顔淵第十二 301

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原文                 
子曰、聽訟、吾猶人也。必也使無訟乎。
 
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(うったえ)()くは、(われ)(なお)(ひと)のごときなり。(かなら)ずや(うったえ)()からしめんか。
 
〔 通釈 〕

孔子云う、「訴えを聴いて間違いのない判定を下すことは、私も人並みにできると思う。ただそれよりも、訴えたり訴えられたりと争うことのない世の中にしたいものだ」と。
 

〔 解説 〕

これが大司冦(法務大臣と最高裁長官を兼ねたようなもの)を務めたことのある孔子の本音でしょう、「争いのない世の中にしたい!」というのが。

では一体、世の中から争いをなくしてしまうにはどうしたら良いか?となると、残念ながら人類は未だにその根本的な解決方法を発見していない、というのが実情でしょう。発見していれば、戦争などとっくの昔になくなっている筈です。何故解決方法を発見できないのか?というと、
原因と結果をあべこべに捉え、原因を放置して、結果を正すことばかり考えているからではないでしょうか?

普通私達は、争いには必ずその種・原因があるから、結果として争いが起きるものだと考えておりますが、実は争いは結果ではなく原因なんです。エッ?と思った方がおられるかも知れ
ませんが、「争う心」があるから争いが起きるのであって、「争う心」がなかったら争いは起きません!

争う心のある人にとっては、原因などどうだっていいんです。全てを争いの種にしてしまう妙な才能がありますから。戦争もそうです。戦争したい奴がいるから戦争が起きるんです。戦争
したい方が、あの手この手を駆使して、無理矢理戦争せざるを得ない状態に相手を引きずり込むんですね。

前に、戦争の反対語は平和ではなく和解である!と述べましたが、戦争したい奴は、譲歩に
譲歩を重ねる相手に対して、最早和解の余地がなくなる所迄追い込んでおいて、堪忍袋の緒が切れるような最後通牒を突き付ける。

日米通商航海条約廃棄→ABCD包囲網→資産凍結→石油禁輸→ハルノート(最後通牒)⇒日米開戦に至る一連の経緯を見れば、どうしても戦争したいアメリカが、あの手この手を駆使して無理矢理日本を開戦に引きずり込んで行った様子が分かるでしょう。

争いは結果ではなく原因、争う心があるから争いが起きる!争う心がなければ和解する!! 孔子はこういうことを誰よりもよく知っていた人ですが、だからと云って、人の心は万人の自由に任されておりますからどうすることもできない。そこで孔子は、対立する概念も優劣比較する観念もない絶対価値としての仁、全てを包んで貫く「仁」を説いたのではないかと思います。

争いの心を正すには、義でもない!礼でもない!知でもない!信でもない!仁の心以外には
ない!!と考えていたのでしょう。論語に仁という字は百回程出て来ますが、その仁について説いている所は58章もあります。
 
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(わたし)裁判(さいばん)(ちょう)をしていた(とき)は、(うった)えを()いて公正(こうせい)判決(はんけつ)(くだ)すことには自信(じしん)があった。ただいつも(かん)じていたことは、どうしてこんなことで(あらそ)いを()こすのだろうか?どうしてもっと(ゆず)()えないのだろうか?ということだった。(うば)()おうとするから(あらそ)いが()きる。(ゆず)()おうとすれば(あらそ)いは()きない。こんな簡単(かんたん)道理(どうり)がどうして()からないんだろう。残念(ざんねん)だ」と。
 
〔 親御さんへ 〕

最近中国で儒教が復活しているという話をよく耳にしますので、私の友人で「孔子文化大学」の客員教授をやっている人物にその辺の事情を聞きましたら、「ああ、あれは海外から観光客を呼び込む為に孔子を利用しているだけで、京都・奈良の寺院が観光仏教であるような観光儒教なんだよ。

中国人が本気で論語など学ぶ訳がないだろう。第一今の中国政府や中国人は、孔子の教えに反することばかりやっているじゃないか。恥ずかしくて論語など読めないよ。あれは観光観光!」と云っておりましたから、実態はそういうことなんでしょう。

ついでに教えてくれたのは、「とにかく中国人の争い好きは筋金入りで、夫婦喧嘩でさえ大通りに出て互いに罵り合う。うっかり止めに入ったら大変なことになる。夫婦喧嘩は家の中で
やるもんだけどなあ? あの国は確かに孔孟や老荘といった偉大な人物を生んだ国だが、精神レベルは後漢以降劣化し続けているから、軍事力と政治力と経済力の三つが揃うと、何を仕出来すか分からないよ。

上海万博迄じゃないのか?上品ぶっているのは。万博が終わったら露骨に出てくるよ!何しろ言論の自由も、思想・信仰の自由も、投票の自由もない国だからね。国民に選挙権すらないんだから、桀王や紂王のような国家主席が登場したら、世界中が大迷惑するだろうな!?」とのことでした。

社民党や共産党の議員ならいざ知らず、自民党の議員の中にも中国かぶれした人間がかなりいて、北京詣でを繰り返している姿にはあきれ返ってしまいます。中には嘗て総理大臣
まで務めたことのある人物もおりますが、元総理や閣僚が北京を詣でるなどは、朝貢以外の何物でもないでしょう!恥ずかしくないのかね!?下半身の証拠写真でも撮られて脅されているんじゃないの?来ないとばらすぞ!と。

胡錦濤に「首相が靖国参拝を止めたら、日本に行ってやる!」などと生意気なことを云われて、「日本人の素朴な信仰心からやっていることで、御国人民の感情を刺激する為のものでは
ありません」などと言い訳する必要がどこにあるんですか!

「我が国には信仰の自由がある!内政に干渉する非礼は止めなさい!御国の大聖孔子は
『礼に非ざれば云うこと勿れ』と云っているではないか。国家元首たる君子ならば、言葉を慎みなさい!!」位のことはピシッと云わなければダメですよ、総理をやったことのある人間なら。論語の文言も引用できないような国会議員はもう中国に行くな!日本国及び日本人を辱めるだけだから!!
 

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