子路第十三 333

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〔原文〕
子曰、不得中行而與之、必也狂狷乎。狂者進取、狷者有所不爲也。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、中行(ちゅうこう)()(これ)(くみ)せずんば、(かなら)ずや(きょう)(けん)か。狂者(きょうしゃ)(すす)みて()り、狷者(けんしゃ)()さざる(ところ)()るなり。

〔通釈〕
孔子云う、「中庸を心得た人と仲間になりたいものだが、中々出会えない。ならば狂者か狷者を探すとしようか。狂者は善いとなればすぐ飛びつくし、狷者は悪いとなれば絶対に手出ししないからなあ」と。

〔解説〕
狂者とは、夢想的理想主義者、狷者とは、潔癖症の石頭と考えてもらって良いでしょう。一般的に云えば、狂者とは気違い、狷者とはヘソ曲がりのことですから、孔子は、気違いやヘソ曲がりと親しくしていたのか?と勘違いしそうですが、そうではないんですね。狷者を新潟弁で云えば、そうですねえ・・・、「一概(いちがい)こき(一度思い込んだらテコでも動かない人)」と云ったら分かり易いでしょうか?

ついでに本章をそっくり新潟弁に翻訳してみましょう。“孔子がゆうたって、「あんべ(塩梅)のいいしょと友達んなりとて、しかもかあたけたろも、なっかなか見つからなねんさ。そうせばやっぱ、のぼせたがんか、一概こきでも探すしかねぇねっかね、おめさん。のぼせたがんは、いぃってばんーま飛びつくし、一概こきは、わーりってばテコでも動かねすけね」と。”(古町生れ古町育ちの75才、片桐賢二訳)なじらね?おもっしぇろも、ちと間が抜けたみてらね!?  アレッ?ちょっと調子が狂ってしまったようです。

〔意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(こころ)(たい)らな(ひと)友達(ともだち)になりたいのだが、中々(なかなか)()つからない。だったら、多少(たしょう)(かたよ)っていても、()いと(おも)ったことはすぐやる(ひと)か、(わる)いと(おも)ったことは絶対(ぜったい)にやらない(ひと)(さが)すしかないかな?どちらもちょっと(あつか)いにくいが、中途半端(ちゅうとはんぱ)でいい()(げん)(ひと)よりは()しだろう」と。


〔親御さんへ〕
解説で新潟弁の翻訳が出ましたので、今度は長岡弁に翻訳してみましょう。“孔子様がゆうたてんがの、「人柄のいいもんと友達んなりてがぁろも、中々見つからんがぁて。多少のことはいいことんして、いいと思えばすぐやる人か、悪いことは絶対しね人と付き合うしかねぇこっつぁ。どっちも扱いにくいがぁろも、そうかとゆうて、中途半端でいい加減なもんよりは増しらてばね」と。”(表町生れ表町育ちの72才、椿紀代司訳)
 

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