸の王様になってグロテスクな集団が出来上がる。ヒトラー然り、スターリン然り、毛沢東然り、金正日然り。彼らはこれを国家規模でやった訳です。もっと古くは、桀王も紂王もネロもこれをやって、皆自滅して行った。

一方、目指す方向も目的も違うのに、勢力拡大・政権奪取の一点が合致して手を組んだ場合、丁度今の民主党のような場合、政権を握った途端路線の違いが表面化して、内部対立が起こり分裂崩壊してしまう。元自民党タカ派と元社会党左派(革命派)の水と油が無理矢理一緒になってワッショイワッショイとやっているんだから、ワッショイワッショイが収まれば必ず分離する、水と油は!

今青年部「後畏塾」では十八史略をやっておりますが、このようなケースは歴史に山程出て来ます。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と云ったのはビスマルクだったか?表面的には変わったように見えるけれども、人間の本質は二千年前も三千年前も変わっていませんから、似たような事の繰り返しです。

だから孔子も云ったんです「故きを温ねて新しきを知る、以て師と為るべし」と。過去のことだからと歴史を甘くみてはいけません!似たようなことの繰り返しなんだから、相いも変わらず。「論語」・「孫子の兵法」・「十八史略」の三書は、政治家を志す者にとっての絶対必読書です。一つも読んだことのない政治家がけっこういるんじゃないのかねえ?それで一丁前面してるのが!

〔子供論語 意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「君達(きみたち)自尊(じそん)(しん)()つことはいいだろう。だが、自分(じぶん)都合(つごう)(わる)いからといって、その(ひと)(たち)排斥(はいせき)してはいけない!また、自分(じぶん)都合(つごう)()いからといって、安易(あんい)()()んではいけない!」と。

〔親御さんへ〕
何だかこれ、亀田親子とTの関係を云っているようだねえ? Tは亀田家と放映権の独占契約を結んだのでしょうが、五〜六年前から持ち上げるだけ持ち上げ、煽るだけ煽って好き勝手にパフォーマンスをやらせておきながら、一旦次男大毅の反則行為が世間から非難を浴びるや、掌を返したように自局昼のワイドショー「ピンポン」で行き過ぎたパフォーマンスを叩きまくっている、正義面して。


謝罪会見すべきは亀田親子ではなくて、Tの社長と担当ディレクターだろう!「なめるんじゃない!ボクシングファンの目は節穴じゃないぞ!!」って云ってやりたくなりますね、Tの報道姿勢には。このまま頬被りを決め込むつもりでしょう、Tは。こういう時こそ評論家はズバリッと云わなければならんのに、皆口をつぐんでいる。

弟子の子貢は人物評論を好んだようですが(憲問第十四373章「子貢人を方(たくら)ぶ・・・」)、人物評論家として最初に史上に登場するのは後漢の許劭(きょしょう)でしょうか?毎月の一日(月旦(げったん))に地元の有名人を俎上に載せて批評した。人物評論のことを「月旦評」というのは、この故事に由来する。

西晋時代「竹林の七賢」の清談も、手厳しい政治家批評をやったのではないでしょうか?表向きは老荘の空理空論を弄んだことになっているけれど、阮籍(ゲンセキ)などはとっ捕まって目を白黒させていますから。

昔は、人物評論も政治評論も皆命懸けだったようで、思想信条の自由・言論の自由が保障されている現代人にとってはピンと来ないかも知れません。だからと云って、云いたい放題好き勝手を云って良いという訳ではない。報道責任・発言責任はきちんと取らなくてはならんでしょう。誤った報道や発言(書籍を含む)を訂正・謝罪しない場合は、報道機関であれ個人であれ、百年が時効期間じゃないのかな?あの世じゃ時効などありませんがね。
 

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