子路第十三 320

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〔原文〕
子謂衛公子荊、善居室。始有曰、苟合矣。少有曰、苟完矣。
富有曰、苟美矣。

〔読み下し〕
()(えい)公子(こうし)(けい)(のたま)わく、()(しつ)()れり.(はじ)めて(ゆう)するや、()わく、(いささ)()えり。(すこ)しく(ゆう)するや、()わく、(いささ)(まった)し。()みて(ゆう)するや、()わく、(いささ)()し。

〔通釈〕
孔子が衛の大夫公子荊を評して、「彼は分相応に安居した立派な人物だ。初め必要最小限の家財道具が揃った時に、まあどうにか間に合う!と云って満足した。若干の余裕が出来て人並みに備わった時には、どうやらこれで完備した!と云って満足した。裕福になって充分な家財が整った時は、何とまあ立派になったものだもったいない!と云って満足した」と云った。

〔解説〕
老子の講義で、「足ることを知る者は富めリ(与えられた環境に満足できる人こそ真の富者である)」(老子第33章)というものを紹介しましたが、公子荊はきっとそんな人だったのでしょう。「知足(ちそく)安分(あんぶん)・足ることを知り分に安んずる」などと云うと、「そんな消極的なことでどうする!?」という声が聞こえて来そうですが、知足安分は決して消極的な態度ではありません。与えられた環境に感謝してベストを尽くすことは、手堅く立派な態度です。

若い時は中々これが分からなくて、足元も固めず「先へ先へ!もっともっと!」とやるものですから、滑ったり・転んだり・煮え湯を飲まされたり・足を掬われたりと、散々な目に遭ってみて初めて分かる、「世の中を舐めていた!甘かった!!」と。

ホリエモン(ライブドア前社長堀江貴文)は、今回の一件で分かったのではないかな?知足安分が。キネシオロジーテストで測ってみると、ログ450(縁覚)と出ますから、彼はきっと立ち直るでしょう。あの子はM&Aなどやらなくても、実業で立派にやって行けるカを持っています。

もう一人、阪神電鉄株買い占めで話題になっている村上ファンド社長村上世彰はどうかと云うと…、ログ175(修羅)しかありませんから、彼は正真正銘のハゲタカで、実業など初めっから眼中にない根っからの博打打ちです。人生は金がすべて!狡猾に生きた者の勝ち!位にしか思っていないのではないでしょうか?四十五過ぎのオッサンにもなって。

テレビに出てくる二人を見て、「ホリエモンはどこか愛敬があって憎めないが、村上世彰はどこか狡(ずる)賢くて卑しい!?」と感ずるのは、神経が正常に働いている証拠ですからご安心下さい。あなたの偏見ではありません。

恐いね、キネシオロジーテストは!Yesか(本当か?)Noか(嘘か?)、本物か?偽物か?だけでなく、潜在意識まで分かってしまうんだから。(と、この原稿を書いてから一週間後、村上世彰はニッポン放送株売買にまつわるインサイダー取引、つまり、イカサマ博打容疑で逮捕されてしまった。本人もイカサマ博打であったことを認めている)


〔意訳〕
孔子(こうし)(さま)が、(えい)(こく)大臣(だいじん)公子(こうし)(けい)人柄(ひとがら)について、「(けい)さんは見栄(みえ)()ることのない実直(じっちょく)(ひと)だった。(新人(しんじん)時代(じだい)の)安月給(やすげっきゅう)のころは、わずかな家財(かざい)道具(どうぐ)しか()えなくても、これさえあれば(いま)(ところ)充分(じゅうぶん)だ!といって満足(まんぞく)した。(昇進(しょうしん)して)(すこ)余裕(よゆう)()てやっと人並(ひとなみ)家具(かぐ)()えるようになると、これでもう不足(ふそく)なものは(なに)もない!といって(よろこ)んだ。(出世(しゅっせ)して)裕福(ゆうふく)になって高級(こうきゅう)家具(かぐ)()えるようになっても、なんとありがたいことかもったいない!といって感謝(かんしゃ)した。(かざ)ることなくおごることのない立派(りっぱ)(ひと)だったね」とおっしゃった。

〔親御さんへ〕
飾ることなく奢ることなく生きるというのは、それが真っ当な生き方だとは分かっていても、実践する人は誠に少ない。その人の本当の価値が問われるのは、地位や名誉・収入や財産・学歴や経歴などの飾り、つまり外物をすべて取り除いた時に、神の子人間としての本性をどれだけ光輝かせて来たか?磨き出して来たか?にかかっている訳です。神の子人間の本性を別名「徳」という訳ですが、今世の人生に於いて、どれだけ徳を積んで来たか?磨いて来たか?が、その人の真価・本当の値打ちなんですね。イエスは

これを、「天の倉に富(徳)を積め!」と云った。地位や名誉・収入や財産・学歴や経歴などは、みな地の倉に積むものであって、どれ一つとしてあの世には持って帰れません。これらの飾りものはすべてこの地上に置いて行かなければなりません。

なぜならば、これらはみな肉体にまつわるものでありまして、肉体を捨てた時点で不要になるからです。魂には「思い出」しか残りません。では、あの世に持って帰れるものは何か?と云えば、生まれる前に持っていた魂のエネルギー量、プラス、今世肉体を持って地球学校で学んだ仁の徳(利他の愛)の実践経験を通して獲得したエネルギー量の総和、これだけなんですね、持って帰れるものは。

魂のエネルギー量のことを「魂の器」とも申しますが、肉体にある時に、どこ迄魂の器を大きくすることが出来たか?鍛えたか?が、人生の勝負なんです。肉体を脱ぎ捨て、魂だけになった状態では、魂の器を大きくすることも鍛えることも出来ないんです。何の摩擦も抵抗もない所では。だから何度も何度もこの地上に生まれ変って出てくる訳です。魂の器を大きくする為に、鍛える為に、魂を進化させる為に!

キネシオロジーテストで、誕生時に持っていた意識レベルと只今現在の意識レベルを比べてみて、万一現在のレベルが下がっていたなら、その人生は失敗だから早く修正しなさい!と口を酸っぱくして云うのは、このことを云っているんです。あの世に帰ってからでは間に合わんのです!肉の感官に振り回された偽りの人生を生きるのは、もう止めにしなさい!!
 

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