子路第十三 332

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〔原文〕
子貢問曰、何如斯可謂之士矣。子曰、行己有恥、使於四方、不辱君命、
可謂士矣。曰、敢問其次。曰、宗族稱孝焉、郷黨稱弟焉。曰、敢問其次。
曰、言必信、行必果、硜硜然小人也。抑亦可以爲次矣。曰、今之從政者何如。
子曰、噫、斗之人、何足算也。

〔読み下し〕
()(こう)()うて()わく、何如(いか)なるか()(これ)()()うべき。()(のたま)わく、(おのれ)(おこな)うに(はじ)()り、四方(しほう)使(つかい)して、君命(くんめい)(はずか)しめざるは、()()うべし。()わく、(あえ)()(つぎ)()う。(のたま)わく、宗族(そうぞく)(こう)(しょう)し、郷党(きょうとう)(てい)(しょう)す。()わく、(あえ)()(つぎ)()う。(のたま)わく、(げん)(かなら)(しん)(おこない)(かなら)()硜硜(こうこう)(ぜん)として小人(しょうじん)なるかな。(そもそも)(また)(もっ)(つぎ)()すべし。()わく、(いま)(まつりごと)(したが)(もの)何如(いかん)()(のたま)わく、(ああ)()(しょう)
(ひと)(なに)(かぞ)うるに()らんや。

〔通釈〕
子貢が、「どのような人物を国士というのでしょうか?」と問うた。孔子は、「己の行いの過ちを恥じて改めるだけの度量があり、外交使節として立派にその使命を果たして国威発揚を促すだけの力量のある人、これを国士というのだ」と云った。

子貢は「第二等の国士というものがあれば教えて下さい」と問うた。孔子は、「一族の間では孝行者と云われ、郷里では悌順な者と称えられる人物、これが第二等の国士である」と云った。

子貢は、「第三等の国士というものもありますか?」と問うた。孔子は、「一旦口にした約束は、内容がどうあれ必ず守ろうとし、一度着手したことは、結果はどうあれ必ず最後までやり遂げようとする人物。これなどは石と石がぶつかり合うようなコチコチの小人物だが、まあ第三等の国士に加えてやっても良いだろう」と云った。

子貢は更に、「今の政治家はいかがでしょうか?」と問うた。孔子は、「ああ、何だ一山いくらの連中か?あのような連中をどうして国士などと呼べようか!数えるに値しない」と云った。

〔解説〕
本章の子貢と孔子の問答は実に面白い。孔子という人物を最も良く理解していた子貢ならではの問い方ではないでしょうか?先ずバンと正面から質問をぶつけ、次は?次は?次は?と質問を浴びせて孔子の本心を引き出して行く。同じ問い方は、顔淵第十二295章「食を足し、兵を足し、民之を信にす」にも見られまして、最後に「民、信なくんば立たず」という究極の答えを引き出す。

本章で孔子は政治家や官僚の人物のスケールを、その行動原理から一流・二流・三流・論外の四つのパターンに分けて論じている。

   一流の政治家・官僚の行動原理は、「国益」で動く。
  
二流の政治家・官僚の行動原理は、「党益」・「省益」で動く。
  
三流の政治家・官僚の行動原理は、「自分の面子」で動く。
  
論外の政治家・官僚の行動源のは、「私益」で動く。

と読み替えてもいいのではないでしょうか?なお、本章の通釈は古い資料(CD)とかなり内容が変っておりますので、読み比べてみて下さい。

〔意訳〕
弟子(でし)()(こう)が、「一流(いちりゅう)政治家(せいじか)とはどんな(ひと)のことをいうのでしょうか?
」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「自分(じぶん)()にして国益(こくえき)(ため)(はたら)(ひと)、これが一流(いちりゅう)だ」と(こた)えた。()(こう)は、「二流(にりゅう)政治家(せいじか)はどうですか?」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「国益(こくえき)よりも(とう)利益(りえき)省庁(しょうちょう)利益(りえき)優先(ゆうせん)する(ひと)、これは二流(にりゅう)だね」と(こた)えた。()(こう)は、「三流(さんりゅう)政治家(せいじか)もいますか?」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「ああいるとも。()ったことは必ず(かならず)実行(じっこう)し、やり(はじ)めたら(かなら)結果(けっか)()そうとするのはいいのだが、状況(じょうきょう)(かわ)っているのに、自分(じぶん)面子(めんつ)こだわって(いま)までのやり(かた)()えようとしない(ひと)、これが三流(さんりゅう)政治家(せいじか)だ」と(こた)えた。さらに()(こう)は、「(いま)政治家(せいじか)はいかがですか?」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は、「ああ、あれは国益(こくえき)など眼中(がんちゅう)にない一山(ひとやま)いくらの政治屋(せいじや)だ!政治家(せいじか)のうちに(はい)らないよ」と(こた)えた。

〔親御さんへ〕
本章の「言必信、行必果」で面白いエピソードがあります。今から30年程前、日中国交回復交渉で田中角栄(当時首相)と共に北京を訪れた大平正芳(当時外相)は、周恩来からある揮毫をもらいました。その揮毫は『言必信、行必果』というもの、つまり、周恩来は論語の本章からこの文言を持って来て、大平正芳に贈った訳です。

文章自体は「一旦口にした約束は必ず守る。一度着手したことは必ずやり遂げる」という意味ですから、悪くありません。何も知らない大平さん、喜んで持ち帰り、得意になって親しい友人に見せたそうな。そしたらその友人、いきなり目の前で揮毫を破り捨て、「苟も一国の外務大臣ともあろう者が、このような揮毫をもらって喜んでいるとは何ごとか!あなたは三流政治家呼ばわりされる為に大陸へ行ったのか!?」と一喝したが、何のことやら訳の分からない大平さん「アー、ウー、一体どういうことかね?」と問うた。

友人は論語のこの章を示して説明したら、漸く納得したと云う。周恩来に、「大平さんよ、あんたはコチコチの三流政治家だね!」と、遠回しに貶(けな)されたという訳です。大平さんはクリスチャンだったそうですから、論語を読んだことがなかったのかも知れませんが、揮毫をもらった時に、知ったかぶりせず「これは何という意味ですか?出典はどこですか?帰ったら早速原典をひもといてみます」くらいのことは云っておくべきしたね。

こう一言云っておけば、以後周恩来も大平さんをナメてかかるようなことはなかったと思われますが、ナメられっ放しでした。外務大臣がナメられるということは、日本国自体がナメられているのと同じことです、一国の代表ですから。ナメられた結果どうなったかと云えば、これ以降6兆円(有償3兆、無償3)ものODAをむしり取られることと相成った。この金で中国は軍備増強を行い、援助した日本に脅しをかけて来ている。マンガです。外交交渉の場で相手にナメられるというのは、どれだけ国益を損なうことになるか?の見本です。

それはそうと、大平さんの過去世、調べてみると面白いよ! 大平さんはログ290を打つ天上レベルの人ですが、どこかにいませんでしたっけ?似たような人が、論語の中に。既に亡くなった方だから云ってもいいか・・・、あの樊遅ですよ樊遅、ピンボケの!嘘だと思うなら皆さんも測ってみて下さい、イエス!と出ますから。そう云われれば、どこか似ているでしょう?「アー、ウー」と。樊遅の転生した魂が大平正芳その人です。今頃あの世でどうしてますかねえ?田中角栄と政治談義でもやってますかね、角さんもログ290、同じ天上レベルの人ですから。
 

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