憲問第十四 354

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〔原文〕
子曰、孟公綽趙魏老則優不可以爲膝薛大夫

〔読み下し〕
()(のたま)わく、(もう)公綽(こうしゃく)(ちょう)()(ろう)()れば(すなわ)(ゆう)なり。(もっ)(とう)(せつ)大夫(たいふ)()べからず。

〔通釈〕
孔子云う、「魯の大夫、孟公綽は、清廉高潔な人だから、晋の六卿の実力者である趙家や魏家の御意見番としてなら立派に家老職を務められよう。しかし、滕や薛のような大国に挾まれて微妙な立場にある小国では、たとえ人格者と雖も、機略縦横な発想を持っていないと大夫は務まるまい」と。

〔解説〕
孟(もう)公綽(こうしゃく)魯の大夫で孔子の先輩。清廉潔白な人格者だったようです。史記仲尼弟子列伝に『孔子の厳事(げんじ・敬い事(つか)える)する所、周に於いては則ち老子、衛に於いては遽伯玉、斉に於いては晏平仲、楚に於いては老來子、鄭に於いては子産、魯に於いては孟公綽なり』とある所を見ると、孟公綽は相当の人物であったようですね。

人にはそれぞれ向き不向きや得手不得手がありますから、十把一絡げに扱う訳にも行きませんし、オールマイティを要求する訳にも行かない。これに性格や仕草や癖が加わって、その人特有の個性が醸し出される訳ですが、地球人口60億人の中で、一人として同じ個性の人はいない。私達はこれを当たり前に思って、普段意識することはありませんが、考えてみればこれは驚異的なことでありまして、この地球上には60億種類の人間がいるということになる。

人生は日々応用問題を解いているようなもので、一人一人違った問題が与えられますから、60億種類の問題集がある勘定になります。自分に与えられた問題は自分自身で解かなければならない仕組になっていて、他人が覗くと、パッと文字が消えてしまう。従って、親であろうが教師であろうが先輩であろうが、本人に代わって解答することができない。

しかし、解答のヒント・気付きのヒントは与えてやることができる。結局の所、自分に与えられた問題に悪戦苦闘しながらも、どれだけ多くの人に解答のヒント・気付きのヒントを与えてやることができるか!?これが人物のスケールというか、その人の魂の器を決めるのではないでしょうか。

つまり、人の人生に干渉することはできないが、関与することはできる、忠告したり、励ましたり、褒めたり、叱ったりしながら、気付きのヒントを提供することはできる。釈迦も孔子もイエスも、こうして人々を善導して来たんですね。

だから「自分は自分、人は人、放っとけ放っとけ!」などという態度をとると、「この薄情者!一体誰のお陰で今の自分に成れたと思っているんだ!?みーんな親のお陰、先輩のお陰、世間のお陰、神仏のお陰じゃないか!!自分一人の力で今の自分になれたと思ったら大間違いだ!放っとかれたら今の君はなかったんだ!!」と時折雷を落とすのは、こういうことなんです。

皆孔子の弟子なんだからね、私達は!分かって下さいね、憎くて云っている訳ではないんですから。聴く耳を持たんのは皆辞めて行きました。去る者は追わず来る者は拒まず、心の準備が出来たら、又戻って来れば良い。叩く者には扉はいつも開かれています、当会は!但し、仲良しごっこをするつもりはありません、これ迄もこれからも。

〔子供論語 意訳〕

孔子
(こうし)
(さま)がおっしゃった、「先輩(せんぱい)(もう)公綽(こうしゃく)さんは、人格者(じんかくしゃ)だからどんなに(おお)きな(くに)()っても文部(もんぶ)大臣(だいじん)なら(つと)まるだろう。しかし、かけ()きが苦手(にがて)だから、どんなに(ちい)さな(くに)()っても外務(がいむ)大臣(だいじん)(つと)まらないな」と。


〔親御さんへ〕
子供の学校給食費を払わないで平然としているバカ親、交通事故で亡くなった児童の写真を自分のHPに無断転載してポルノまがいのコメントをつけて喜んでいるバカ教師、一体全体どうなっているんだろうか!?バカ親とバカ教師が寄ってたかって日本の子供を壊しにかかっているんじゃないのか!?

親は親で今度はメタボリックとやらで、鬱病が五年間で倍増していると云う。大調和の世界に在って、不調和なことを考えていれば頭が壊れるし、不調和な行ないをしていれば体が壊れる。こんなことは小学生でも分かる当たり前のことです。

これはもう道徳教育がどう、躾けがどう、教育行政がどうという以前の問題、「人間存在の実相」を知らない、無明なるが故の惑乱です。今日ここではっきりと申し上げておきますから、このHPをご覧の親御さんはしっかりと頭に叩き込んでおいて下さい。

曰く、『人間の本質(本体)は魂である。肉体は魂の乗り舟(着ぐるみ)である。魂は永遠不滅であって、生まれ変わり死に変わり(輪廻転生)を繰り返しながら、無限に進化して行く存在である』と。又曰く、『魂(人)は神の分け霊(みたま)(分身)であって、すべての魂には神の種(神性・仏性)が宿されている。人は今神の分身として、神の一部を演じていることを知れ!』と。

着ぐるみ(肉体)を本体と勘違いしていませんか?魂を放ったらかしにして、着ぐるみばかり気にしているのではありませんか?笹団子の団子を食わず、笹を食って喜んでいるようなものでしょう、こんなのは。肉体が死んでしまえば、すべては終わり!と思っていませんか?ところがどうして、死んでも意識はちゃんとあるんですよ、魂は永遠不滅、死にたくても死ねない存在なんだから。これが人間存在の実相(本当の姿)です。

ここをきちんと腑に落した上で、子供を教育してやって下さい。人間存在の実相を知った時、人は本当に強く優しくなれるんです。唯物主義者を親に持つ子供はかわいそうです、神の子人間の尊厳を、親に否定されて育つ訳ですから。
 

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