子路第十三 339

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〔原文〕
子曰、剛毅木訥、近仁。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、剛毅(ごうき)木訥(ぼくとつ)(じん)(ちか)し。

〔通釈〕
孔子云う、「芯がしっかりして辛抱強く、素朴で口数の少ない者は、必ずしも仁者とは云えないかも知れないが、それに近い人物と思って良いだろう」と。

〔解説〕
これは学而第一003章「巧言令色鮮し仁」と対照的な言葉です。剛毅とは、意志がしっかりして物事に屈しないの意、木訥とは、飾り気がなく無口なことの意ですが、確かにこういう人物は安心して付き合えます。

仁者を仏教の言葉で云えば「菩薩」がこれに当ろうかと思います。釈迦は「四摂事(ししょうじ)」を菩薩行の実践徳目として弟子達に説いたと云います。四摂事とは、四つの摂()り行なうべき事柄の意で、

    一、布施(ふせ)・・・・・真理を教え、施しをすること。
   
二、愛語(あいご)・・・・いたわりのある言葉をかけること。
   
三、利行(りぎょう)・・・人々の利益になる行いをすること。
   
四、同事(どうじ)・・・・人々と同じ姿をし、同じ仕事をしながら
                                     教化して行くこと。

利行(としゆき)という名前の方がおられますが、ここから採ったものでしょう。「私は利他(他を利すること)の為に生きる菩薩です!」と名乗っている訳だ。利己主義で生きたら、名前が泣きますね。そう云えば、利己(としき)という名前の人には、出会したことがありませんな。

〔意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「意志(いし)(つよ)くてへこたれず、ぶりっ()せずに無口(むくち)(ひと)は、
将来(しょうらい)きっと大物(おおもの)なるだろう」と。

〔親御さんへ〕
厚生労働省で進めているニート(進学も就職もしない若手無業者。全国で64万人いる)支援プロジェクトがうまく行かないので、調べてみたら、脳の発達障害を抱えている人達がかなりいた、と報道されておりました。子供の頃(8才迄に)我慢したり辛抱したりすることを親が教えておかないと、忍耐を司る前頭葉前方部位が発達せず、我慢の出来ない子、つまりキレル子ができてしまう。ここが未発達ですと、我慢以前に、そもそも意欲が湧かないのだそうです。

前にも云いましたが、小学生(12才頃まで)のうちなら、快感脳を刺激しながら耐えることを学ばせるのは可能だが、それ以上の年齢になると手の施しようがない、ということですから、この子達には一体どうしてやったらいいのでしょうか?(現在小中学生の6%が脳の発達障害児と云われる)厚生労働省では、2007年度から合宿形式の「若者自立塾」を始めるそうですが、論語でも学ばせたらどうでしょう?反省の出来る人間にすることは可能だと思うのですが・・・。

三十過ぎてもまだ寄生(パラサイト)されてたら、親もたまったものではありませんし、いつ迄も子供の面倒を見る訳には行かない。順番から云えば、先に死ぬのは親の方ですからね。ちゃんと就職して自立してもらわなければなりませんが、さてどうしたものか・・・?親戚にそういう子がいて、親は頭を抱えているのですが、どうしてやることもできません。「神のみ心に叶うよう、どうかこの子をお導き下さい!と祈るしかないんじゃないか?」としか言いようがありません、残念ながら。真心からの切なる願いは、神様も聞き届けてくれるのではないでしょうか。人は神の分霊(わけみたま)なんですから。「神などいない!」と、普段から思っているなら話しは別ですが。どうにもならない時は、「神のみ心に叶うようお導き下さい!」と祈るしかないですね。祈りの力を侮ってはいかんと思います。
 

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