子路第十三 337

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〔原文〕
子曰、君子易事而難説也。説之不以道、不説也。及其使人也、器之。
小人難事而易説也。説之雖不以道、説也。及其使人也、求備焉。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、君子(くんし)(つか)(やす)くして(よろこ)ばしめ(がた)し。(これ)(よろこ)ばしむるに(みち)(もっ)てせざれば、(よろこ)ばざるなり。()(ひと)使(つか)うに(およ)びては、(これ)(うつわ)にす。小人(しょうじん)(つか)(がた)くして(よろこ)ばしめ(やす)し。(これ)(よろこ)ばしむるに(みち)(もっ)てせずと雖も(いえど)(よろこ)ぶなり。()(ひと)使(つか)うに(およ)びては、(そな)わらんことを(もと)む。

〔通釈〕
孔子云う、「出来た人物に部下として仕えることは易しいが、喜ばせることは難しい。道理に叶ったことでなければ喜んでくれないからだ。だが、部下の長所や能力に応じて使いこなしてくれるから、仕え易い。これに対して、下らない人物に部下として仕える事は難しいが、喜ばせることは簡単だ。道理に叶うことでなくてもゴマすってヨイショすれば喜んでくれるからだ。しかし、部下の長所や能力おかまいなしにオールマイティーを要求するから、仕え難い」と。

〔解説〕
長所や能力に応じて使いこなすことを、「人を生かして使う」と云います。優れたリーダーかダメなリーダーかの分岐点は、人を生かして使えるか?型通り(命令一服従)にしか使えないか?にある!と云っても過言ではありません。組織全体の方向と、個々の役割がクリアーになればなる程、人は自主的主体的に動かざるを得なくなります。これとは対照的に、全体の方向と個々の役割が曖昧であればある程、部下は上司の顔色を窺うのが精一杯で、指示待ち族にならざるを得ない。

人は進化し続ける生きものですから、自分で考え行動するように育てた方が良いか?云われた通りにしか動けないロボットに育てた方が良いか?となれば、誰だって自主的主体的な方を選ぶでしょう。会社は召使や奴隷を養成する所ではありませんからね。人は生かして使うものです。生かして使われた時、人はやる気を起こす。やる気を起こした時に人は伸びる。

「うちの社員はやる気がない」と嘆く前に、果たしてあなたは社員を生かして使っているかどうか!?ここを反省してみるのが先ではないでしょうか?方向も示さず方針も曖昧であったら、社員がやる気を起こす筈がないではありませんか。方向が示され方針が明確であれば、方法は放っておいても考え出します、バカじゃありませんから社員は。「バカな大将敵より怖い!」ものなんですよ。

〔意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(すぐ)れたリーダーの(もと)ではプレーはしやすいが、リーダーを(よろこ)ばせることは(むずか)しい。なぜかというと、()()けよりもフェアプレーを大切(たいせつ)にするからだ。しかし、チームのメンバー一人一人(ひとりひとり)体力(たいりょく)能力(のうりょく)(おう)じて、いい(ところ)()()してくれるから、とてもプレーしやすい。これと反対(はんたい)に、ダメなリーダーの(もと)ではプレーはしにくいが、リーダーを(よろこ)ばせるのは簡単(かんたん)だ。なぜかというと、フェアプレーでなくても()ちさえすれば(よろこ)んでくれるからだ。しかし、メンバー一人一人(ひとりひとり)体力(たいりょく)能力(のうりょく)おかまいなしに、全員(ぜんいん)にファインプレーを要求(ようきゅう)するので、とてもプレーがしにくい」と。

〔親御さんへ〕
リーダーの部分を親に書き換えて読んでみれば、ドキリッとする方もおられるのではないでしょうか?子供の教育に熱心なのはいいですが、一番肝心な徳育をないがしろにして、勉強しろ!勉強しろ!とやると、近頃は、自宅に火をつけて親兄弟を焼き殺してしまうようなことが起きる。

知育・体育・食育には客観評価の物差し、基礎学力・基礎体力・基礎栄養価等を測る基準がありますから、比較的対処し易いのですが、徳育には基礎徳力を測定する基準がない。そもそもそんな言葉すらない。すべて親の主観による判断で対処する他はありません。これは難しいね、自分自身が基準になるから。この親にしてこの子あり!だからね。子供に基本的な徳育を施すのは親の責任、基礎徳力を身に付けさせるのは親の仕事です。人類(ホモサピエンス)という種族を人間(ヒューマン)という生きものに育てるのが徳育なんですね。

ファインプレーよりもフェアプレー、損得よりも善悪、勝敗よりも廉潔、優劣よりも貴賤を優先してお子さんに教えてあげて下さい。最近親が子をダメにしているケースを屡々見かけます。この親にしてこの子あり!真っ当な親にして真っ当な子あり!子供を真っ当に育てたかったら、先ずあなた()自身が真人間になりなさい!!
 

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